2003/04/26

詞とモード

■昨日の夕方は山も家も霧で霞んで、白夜とはこんなのだろうかと思いながら車を運転していました。ATACカンファレンス2001京都で北欧の話を聴いて考えさせられたことがありました。ノルウェーだったとかな? 広い国土にそう多くない人が点々と住んでいて、成人したら独立して住むから高齢になってひとりで住むケースが多いとか。お年寄りを一か所に集めて「面倒をみる」という発想はもとよりない。個人主義だからだろうか。白く霧に包まれた山や家を見てそんなことも考えてしまいました。
■昨夜、テレビをつけたらNHK-ETVの「人間講座~永六輔・なぜ歌うか」が始まったところでした。中村八大と作った『こんにちは赤ちゃん』、いずみたくと作った『見上げてごらん夜の星を』などを永六輔自身が歌った。ピアノは小泉源兵衛。ジャズもシャンソンも弾いてきた、ピアノで話をするようなピアノ弾きです。曲はメロディーも詞もコード進行もそれらのマッチングも何もかもがバランスが取れていて聴き入ってしまいました。日本語の歌、今の、同時代の日本の歌、日本語が日本語として美しい歌を大事にしなければと思いました。日本語が美しい歌はメロディーも美しいはずです。日本語に限らず、詞が美しい歌は旋律も美しいはずだと思います。
■折しも玉木宏樹の『音の後進国日本~純正律のすすめ』(文化創作出版 1998)と『猛毒!クラシック入門~誰も言えなかった内緒の話』(同 1993)を古本屋で見つけました。モードについてかなりのページを割いています。モードはもとよりそれぞれが純正律です。平均律のピアノを使うとそうはならないのですが、知識として知っておくのは大事なことです。私が使っているKORGのキーボードSP200は純正律が選べるようになっています。
■ここのところ週末は物書きに使っています。物を書くには時間がかかります。平日は物書きをする時間がなくて悶々と過ごしているから土曜日は朝からパソコンのモニタを見つめてキーを叩いています。資料もあれこれ見るからテーブルはすぐいっぱいになってしまいます。三重ミュージック・ケア研究会もポコ・ア・ポコも本業もいよいよ忙しくなってきました。

2003/04/21

若葉の頃

■日曜日はひょんなことから半日田植えをしました。山の中の田んぼに素足で入ってもち米とこしひかりの苗を素手で植えていきました。泥の感覚がとても気持ちよくて頭でっかちなこの頃の私にはまたとないひとときとなりました。山も新緑の緑が目にやさしくて、田植えの帰りに車できいたのはサラ・ブライトマンの『若葉の頃』ばかり! サラ・ブライトマンはやっぱり英語を母語とする人だと思います。彼女の英語の歌のなんと心地よいことか!
■週末はずっとパワーポイントでプレゼンテーションのファイルを作っていました。勤務校の新任研修のプレゼンテーションで、テーマは「呼吸介助のしかた」と「自閉症児とのコミュニケーション」です。作り始めるとあれもこれもと増えていってスライドは150枚を超えてしまいました。呼吸介助は実習も入るので70分でどうなることかとやきもきしていましたが、終わってみると時間が短いのでかえってポイントをはずさずに話を進めることに集中してよかったです。もちろん細かなところまでは触れられませんでしたが、何かのきっかけとなってくれればと思っています。

