2026/02/22

加島祥造『伊那谷の老子』を読む

前々から気になっていたこの本(淡交社 1995)をオークションサイトで入手しました。写真よりも薄汚れていて何だかなあと思いましたが葉書サイズのビニール袋が同梱されていてこちらも何だろうと思いました。入っていたのは黄ばんだ新聞の切り抜き1点と『本』など出版社が出していた小冊子の切り抜き6点でした。それぞれに「加島祥造」や「老子」の文字が見えました。気になったもののまずは本です。

この本が頗る面白くて「伊那谷の老子」の章は付箋だらけになっています。驚いたのは加島祥造が手掛けた老子の翻訳は原文である漢文からの翻訳ではなくて英訳された老子からの和訳だったことです。アーサー・ウェイリーの名前を見たときはまた驚きました。ウェイリーは『源氏物語』も英訳しています。その英訳を毬矢まりえと森山恵が和訳して2年くらい前に話題になりました。読みやすくて物語の世界がイメージしやすい本となっています。登場人物の輪郭、人となりがそのまま伝わってきて活き活きどころか生々しくさえ感じられます。加島祥造が和訳した老子もまた然りです。これはどうしたことか。

加島は『伊那谷の老子』にそのことを言葉を換えて幾度も記しています。その部分を引用します。

(略)それは、西洋人の、あるいは英国国民の思考と気質から自然に生まれた傾向であって、日本の老子訳の世界とははっきり違った特色といえるものだ。そのうち、とくに目立つ点を三つだけ言ってみよう。

 第一は訳者たちが程度の差はあれ自分の解した『老子』を提出していることだ。(略)訳出するときにはそこから自分の老子像を抽きだしている。

 いいかえれば彼らは老子と対面し、対話しようとする。自分のイメージする老子像を、その内面像を、描きだそうとする。さらにいえば、自分にとって老子とはなにか、を明らかにしょうとする。

 第二。英訳者たちは老子の実在を否定しない態度である。日本では江戸時代からすでに老子の実在を否定する議論があり、いまでもその方向から見る意見がある。(略)

 しかし、英語訳をした人たちは、そういう説を知っていてなお、『老子』の五千言のなかに、老子という一個の大個性を見出す。またそこにこの大個性の深い内観力を愛と大きな叡知がゆきわたっているとみる。老子の生きたスピリットがいまの自分のなかを流れ走ると感じる。そういう生気の動く英訳が多いのだ。(略)

 第三の、そして最も印象づけられた特色は、彼らが「老子」を詩(ボエトリイ)ととっている点だった。日本の学者も『老子』の多くの章が韻を踏む詩句だと説明している。説明としてはよくわかる。しかしこの『老子』を「詩」として再現しようとはしない。誰も、いまここで生動する詩行に転じようとはしない。(略)

 (略)彼らは『老子』のなかに動くものをとらえようとする。生きて伝わってくる大個性のスピリットを、自分の言葉で表現しようとする。過去の古風な詩体ではなくて、現代口語体の詩として表現しようとする。

物理学者の寺田寅彦も「電車で老子に会った話」という文のなかで同様の体験をしていると加島は紹介しています。寺田の場合は独語訳の老子だがふたりの「老子体験」は共通しているとも。これは何を示唆しているのか。「原典の古意に忠実な逐語訳」(加島)が研究として重要不可欠なのは言うまでもありません。その成果は読解に活かされなければならない。しかし、老子や『源氏物語』を味読する後世の一人ひとりにとっては「原典の古意」と自分との関係においてその作品の意味がある。一人ひとりが意味の生成を経験することが大切と考えます。『伊那谷の老子』の加島訳の老子を読むと私の横に座っている同時代人の声を聴くように感じます。何という経験であることかと驚き感嘆するのです。

