2020/04/21

春、静かな夜に

自宅前の歩道のハナミズキが咲きそろいました。ハナミズキの並木があることでここで住まうことを決めた人もいるくらいでとてもきれいです。樹齢は30年を超えて幹の肌は艶がなくなり中には台風で折れて倒れる木もありますが新型コロナウィルス対応で何かと思いとどまることが多い中で心が和む風景です。

テレビ番組も再放送が多くなってきたように思います。のどかな紀行番組を見ているとこの先当分はそのような光景は見ることができないしそこに行くこともできないことがまだ信じられないことのように思えてきます。不思議な心持ちです。でも、そのような番組を見るにつけて再びそうした日々が来るまで我慢しようという思いをあらたにします。そして、自分にできることをひとつずつやっていこうと思う。

歴史を遡ると疫病の大きな流行は少なからず社会に大きな変化をもたらしたと言われます。今回の新型コロナウィルスの流行も然りだと考えます。昨日の福祉系の会議でそれを考えさせられました。引く意見が多かったのですがピンチはチャンスです。人が集まる催しを行うことはできませんが十数年にわたって積み重ねてきた実績をきちんと評価すること、そしてこれから実現していきたい地域社会の姿を心に響く言葉で述べることこそ大切であるはずです。簡単ではありませんが知恵を絞りたいと思います。

先月末の沼野充義先生の最終講義でチャットの質問に「戦後初の今の大規模な疫病(新型コロナウィルス)が今後の世界文学に与える影響はどのようなものになるとお考えでしょうか」というのがありました。沼野先生の応答からの抜粋です。「・・・ヨーロッパの文学でも、実はペストとか大流行が何度でもあってデフォーだってそうだしさっき紹介したプーシキンだっていろんな人が書いてるんですね。というかもちろんカミュのあれ(『ペスト』)はなんかたいへんベストセラーになってるそうですけど・・・だからおそらく今回の体験もいろいろな優れた作家がその経験をもとにですね、作品書いてくと思います。それは間違いないと思いますが、私は個人的に今回のことで思ったのは、やっぱりね、人類ってこれほど科学技術発展させて宇宙にロケット飛ばすし巨大原発も作るし宇宙の神秘も解明するしとか、ここまで科学技術発展させながら、なんかちっちゃい目に見えないウィルスが蔓延するとこれで人間がころころ死んでいってしまって、この人間の弱さですね、ヴァルネラビリティをやっぱり思いましたね。だから傲慢になってはいけないと思うし、人間は、自分たちは弱い存在ってことをもう一度見つめ直す、そういう機会になるんじゃないかと。で、そういった弱いものであるという自覚をいちばん受け止めるのは文学ですね、やっぱり。」 病弱教育に携わってきたので病気や医療、死生学の本を少しずつ集めていて先日から順に手に取ってページをめくることが多くなってきました。前に生物学者の福岡伸一氏のNHK「最後の講義」を観たり著書『西田哲学を読む――生命をめぐる思索の旅 動的平衡と絶対矛盾的自己同一』を斜め読みしたりしていたので朝日新聞の「「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡」は出るべくして出た論考だと思いました。今後、文学や物語、人々の語りが担う役割が大きくなってくるでしょう。

風もなく静かな夜、グールドが弾くバッハを聴きながら…

『レディ・ムラサキのティーパーティー らせん訳「源氏物語」』

 高橋亨の一連の著書と並んで今私が注目するコンテンポラリーの源氏物語論です。とんでもなく面白い。毬矢まりえ・森山恵の共著です。 毬矢まりえと森山恵はアーサー・ウェイリーが英訳した源氏物語を邦訳しています。ひょんなことからその「らせん訳」を読む前にこの『レディ・ムラサキ・・・』を読...