■無性に特定の音楽がききたくなるときがある。今夜はチャイコフスキーの「悲愴」だ。外は強い北風。だから「悲愴」なのだ。気分は全然“悲愴”ではないが「悲愴」をききたくなるときがあるものだ。
■ポコ・ア・ポコ ウインターセッションの2日目が終わりました。昨日、初日はミュージック・ケアの総合研修の成果を活かそうと気負いがあってどうもしっくりこないまま終わってしまいました。今日は朝から記録ビデオをチェックしながら反省することしきり。夏のサマーセッションの記録ビデオと見比べて愕然! サマーセッションの方が子どもたちがとてもいい表情なのだ。そう、夏は自分自身が背伸びをしないようにいつも気をつけていたではないか! 今日、2日目の前半はキーボードを弾きながら歌う時間を十分取りました。子どもたちがたくさんの笑顔を返してくれてホッとしました。だから気分は“悲愴”ではないが北風のせいで「悲愴」がききたくなってキーを叩いています。
2002/12/25
「悲愴」がききたくなるとき
登録:
コメントの投稿 (Atom)
タブレットの憂鬱
ここしばらく、iPadの液晶にムラが出るようになったり相変わらずパソコンのiTunesにつながらなかったりとストレスをかかえて気づけば9年になりました。Lenovoのタブレットを追加したものの動作がかなり緩慢でまたiPadを新調しようと我慢の日々が続いていました。そうこうするうち...
-
9月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。私は夏の疲れが出て始まる前から少々おぼつかないところがありましたが、子どもたちが来てくれるといつもの元気が戻って密度の濃いセッションとなりました。曲の終わりの「静」をみんなで感じることの達成感はいつも素晴らしい。...
-
この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。 「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚...
-
検索キーワードに矢野智司を設定して時々チェックしています。先日、彼の近刊が矢継ぎ早に出ていることがわかってあたふたと取り寄せています。 『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』(矢野智司・井谷信 彦編)(世織書房 20220412) 『京都学派と自覚の教...
0 件のコメント:
コメントを投稿