※英訳者のArthur Waleyは加島は「アーサー・ウエーレー」と、毬矢まりえ・森山恵訳の『源氏物語』では「アーサー・ウェイリー 」と表記しています。

2026/02/13

長野行

 先週2月7日土曜日、長野県の小学校の公開研究会に参加しました。2年ぶりの参加でした。その学校を訪れるのは5回目となります。訪れるたびに「おまえはここで務まるか」と問われているように思い腰が引けていましたがこの目で見ずにおれない学校でした。さらに2年前は授業後の協議会で私が抱えていた問いの「答え」がいきなり飛んできて決して大袈裟ではなく打ちのめされてしまいました。自分には子どもたちと過ごす機会はもうないと思い込んでいたので抗いようもなく悶々としていました。そんなとき講師の声をかけてもらって再び「教壇教員」となり、教育とはどういう営みなのかを身をもって問う日々が戻ってきました。池袋児童の村小学校を調べていたことも支えになりました。教室を「子どもとつくる」場として、それは“技術”ではなく肌感覚として絶えず意識しておく姿勢です。それは簡単なことではないことを思い知ることとなりましたがそんな毎日を過ごしているということの充実感はその時々にしか経験し得ないものです。その小学校の先生方の心の内をあれこれ思い巡らせながらの参観となりました。今回もそこでしか学びえない多くのものを持ち帰ることができましたがその整理は時間がかかります。

2月11日(水)建国記念日はやはり長野県安曇野市で行われた井口喜源治先生に学ぶ会に参加しました。テキストは同志社大学人文科学研究所 (編集)『松本平におけるキリスト教―井口喜源治と研成義塾』(同朋出版 1979年)で、今回は手塚縫蔵の章でした。その一部を私が受け持つこととなり、この奇遇に驚きました。前述の小学校の入り口の「詩境の像」にまつわる詩から辿り辿って手塚縫蔵につながり、藤田美実の著作の導きで私の心をとらえるようになった経緯があります。私は藤田美実が言及する手塚縫蔵の「存在」について藤田の著書から一部を紹介する資料を作成しました。この日、8年かけで読み合わせを行った『松本平におけるキリスト教―井口喜源治と研成義塾』の最終回でした。参加者のお話から松本東教会を設立した手塚縫蔵への思い入れはこの地において決して小さくないと受け止めました。貴重な学びの場となりました。

当初、前述の小学校の研究会と井口喜源治先生に学ぶ会は同じ2月7日に予定されていました。午前は小学校の研究会、午後は井口喜源治先生に学ぶ会に参加という慌ただしい行程になるはずでしたが衆議院選挙のため学ぶ会の会場の公民館が使えず11日に延期となりました。1週間のうちに2回も長野に車を走らせることになってこの2回の長野行でレヴォーグは1,100km余距離が延びました。長距離をじっくり走るまたとない機会とその9割以上でアイサイトを試しました。結果、右足首を骨折してからアクセルを踏み続けることが辛くなってきていたので大助かりでした。いろんな場面でアイサイトを使ったところ、渋滞の中でもアクセルとブレーキを踏むことなく右手指先だけで走らせることがわかりました。これはすごいことだと思いましたが「ホントに止まるのか!?」と100%信じ切れない自分があって自分で運転するより疲れたところがありました。あと、フロントの左右に並んだLEDのライトを点灯するスイッチの位置が偶然わかってレヴォーグの“疑問”がひとつ減りました。灯火系とは別に独立して常時点灯するこのライトはアクセントになるほか昼間でも視認性が上がるように思えます。でも、この2回の長野行でレヴォーグの汚れは尋常ではなく昨日は洗車のためガソリンスタンドに寄りました。コーティングしてありますが撥水洗車+ホイール洗いをしてさっぱりしました。

