2025/08/22

藤田美実 「内なる世界」と「外なる世界」

 私が藤田美実の著書を初めて手にしたのは『信州教育の系譜 上・下』(北樹出版 1989)でした。広く信州の教育について資料を集めていた中にありました。あるとき読み始めると惹きこまれてしまい何度も繰り返し読んで今日に至っています。『明治的人間像 木下尚江・赤羽巌穴・手塚縫蔵』(筑摩書房 1968/S43)も然りでした。とりわけ手塚縫蔵のところが私の心を捉えて離しません。手塚縫蔵の章末はにわかに哲学書然とした筆致になります。先日、このことについて著者が触れている文章を読んでその真意を知ることになりました。『信濃教育』第1020号 特集 手塚縫蔵先生 昭和44年11月号』です。引用します。

手塚縫蔵逝いてこの八月で満十七年、一つの精神共同体である信濃教育会にとって、彼の名はすでに古典である。古典は批判を許さない。彼における「外なる世界」を云々し、これをあげつらうのは無意味である。今日の教育者たるものは、彼における「存在」の語の真諦を味得すれば足りる。(はたして人はそれを味得しているだろうか。私は「存在」の一語を中心概念として『明治的人間像』一巻を書いたつもりだが、朝日新聞や読書新聞の書評も、信毎や『信濃教育』のそれも、その核心には一言もふれていない。批評家なんてのんきなものだとつくづく思う。)しかもなお私が彼における「外なる世界」を云々するのは、一つには信濃教育会がこのような古典的リベラリズムに安住しているのではないかという危惧(祀憂であれば幸いである)を感ずるからでもあるが、一つには「内なる世界」と「外なる世界」とがどうしても総合されないという、まさに日本的なこの現象をつきつめて考え、この矛盾をトコトンまで苦しまなければ日本は近代化されないと思うからであり、そこに木下尚江や山本飼山を回想することの意味もある。そしてまた私は田中正造の名まえを回想している。今春私は栃木県佐野の近傍に彼の生家や終焉の地をたずね、そこの農民たちと語る機会を得たが、彼らがいまなお敬慕の情をこめて田中正造の名を口にするのを聞くとき、強く心打たれる思いがした。田中正造は内において深い罪の自覚と人間愛にささえられながら、死の床につく最後の日まで農民たちのために戦うことをやめなかった。彼においては「内なる世界」と「外なる世界」とが、なんの矛盾もなく、まことに奇妙に調和している、その稀有な人間性の不可思議さを私は言いたいのである。(『信濃教育』第1020号 特集 手塚縫蔵先生 昭和44年11月号)

私も『明治的人間像』を読んで「存在」という言葉に込められた著者の真意を十分に読み取ることはできませんでした。ただ、読み進めるなかで手塚縫蔵についての記述のもどかしさのようなものは何なのだろうと訝しく思っていました。その核心が「存在」にかかる著者の思索であったわけです。

藤田美実は著書『明治的人間像〈木下尚江・赤羽巌穴・手塚縫蔵〉』(筑摩書房 1968)において、当時の日本のキリスト教は日本に土着したもので本来の姿ではなく、手塚縫蔵のキリスト教も然りと述べています。それゆえ手塚縫蔵の中でキリスト教と天皇制が同居してしまい太平洋戦争を進める国策に賛同する言動につながったという指摘です。

…即ちナショナリズムに迎合したキリスト教は既にキリスト教ではないというのである。たとえ木下尚江の批判が厳にすぎるとしても、天皇制やその国体論、そして戦争に迎合したキリスト教は既にその純潔性を失ったものであり、極めて不純なキリスト教であるといわざるを得ない。 手塚はこのような伝統を持った「日本的キリスト教」の典型である。「吾々は天皇陛下の臣民として天皇陛下に責任を持つと同様に、吾々は創造神に対しての責任を持たねばならぬ」(「講說」昭和一八・一・三)というような言葉、あるいは今次の戦争において日本精神を世界に顕現するというような言葉は、彼の「講説」の随所にみられる。戦争指導者たちのイデオロギーをそのまま受け入れ、それをあらゆる詭弁を以てキリスト教にこじつけようとしているに過ぎない。怖るべき批判力の欠如であり論理性の欠如である。手塚は最も純粋な信仰を持っていたと書いたが、ここにおいて彼の信仰は不純なキリスト教であるといわざるを得ない。これはただに手塚一人の問題ではない。「日本に土著化したキリスト教」の悲劇である。(218-219p)

キリスト教にとっても手塚にとっても悲しい事態です。しかし、藤田は手塚縫蔵の項の締めくくりに次のように記しています。

私は今まで手塚縫蔵の思想(それはもちろん手塚個人ではなくして、いわゆる「日本的キリスト教」一般の問題であるが)に若干批判の言葉をつらねてきた。それに対して、手塚は純粋に霊界に生きた人間で、現実の問題には無関心だったのだ、という弁解が成り立つ。しかし、彼の言説は常に現実の問題にかかわっているのである。そしてそこにこそ問題があるのである。やはり私は手塚のこうした言葉を読むとき、悲しい思いにみたされる。しかもなお手塚縫蔵が私の心を捉えて離さないのはなぜだろうか。(224-225p)

「しかもなお手塚縫蔵が私の心を捉えて離さないのはなぜだろうか。」これは私にとっても大きな問いです。


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