昨日、以前勤務していた特別支援学校のPTAのサマースクールでミュージック・ケアのセッションをさせていただく機会がありました。7月と8月はポコ・ア・ポコをお休みとしましたがスポットのセッションが3回入ってきています。スポットとはいえ、何年も続けていると関係性も深まります。今回もミュージック・ケアの文脈に沿った空間の中ですっと始めることができたのはすばらしい。ほんとにすごいことと思って感謝しています。お母さん、きょうだいのみなさん、先生方も楽しんでいただけたものと思っています。長い夏休みのたった1日ですが、親子、家族が同じ体験をして帰り道や家でふと思い出しては見合ってニコッとする、そんな豊かないとなみ、関係性につながることを願っています。
2016/08/13
2016/08/05
「あん」を読む
今週後半は鳥取に出張でした。3日間、ホテルと会議場の往復に終始しましたが、ふと、ドリアン助川の「あん」が無性に読みたくなって家に帰るのが待ちきれず鳥取で2冊目を買い求めました。作品としての「エンド」はもちろんテーマの「解決」ではないのですが、テーマについてひとつのみちすじを示すことは文学作品として不可欠です。「あん」が示しているみちすじは、しかし、ひとつのみちすじに止まらず、人間一人ひとりの存在の意味を示唆しているように思っています。もっとたくさんの考え方があることはわかっているつもりですが、私にはこんなにも心を揺さぶられる言葉で語られるのは他にないかもしれません。ここしばらくいくつかのことがあって読みたくなったのは「あん」でした。この余韻はしばらく続くでしょう。
出張の夜はふだんできないことにじっくり取りかかる時間でもあります。「南の風」のホームページが閲覧できるようになりました。ずっとずーっと更新できていませんが、ポコ・ア・ポコの音楽療法はぶれずにホームページでお知らせのとおり続けています。よろしければ右のリンクの「南の風」からご覧ください。
2016/08/02
「障害学を再考する」紀伊國屋書店新宿医書センター
津久井やまゆり園の事件をテレビで知ったときは身体が凍りつきました。犯人の状況が明らかになるにつれて私はこの事件に止まらず根源的な思考の領域に踏み込もうとしてしまいます。この事件を機に紀伊國屋書店新宿医書センターで「障害学を再考する」というコーナーが設けられました。本はネットで買えますが、このコーナーを想起した人のメッセージはやはりその場に行って本に囲まれてみないとわからないように思います。こうした一人ひとりのアクションが今後長期にわたって積み上げられることを切望するとともに私自身ができることをしっかり見直していきたいと考えています。
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『レディ・ムラサキのティーパーティー らせん訳「源氏物語」』
高橋亨の一連の著書と並んで今私が注目するコンテンポラリーの源氏物語論です。とんでもなく面白い。毬矢まりえ・森山恵の共著です。 毬矢まりえと森山恵はアーサー・ウェイリーが英訳した源氏物語を邦訳しています。ひょんなことからその「らせん訳」を読む前にこの『レディ・ムラサキ・・・』を読...
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第九の本番でした。合唱で参加しました。第九を歌うのは高校以来ということだけでなく歌うことすら音楽の授業で声を出すくらいだったので高い音は出ないしすぐ酸欠になってめまいがするしでエントリーしたことを後悔したこともありました。みなさんに助けてもらってやって来れたと思っています。 大阪...
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浅井幸子は1920年代の大正新教育の潮流のひとつで1924年に池袋で誕生した「児童の村」と名付けられた小学校をはじめとする私立学校での教員の「一人称の語り」に着目して『教師の語りと新教育 「児童の村」の1920年代』(東京大学出版会 2008)を書いています。そこで教師は教育実践...
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■元ディープ・パープルのギタリスト、リッチー・ブラックモアの新ユニットのアルバムを聴きました。Blackmore’s Nightの『Under A Violet Moon』です。「ロシア民謡から中世ルネッサンス風の音楽まで…」と帯にあるようにディープ・パープルとはかなり趣きが異な...