2026/02/01

手帳の憂鬱と愉しみ

さすがに新しい手帳を買い求めることに慎重になるほどいろいろ手元にあります。物欲といってしまえばそれまでですが当の本人はそこにあたらしい何かを生み出そうとする思い入れがあってのことと、これも都合のよいことを考えています。手帳歴をその意味での生産性という視点で遡ると後々見返して役立つ情報はシステム手帳として残っていることがわかってきました。A5のノートもページをばらして6穴パンチで穴を開けて保存用バインダーに綴じています。やっぱりこれか!ということで今あるバインダーを生かしながら使い勝手を探っています。

そんなとき、ブリットハウスのトスタゴート ミニ6の新品がフリマサイトに出品されているのを見つけました。どうしようかと2~3日迷っていたら「週末値引き」されたので購入することにしました。説明にあった箱はありませんでしたが革製品を入れる不織布の袋に入って届きました。確かに新品未使用で小躍りしてしまいました。ミニ6はファイロファックスのマルデンがありますがこちらはリングが19mm、トスタゴートは13mmで一回りコンパクトです。駐車場代の領収カードはなんとか入って一安心。リフィルなどを移すと容量は数値以上に小さくなった感がありますが書き込むときにリングが気にならないし無理なく片手で包むように持てるので機動力という点で申し分ありません。とにかく小さいのでバッグが小さくでもいつでも携帯できます。保存用バインダーも買い足して生産性アップに期待しています。

トスタゴートのバインダーはA5とバイブル、ミニ6、ミニ5とそろっていて2017年にバイブルを購入しました。このバイブルサイズは横幅が広いのでフランクリンコヴィーのコンパクトサイズのリフィルがほどよく収まります。このリフィルはけっこうな引力があってどこか生理的にしっくりくるのではないかと思えるほどです。トスタゴートのバイブルサイズのバインダーとフランクリンコヴィーのコンパクトサイズのリフィルという組み合わせはいくつかの貴重なメモを残しました。このバインダーは7~8年で油脂分がやや抜けたようになってくたびれましたがきょうだい分としてまた使い道を考えたいと思います。

2026/01/31

ドキュメント72時間~冬の長野 峠の水くみ場で~

 昨夜のNHK-TV「ドキュメント72時間」は「冬の長野 峠の水くみ場で」で登場した人たちの立ち居振る舞いと話、そして、峠の風景に惹き込まれてしまいました。場所は長野県旧中山道沿いの峠の水汲み場です。標高は1300mだとか。取材は12月半ばの3日間で薄っすらと雪景色になる天気で気温は-5℃だとか。水を汲みに来た地元の人の話ではそれでも「暖かい」そうで-10℃になることもあるとか。遠くは東京から来た人もいましたが地元の人たちの生き生きとした身のこなしと話の深さのようなものはたいへん印象的で昨夜も今朝も録画を観返してしまいました。

「雪国に暮らすと人は運命論者になる」と、雪との闘いの厳しさを譬えた話を聞いたことがあります。最近の大雪を伝えるニュース番組でもそうした営みが伝わってきます。朝昼夕と1日3回の雪かき、そして、屋根の雪下ろしと、その消耗をわが身のこととして想像することはできない。72時間の舞台となった水汲み場の雪はそれほどでもなさそうですが-5℃や-10℃という冷え込みの中で見せる生き生きとした姿の元となるエネルギーはどこから来るのだろうか。多くの人は素手でしたが私は車山高原の登山口駐車場の-9℃の中で素手で着替えとアイゼンを着けていたところすぐに指先の感覚がなくなって下山までしばしば懐に手を入れて温める羽目になりました。慣れるとそうでもないのだろうか。ちょっと信じられない。驚きの光景でした。

2月初めに伊那市の小学校の公開研究会に参加する予定です。参加申し込み前から気象情報の天気と気温をチェックしていますが朝の冷え込みは氷点下が続いています。その小学校の公開研究会は例年2月最初の土曜日に行われます。いつだったか雪の中央道を走って参加したことがあります。ホテルの前の道はガチガチに凍っていて小学校も雪は止んで青空が見えていましたが一面の積雪でした。子どもたちはヤギの世話などで忙しく活動していました。そんな毎日に慣れっこな姿でした。伊那は惹かれるところです。身軽だったら移住したいと、そんなこともよく考えますが冬の厳しさを思うと1年を通して伊那で暮らす自信があるとはいえません。でも、伊那の人たちは子どももおとなもそこで暮らしているのです。もっと寒さが厳しいところで暮らす人もたくさんいます。人が「そこ」に住まうということはどういうことなのかと思い巡らせてしまいます。

