2016/09/30

無題

週末が巡ってくることのなんと早いことかと毎週末に思います。ここしばらくたくさんのことがいきなり結びついたり、あれは伏線だったのかと思い出すことが続いています。自分がそういう認識をしているに過ぎないといえばそれまでですが、そう考えることができるのは自分しかいない。自分の人生を語るのは自分しかいないのです。

先週末の日曜日の夜8時、JR伊勢市駅前から西に向かう県道を車で走っていたとき、FM放送でドヴォルザークの交響曲第8番の第3楽章がちょうど始まりました。久しぶりに聴く第3楽章でそれとは予期せぬFM放送からです。どうしてこの時ここでこの曲なのかと一瞬戸惑いがあって胸が熱くなりました。シャッターが閉められて人通りのない商店街に沿った空いた薄暗い道にト短調の3拍子の舞曲が目に見えて流れていくようでした。何が必然で何が偶然なのか、時間軸に織り込まれた断片が何かしらのきっかけで解き放たれて目の前に現れ、それがまるで伏線だったように自分の中に落ちてくる。こんなことが続くといつしか予感が訪れる。そして、予感はあったはずなのに予期しない訪れのように事が連鎖して起こるのだ。今週はそんなことが仕事でもありました。忙しくなりますがやり甲斐もまた相応の手応えがあることがわかっています。しっかり掴んでいきたい。

明日の沼津行は本とジャスミンティー2本を持って電車に乗り込みましょう。

0 件のコメント:

コメントを投稿

手帳の憂鬱と愉しみ

さすがに新しい手帳を買い求めることに慎重になるほどいろいろ手元にあります。物欲といってしまえばそれまでですが当の本人はそこにあたらしい何かを生み出そうとする思い入れがあってのことと、これも都合のよいことを考えています。手帳歴をその意味での生産性という視点で遡ると後々見返して役立つ...