2003/04/17

TRON

■このところまた1日48時間欲しい毎日です。いちばん欲しいのは考える時間ですがその前に本や資料を読む時間かも知れない。ビジョンを描くにも情報が必要ですね。膨大な情報が…
■困ったことにそれでも見たいテレビ番組がありました。NHK-TVの「プロジェクトX~TRON」です。TRONがパーソナル・コンピュータのOSにもなって欲しかったと、またあらためて思った。そして、TRONを開発した坂村健氏の志の高さにまた惚れ込んだ次第です。
■この番組を録画したテープはNHKの「変革の世紀 第2回 情報革命が組織を変える~崩れゆくピラミッド組織~」(2002年放送)の残りです。録画するテープを探していて、このテープなら続いてTRONを入れてもいいな、と思いました。これら2つの番組に共通することはソフトの重要さです。個人の判断、自己決定の重要さです。TRONもLinuxのようにオープン・リソースです。かかわる人ひとりひとりが自己決定と自己責任で協働(コラボレーション)しながら新しいものを創り上げる。「変革の世紀」では、指揮者をおかず、メンバーひとりひとりが同じ権限をもつオルフェイス管弦楽団が取り上げられています。でも、ジャズのセッションではずっとずっと前から当たり前となっていることです。そして、音楽療法のセッションもそうです。セラピストとクライエントという関係ははっきりありながらも、音楽療法の本態であるセッションは対等な相互的なものです。コンピュータも音楽もこうなるとフィロソフィー(哲学)の課題となってきます。何でもつきつめるとそうだけどね…
■先週土曜日に、『それが僕には楽しかったから』を買った古本屋に行ったら、近くにノキアの本とハッカーの本があって、ちょっとそろい過ぎではないか! ノキアの本をパラパラと見たら、ノキアとフィンランドとのかかわりについて1章使ってあって、なぜフィンランドかということが細かく書いてありました。ふむふむ…。ハッカーの本も興味深かったけど読む時間がない! どちらも買わずに帰ってきました。

2003/04/11

北欧とICFと英語

■雨が降って寒い一日でした。明日も雨とか。でも、木々の新芽は日に日に大きくなって鮮やかな黄緑色です。庭の花や草たちも出揃いました。今夜、サーモンのハーブ蒸し焼きに使うローズマリーを庭で摘みました。小さな花がたくさん咲いていました。春本番ですね。でも、春一番はいつ吹いたのだろう…
■今週の通勤ドライブはABBAばかりきいていました。年度末年度始めと体も頭もいくつあっても足りないくらいの毎日、通勤ドライブだけが自分の時間です。今夜はアンヌ・ドゥールト・ミキルセンの『サイレント・タイム』をきいています。アンヌはデンマークのシンガー・ソング・ライターで、このアルバムはデンマークの」詩人ハルフダン・ラムスセンの詩に曲をつけて歌っています。デンマーク語なので詩はさっぱりわかりません。でも、このCDをききたくなることがあります。
■フィンランドに住む日本人からメールをもらったことがあります。1年前にスウェーデン在住の音楽療法士、大滝昌之先生と話をする機会がありました。先週はラムセバンドの演奏と先生方の話をききました。『それがぼくには楽しかったから』を読んでLinuxの“生い立ち”とフィンランドのことをどこかで結びつけてしまっています。
■昨年秋、スウェーデンに行った人から、スウェーデンでは延命治療はしないという話をききました。福祉は充実しているが延命治療はしない。尊厳死も北欧生まれの理念ではなかったか…。北欧といえば家具がよく知られているほか、携帯電話のNOKIA、自動車のSAABとVOLVOも北欧生まれですね。興味は尽きません。
■独立行政法人国立特殊教育総合研究所(以下、「NISE」)の研究報告書、『通級指導教室における早期からの教育相談』(課題番号:11610307 平成14年2月)を読んでいたら『障害をもつ子を産むということ-19人の体験』(中央法規出版 1999)が資料文献にありました。私にとってこの本は地元の書店で見つけたものの先に誰かに買われてしまったという曰くつきです。NISEの研究報告書の論文名は「保護者の『語り』から考える早期からの教育相談」で、NISEの聴覚・言語障害教育研究部の久保山茂樹・小林倫代両氏によるものです。この本も論文も胸打つ言葉にあふれています。
■飛躍しますが、あれこれ考えていつも行き着くところが障害学、「障害」とは何?いうことです。WHOのICF(Intrenational Classification of Functioning)の理念を私は支持します。理屈っぽくなりますが、「障害」ということについての捉えが曖昧だと障害児教育の理念もビジョンも一貫性を欠くことになってしまいます。理論とは地図のようなものだと思っています。迷ったとき、地図があると助かるのは言うまでもない。地図があるとビジョンも進むべき方向も確かなものとなります。ICFの日本語訳は厚生労働省のサイトのここで読むことができます。
■先週のラムセバンドのコンサートと音楽療法レクチャーで、スウェーデンでは小学校から英語教育が行われていると知りました。レクチャーも英語でした。英語でなくてもいいけど日本も外国語教育を小学校から始めるべきではないかと思う。外国語で自分を知って表現することは物事を客観的に捉えるスキルを獲得することだと考えます。自閉症スペクトラム障害の子たちが視覚シンボルによるコミュニケーションを学ぶことと通じるものがあると思うのだが…