また、この番組では「信州ということ」が全面になっているように観ました。ある男性が「信州人」という言葉を使ったのでその印象がより強くなりましたが「信州」という呼称がなくても惹かれるものがあったと思うのはどうしてだろう。

研究会は2月7日土曜日です。国道19号線から権兵衛峠越えのルートを考えていますが凍結の可能性が大きいので一思案です。

2026/01/18

藤田美実 「内なる世界」と「外なる世界」 再び

私が藤田美実の著書を初めて手にしたのは『信州教育の系譜 上・下』(北樹出版 1989)でした。広く信州の教育について資料を集めていた中にありました。あるとき読み始めると惹きこまれてしまい何度も繰り返し読んで今日に至っています。『明治的人間像 木下尚江・赤羽巌穴・手塚縫蔵』(筑摩書房 1968/S43)も然りでした。とりわけ手塚縫蔵について書かれたところが私の心を捉えて離しませんでした。手塚縫蔵の章末はにわかに哲学書然とした筆致になります。先日、このことについて著者が触れている文章を読んでその真意を知ることになりました。その『信濃教育』第1020号 特集 手塚縫蔵先生 昭和44年11月号から引用します。

手塚縫蔵逝いてこの八月で満十七年、一つの精神共同体である信濃教育会にとって、彼の名はすでに古典である。古典は批判を許さない。彼における「外なる世界」を云々し、これをあげつらうのは無意味である。今日の教育者たるものは、彼における「存在」の語の真諦を味得すれば足りる。(はたして人はそれを味得しているだろうか。私は「存在」の一語を中心概念として『明治的人間像』一巻を書いたつもりだが、朝日新聞や読書新聞の書評も、信毎や『信濃教育』のそれも、その核心には一言もふれていない。批評家なんてのんきなものだとつくづく思う。)しかもなお私が彼における「外なる世界」を云々するのは、一つには信濃教育会がこのような古典的リベラリズムに安住しているのではないかという危惧(祀憂であれば幸いである)を感ずるからでもあるが、一つには「内なる世界」と「外なる世界」とがどうしても総合されないという、まさに日本的なこの現象をつきつめて考え、この矛盾をトコトンまで苦しまなければ日本は近代化されないと思うからであり、そこに木下尚江や山本飼山を回想することの意味もある。そしてまた私は田中正造の名前を回想している。今春私は栃木県佐野の近傍に彼の生家や終焉の地をたずね、そこの農民たちと語る機会を得たが、彼らがいまなお敬慕の情をこめて田中正造の名を口にするのを聞くとき、強く心打たれる思いがした。田中正造は内において深い罪の自覚と人間愛にささえられながら、死の床につく最後の日まで農民たちのために戦うことをやめなかった。彼においては「内なる世界」と「外なる世界」とが、なんの矛盾もなく、まことに奇妙に調和している、その稀有な人間性の不可思議さを私は言いたいのである。(『信濃教育』第1020号 特集 手塚縫蔵先生 昭和44年11月号)

私も『明治的人間像』を読んで「存在」という言葉に込められた著者の真意を十分に読み取ることはできませんでした。読み進めるなかで手塚縫蔵の章の記述のもどかしさのようなものは何なのだろうと訝しく思っていましたが、その核心が手塚縫蔵の「存在」にかかる著者の思索であったことがわかりました。

