音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。
遅滞のある、ゆっくりと考える人たちの為の音楽は、シンプルで表現力があり、強く、ベーシックなものを軸にしていかなければならない。それは、感情に頼るのではなく、意味とコントロールをもって奏されるべきものなのである。喝采などにしてもそうだ。ふざけて騒々しい音をたてるのではなく、そこに意図とコントロールがなければならない。
パール・バックが『大地』の作者であることは知っていましたが、どうして音楽療法の本に執筆しているのか。疑問に思いながらも最近までその経緯を調べることはありませんでした。今回、あらためて研修資料に引用するに当たって調べると、彼女の娘に障害があって接点を知ることになりました。『母よ嘆くなかれ〔新訳版〕』(伊藤隆二訳 法政大学出版局 1993)は自分の娘について書かれた本で取り寄せて読みました。1950年、著者が58歳のときに書かれた本です。娘を学園に託したのは1930年、著者が38歳のときなので実に20年を経て書かれました。冒頭には「この話を書く決心をするまでには、ずいぶん長い時間がかかりました」とあります。その経緯はともかく、娘のキャロラインが生まれたのは1920年で、その頃の社会状況はどうだったかと思い巡らさずにはいられませんでした。中国に革命が起こった頃だったからです。娘を育てたのはアメリカではなく中国で、ひと夏は混乱した中国を離れて長崎で過ごしています。中国と日本の記述が私の目を引きました。
わたしが中国で暮らしている間に、目の見えない人も、足の不自由な人も、耳が聞こえないために話せない人も、また身体の形がととのっていない人も見たのですが、どの人も、みんなと同じようにふつうに生活していたし、またなんのこだわりもなく、だれからも受けいれられていました。といっても、その人たちの欠点が無視されていた、というのではありません。ときにはそれがその人のあだ名になっていたこともあるくらいです。
たとえば、わたしがまだ子どもであった頃の遊び友だちの中に、片方の脚が曲がっているために「びっこのチビ」と呼ばれていた男の子がいました。わたしたち西洋式の考え方では、その子の欠点をあだ名につけるというのは、ずいぶん残酷なことに思われたのですが、中国人にはそういう気持ちはいっさいなかったのです。その子の脚が曲がっているのは事実だし、その曲がっているというのはその子の一部であってそれ以外ではないと、中国人は考えていたのです。このようにその不運を当たり前のこととして受けとめられると、その子自身にとっても、心の安らぎになったようでした。
「個別具体的なその人」を知っているということではないのだろうか。殊更中国の「障害観」はこれこれと取り上げるのではなくあまりにも当たり前のこととして記述されていると読めます。また、当時、中国では家族を「施設」に入れるなど考えられない、家族が共に暮らすことが当たり前でなんら疑問を挟むことではないとパール・バックはとらえています。日本については次の記述があります。
どこへ行っても、わたしたちは親切に、また丁寧にもてなされました。娘が他の子どもとはちがうことに気づいた人は一人もいなかったようです。娘はだれからもありのままに受けいれられ、それ以上は望めないほど優しくもてなされました。それは、わたしたちにとって心の痛みを癒やすのに十分すぎるほどに思えました。
娘が障害ゆえにアメリカ人から心無い言葉を投げかけられ心をいためるパール・バックがこれほどまでに書き留めていることに私は心を揺さぶられました。近代とは…個人主義とは…根源的な問いが湧き上がっています。
『大地』は、正直なところ、その分厚さから読むことを避けていました。しかし、『母よ嘆くなかれ』を読んで『大地』も読みたくなりました。ネットでは長編として面白いと散見されますが、私はその記述、書きぶりに惹かれます。決して難しい言葉や言い回しがあるわけではなく、わかりやすいのに深い洞察が伝わってきます。全編を読み終わるのはいつのことかわかりませんが、ここしばらくの心の置きどころとなることと思います。