2003/04/05

ラムセバンドとLinux

■ひょうご子どもと家庭福祉財団主催の「スウェーデンの知的な障害を持つ子どもたちのラムセバンドによるヴァイオリンコンサートと音楽療法レクチャー」に行って来ました。
■ヴァイオリンは自分で音をつくっていく楽器ですね。ラムセバンドのヴァイオリンの音は太くてやわらかくてあったかいのです。そして、アーティキュレーション、曲の歌わせ方というのか、これぞ音楽の醍醐味というツボを押さえた音楽性の高い演奏でした。これはただごとではない!としっかりきくと、ピアノがあやしい。テンポの取り方に絶妙な揺れがあるのだ。音はやわらかくて強弱は抑え気味です。とてもうまく音をコントロールしている。コンサート後のレクチャーで『きらきら星』を弾いたとき、左手がやはりあやしい動きをしている。そして、ブルースを弾いたら抜群に楽しい。スイングに心得があるのだとわかってあやしい魅力に納得しました。拍を意図的にくずして演奏する人やきく人の情動が音楽の流れから一瞬自分のものとして返されてくる場、空間、時間を作っている、というのかな? これはジャズだけでなくすべての音楽にいえることです。子どもたちの演奏にも懐の深さ、歴史の長さを感じました。音楽が自分たちの言葉になっているわけです。歌も入って楽しいコンサートでした。
■プログラムはスウェーデンの民謡やメンバーが好きな新しい曲、そして、ABBA(アバ)の曲がいくつか入っていて少し考えてしまいました。ABBAは私も好きでCDを買い直したくらいです。ABBAの曲はスウェーデンの伝統的な音楽や詩のエッセンスがたくさん含まれているのではないでしょうか。吟遊詩人かも知れません。コンサートの最後はABBAの『Thank you for the music』でした。
■会場は兵庫県淡路島の淡路夢舞台国際会議場でした。設計は安藤忠雄氏だとか。斬新といえば斬新だけど私にはとても心地よい空間でした。明石海峡大橋を初めて渡ったのは4年前、高松に出張に行ったときでした。見かけ上単に巨大な吊橋というだけですが、その大きさにを目の当たりにすると圧倒されてしまいます。高速舞子のバス停もなんと高いこと!おそらく 4~5階分が1本になったエスカレーターもただ長いだけだけどそれだけでインパクトがあります。こんなものを造ろうという発想の源、哲学はどこからどんなふうに生まれてくるのだろうか。
■朝、車を地元の駅近くの駐車場に入れて気がついた。電車で読む本を持ってこなかったな…と車の中を見渡すと、少し前に買った本が袋に入ったまま置いてあったのでバッグに入れました。リーナス・トーバルズとデイビッド・ダイヤモンド著『それがぼくには楽しかったから』(小学館プロダクション 2001)です。リーナス・トーバルズといえばLinuxを開発したあのリーナスさんです。これは「全世界を巻き込んだリナックス革命の真実」とのこと。読んでみると「詩と真実」です。Linux開発の専門的なことから生い立ち、毎日の生活、人生の哲学まで、本人とジャーナリストの二人がいろんな角度から書いていて読み物としてもたまらなくおもしろい。さらに、フィンランドについての記述も興味深い。歴史から生活習慣、学校制度、国民性、、音楽、等々、どれもが知らなかったことばかりです。フィンランドは豊かな国だと思いました。ラムセバンドはおとなりのスウェーデンです。演奏とレクチャーから直に感じた北欧の印象はやはり豊かということでした。障害があってもなくても高いQOLがあるように感じました。レクチャーには何度も個人の「尊厳」という言葉が使われました。何の違和感もなく私の耳に入ってきました。また、『それがぼくには楽しかったから』を読むと、Linuxは、北欧、ヨーロッパで生まれるべくして生まれたのではないかと考えてしまいます。アメリカにはヴェンチャーという言葉が、ヨーロッパにはアヴァンギャルドという言葉がお似合いだと思うのだが…