<補足>

藤田美実は19歳で大学の哲学科に入学しましたが「1年で大学がいやになり、翌年休学して信州の田舎の小学校の代用教員になりましたが、その校長が手塚縫蔵というドエライ人間で、彼から圧倒的な影響を受けました」と晩年のエッセイ『余滴』(私家版1992)に書いています。昭和35年(1935年)、片丘小学校でのことと思われます。以下、同書からの引用です。

 人間存在、即ち「私がある」、きわめて簡単な言葉ですが、実はそれは至難の業なのです。わが身に鞭うつような、きびしい罪の自覚(自己否定)がなければ人間は存在し得ません。

 私が学生時代に信州の小学校の代用教員をやり、校長の手塚縫蔵に会った話は既に致しました。私は彼において存在する人間の荘厳ともいうべき姿をかいま見たのでした。彼の日記には素晴しい言葉がたくさんありますが、特に「淡如として事なし 事なきは事ある也 存在は大事業なり 懼れ慎しむべし」*という言葉は私の最も好きな言葉です。

*(「日誌」昭八・九・一九)存在するということは生涯をかけての大事業である。手塚の「存在」は、不作意にみえて作意、自然にみえて必死の精進努力の結果であった。

(藤田美実「手塚縫蔵に関する断章―キリスト教の日本的受容―」(『明治大学教養論集』20110118))


比叡山登山

昨日、比叡山を登ってきました。ルートは日吉大社脇の石段から延暦寺に至る表道です。整備された登山道で一時積もった雪も溶けたとのことで靴は思い切ってコロンビアのセイバーミッドで登ることにしました。2年前に白駒の池の遊歩道で雪で滑って右足首を骨折してからというもの山行は常にモンベルの総革アルパインクルーザー、ハイカットで足首を固めるスタイルでした。ミッドカットでの登山はどんなものかと戦々恐々でした。一足毎に地面を確かめながら慎重にスタートしました。結果、何の不具合もなく登り切ることができてほっとしました。これは大きな収穫です。何よりも自分の足への不安がかなり解消しました。違和感は残っているので無理はできませんが軽快な靴でもっと歩いたり登山をしたりしたいと思います。


比叡山は車で訪れたことはありますが自分の足で登ったのは初めてで面白かったです。駐車場や登山口までのアプローチ、坂本の町の歴史的建造物や町並みから始まってかつては車が通っていたという登山道の荒れた姿、垣間見える琵琶湖など新鮮でした。また、地元の人と思しき高齢の男性との会話も興味深いものでした。赤い洋傘の先っぽをザックから突っ立てていました。地蔵さんの掃除などをしているとのことでした。表道1時間半というコースタイムは地元の人たちにとっては週末の山歩きにちょうどよいのでしょう。

延暦寺についてまず鶴㐂そばで昼食としました。登山で汗をかくほどだったので冷たい門前そばが美味しく胃にやさしく思えました。延暦寺は根本中堂の改修工事がなんと30年まで続くとのことで工事の見学となりました。屋根の細工や梁の極彩色の絵が近くで見ることができてこれはこれで面白いものでした。お香を買い求めて延暦寺を後にしました。

下山は予定通りケーブルカーとしました。屋上の展望台で景色を見ていたら乗車が始まっていて車両のいちばん後ろ、高いところのドア前の通路で立ったままとなりました。でも、車両のすべての窓からの風景を見ることができて堪能しました。ごとごとと揺れながらゆっくり進むケーブルカーは少し怖くもあり登山の疲れはいつしか忘れてしまいました。

思い返すと昨年末から訪れた山は半分は観光でした。八幡山、多度山、そして比叡山です。それぞれに史跡や社寺があり、登山を地元の人たちに親しまれている山です。体力的にも余裕がある山行でリフレッシュしました。

2026/01/11

枯れた花

 いつだったかNHKのテレビで京都の花を巡る創作家2人を紹介している番組を観ました。ひとりは日本画を描く女性、もうひとりは枯れた花の写真を撮る男性でした。日本画はすんなりと目に入ってきたのですが枯れた花の写真は目が釘付けになりました。わざわざ枯れた花を撮るのはどうしてなのか、すぐにはわかりませんでした。花づくりをしていると見頃を過ぎた花、花殻はどんどん取って捨ててしまいます。チューリップは花が盛りを過ぎると球根に栄養が貯まるように首をちょん切ってしまいます。でも、その枯れた花の写真を撮るのです。

この秋も終わる頃、玄関先のポットに植えたアンネのバラが一輪咲きました。アンネのバラは明るいオレンジ色で咲き始めてだんだん赤みが増して濃いオレンジで花が終わります。その色の変化がきれいです。そして、いよいよ萎れ始めると花びらは縮れて色は茶色に変わります。花びらは薄くなります。その変化がとても美しく感じられて毎日しっかり見るようになりました。でも、ちょうど忙しい時期だったので写真はスマホで撮っただけでした。

萎れて枯れたアンネのバラの佇まいはNHKの番組で紹介された写真家が撮った花を彷彿とさせました。その写真家を知りたいとネットで探しましたが情報はありませんでしたが、田島一成が枯れた花の写真集『WITHERED FLOWERS』(Akio Nagasawa Publishing 2020)を上梓していることを知りました。限定900部で入手は難しいと思いましたが1冊だけ見つけて取り寄せました。色調は紫が基調で萎えた花びらが重なって縮こまる姿は存在感がありました。これまで次から次へと花が咲き続けるように盛りを過ぎた花を摘んでばかりでした。散る桜もピンク色だからこそ注目されますが枯れた花や枯れゆく花もこれまで多くの人たちがその姿に思いを重ねてきたはずです。枯れた花と巡る人たちの営みにも気持ちを向けていきたい。


2026/01/04

レヴォーグ

この年末年始の休みは曜日の関係で9連休でした。恒例の掃除などの他にレヴォーグの納車や年始ツーリングがあってときめく休みとなりました。

レヴォーグは初のフルタイム四駆で積雪期でないと本領発揮はできないのですがビルシュタインのサスペンションも相俟ってか不思議な走りをします。急加速急ブレーキはしていませんが姿勢を変えずに加速して止まるのは分かります。シートのホールドも心地よく加速や減速、わずかな方向の変化など挙動が掴みやすい。アテンザもそうでしたが直進するだけで身体がすっきりするような感覚になります。ペダルも踏んだら踏んだだけ、踏む速さだけきちんと応答して気持ちがいい。高速道路での追従コントロールをはじめ衝突軽減ブレーキがあるのは大きな安心です。ボディカラーのピュアレッドは乗り込むたびにリフレッシュしていいものです。

レヴォーグは岐阜まで受け取りに行ったのですが下取りのオデッセイは夏タイヤで査定してもらったので1週間でスタッドレスから戻すことになりました。レヴォーグのスタッドレスは付いていたのですが後日送付となって昨日届きました。届いてわかったのはインチダウンだったことです。さて、どうするか。標準の18インチのホイールはブロンズのアルミを用意してあるのでタイヤだけ調達するだけで賄えます。何しろ付いていたスタッドレスは16年製造なので限界は明らか。一度そのセットに交換して走って決めるのが賢明なのでしょう。それにはロックナットを外さないと…

<追記>2026.1.6

ロックナットは地元のスバルで外していただきました。ロックナットは記念に手元においておきたくて持って帰りました。どうやって外したのかわからないのですがナットに無理な力がかかった形跡は見つけることができません。要した時間は実質十数分といったところだったと思います。