2003/04/04

“さくら横ちょう”

■春の宵、桜は満開。夜桜を目の当たりにすると、歌曲『さくら横ちょう』(加藤周一作詩、中田喜直作曲)がきこえてきます。そして、梶井基次郎の『桜の樹の下には』の印象深い冒頭が頭を過ぎる。「桜の樹の下には屍体が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。」 平安時代、花といえば桜の花だった。桜の花へのなんと想い入れの深いことか。
■ポコ・ア・ポコ スプリングセッションが終わりました。最終日は19人の子どもたちの参加があって、私を含めて36人というポコ・ア・ポコ始まって以来の大勢のセッションとなりました。反響の大きさに驚いています。大勢だとそれなりの雰囲気があっていいものですが、ひとりひとりのお子さんとのていねいなやりとりは望めませんし、大勢の中では落ち着けないお子さんもいます。今後はグループ分けも考えていかなくてはなりません。昨年夏、ポコ・ア・ポコを始めたときはほんの数人の小ぢんまりとした集まりでした。“初心”を大事にしながらニーズにお応えしていきたいと思っています。

2003/04/01

音楽も人生も単純じゃない!

■ポコ・ア・ポコのセッションは日によって参加者が大きく変わります。ときにはひとりのこともあります。ミュージック・ケアの技法は加賀谷式集団音楽療法ですから基本的に人数に制限はありません。ある程度の人数があってできるプログラムもあります。だけど、少人数だから、ひとりだから可能になることもあります。子どもがよく見えること、ひとりひとりに応じたアプローチができることです。保護者の方ともきめ細かなやりとりが可能です。個人セッションとグループセッションの組み合わせ、さらに認知学習などのプログラムを組み合わせた発達支援が望まれます。千葉淑徳大学発達臨床研究センターは週に2回の認知学習と1回の音楽療法という組み合わせで発達支援の臨床研究をしています。こうした支援を選ぶことができる子どもたちは幸せだと思います。医療機関で診察を受けても実際の支援は学校や家庭に委ねられます。学校が果たすべき役割は専門的かつ総合的だと考えています。
■ドン・キャンベル著『アマデウスの魔法の音・集中力』(角川書店2002)のCDをきいています。日本音楽療法学会理事長日野原重明氏推薦で、「全米で200万部突破のベストセラー・シリーズ集大成 受験生、試験をひかえたビジネスマンへ 世界一簡単に、短期間で集中力がつくモーツァルト効果!!」と帯にあります。CDをきく時間があったら勉強する方がいいのでは?と思いながらも、長い目で見て“モーツァルト効果”はあると私は考えています。モーツァルトを知らないよりも知っている方が人生がちょっとおもしろいと思う。そうそう、このCDはモーツァルト効果の音楽として「身体と精神の健康改善を目的に『キー(調)』『テンポ』『周波数』等の音楽的要素に編集、処理加工を施したモーツァルトの音楽を指します。たとえば通常のレコーディングとは異なり、下記の生理機能に効果を生み出すために、高周波数と低周波数が強調されて録音されています。」とありますが、私には音楽的にあまりおもしろくない演奏です。シュテファン・ツヴァイクではないが“デーモンのささやき”もやっぱり欲しいと思うのです。音楽も人生もそんなに単純じゃない!

『レディ・ムラサキのティーパーティー らせん訳「源氏物語」』

 高橋亨の一連の著書と並んで今私が注目するコンテンポラリーの源氏物語論です。とんでもなく面白い。毬矢まりえ・森山恵の共著です。 毬矢まりえと森山恵はアーサー・ウェイリーが英訳した源氏物語を邦訳しています。ひょんなことからその「らせん訳」を読む前にこの『レディ・ムラサキ・・・』を読...