さて、楽しみにしていた(と過去形です)18インチのブロンズのホイールは、何と!17インチであることがわかりました。よく見ると17インチで出品されていました。レヴォーグVmに使っていたとの説明でサイズまで気が回らず、色と程度、値段に目がくらんでしまっていました。先日届いたスタッドレスタイヤホイールセットも17インチでタイヤは215/50R17です。今着いている夏タイヤは225/45R18です。どちらも「適合」です。どうしたものかと悶々と考えています。50の方が「乗り心地」は良いはずで、このことは今後メリットの方が大きいのではないかと思い巡らせています。今の225/45R18を乗りつぶした後ブロンズのホイールに新たに215/50R17のタイヤを着けてスタッドレスは今の17インチのホイールを続けて使うというのものです。経済的にもそれが最善の選択です。急ぐことはないので17インチのスタッドレスを試したい。

<追記>2026.1.11

スタッドレスタイヤに交換しました。製造年こそ2016年ですがよく見るとそこそこ行けそうに思いました。ホイールは純正ではありませんがスポークが放射状に広がるデザインなのでサイズ以上にタイヤサイズが大きく見えて気に入りました。扁平率は50ですが45と比べてちがいはわからないほどで、むしろスタッドレスタイヤのブロックパターンの方が目につきます。総じて急いで別途調達することはないという判断に落ち着きました。走りはスタッドレスタイヤ然としたものでソフトでブロックパターンの接地音が「コー」と聞こえてきます。タイヤを外したら黄色のビルシュタインのショックが見えたので写真を撮っておきました。

2025/12/14

春の花考

 今季は玄関先の春の花の苗を植える時期を逸してしまい、やっと買い求めた苗も2週間そのままで弱ってしまってポットに植えら水やりもままならない日が続いて半分が萎えてしまいまいした。かわいそうなことをしたものです。昨日、弱った苗を別のポットに植え替えてメインのポットには新たに買い求めた苗を植えました。

春の花はしばらく明るい黄色のビオラと決めて20年くらい植えてきました。昨年、ちょっと気まぐれて売れ時を過ぎて徒長している値引きされたパンジーの苗を買い求めました。商品名は「ミニパンジー シトラスMIX」で写真をさかのぼると10月20日に植えたことがわかりました。しっかり咲いてくれるだろうかと心配もしながら少し強めに切り込みをしました。果たして、この春は絢爛という形容が相応しいほどの濃く明るい色のパンジーがたくさん咲きました。今季は「パンジー オレンジスライス」です。やはり売れ時を過ぎた不揃いの苗ですが個々の花の色のちがいがわかって春が楽しみです。

2025/12/07

矢野智司近刊

 検索キーワードに矢野智司を設定して時々チェックしています。先日、彼の近刊が矢継ぎ早に出ていることがわかってあたふたと取り寄せています。

『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』(矢野智司・井谷信 彦編)(世織書房 20220412) 

『京都学派と自覚の教育学 篠原助市・長田新・木村素衛から戦後教育学まで』(勁草書房 20210821)

『愛と創造の教育学 境界を開くためのレッスン』(世織書房 20240707)

前2書は近刊といっても今世紀初出の論考が加筆等を経て編集されたものですが、それにしても300~500頁の著書3冊が毎年のように刊行されるというのは著者が内にもつエネルギー、精神の驚くべき強靭さを現わしているのではないでしょうか。

内容はしっかり刺激的です。『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』の第4章の見出し「大正新教育のなかの西田幾多郎」を目にしたときはやはりそうだったのかという驚きとともに安堵するものがありました。かつて、2年前に信州教育の系譜につながる教育が西田幾多郎の「純粋経験」に通じるものがあるような気がして知人に伝えたことがありました。まず第4章から読み始めて第1章などを参照的に目を通しています。

私の問いの核心を読みやすい言葉で露わにして突く矢野智司の論考です。

加島祥造『伊那谷の老子』を読む

前々から気になっていたこの本(淡交社 1995)をオークションサイトで入手しました。写真よりも薄汚れていて何だかなあと思いましたが葉書サイズのビニール袋が同梱されていてこちらも何だろうと思いました。入っていたのは黄ばんだ新聞の切り抜き1点と『本』など出版社が出していた小冊子の切り...