2024/04/29

『レディ・ムラサキのティーパーティー らせん訳「源氏物語」』

 高橋亨の一連の著書と並んで今私が注目するコンテンポラリーの源氏物語論です。とんでもなく面白い。毬矢まりえ・森山恵の共著です。

毬矢まりえと森山恵はアーサー・ウェイリーが英訳した源氏物語を邦訳しています。ひょんなことからその「らせん訳」を読む前にこの『レディ・ムラサキ・・・』を読むことになりましたが私にとっては、きっと、どちらが先でもよかったのではないかと思っています。事は『源氏物語』だけではないと思うのですが、例えば、「あはれ」について、「「あはれ」は日本人にしか理解できない情趣である」などとして多角的多様な解釈に踏み込むことを躊躇させるような語り方に私は馴染めないものを感じていました。毬矢と森山はその“タブー”をウェイリーの英訳の文脈を辿ることによって胸のすくような超越をしている。ウェイリーが育ったヨーロッパの文化との関連を源氏物語の英訳に見出すエピソードには戦慄を覚えました。プルーストやエリオット、そして、聖書(キリスト教)と並べるあたりはたまらない。

高校生の頃、ブロンテ姉妹の『嵐が丘』や『ジェーン・エア』を読んで一面ヒースに覆われた荒野のイメージは強烈なものでした。今以てイギリスは訪れたことがないのにその風景は私にとって原風景のひとつといえるほどの位置を占めています。

 愛するひとを喪ったエンペラーの嘆きは限りなく、「永遠に続く嘆き」のため涙に暮れるのみ。秋分のころの美しい月夜。思い出が胸に押し寄せたエンペラーはたまらず、レディの母君のもとへ使いを送る。歌を添えて。
「宮城野(ミヤギノ)の荒野(ムーア)に吹く風は、冷たい露を結ぶ。その風音を聞くわたしは、か細きライラックの花枝を思いやるのだ」

宮城野の露吹き結ぶ風の音に、小萩が本(もと)を思ひこそ やれ
 母を亡くし心細い光源氏の行く末はどうなることか、と小萩に託して幼子の身の上を案じているのである。(24p)
レディ・ムラサキがしたためた光源氏の心もとなさを描くこのくだりは絶妙ではないか。心が揺さぶられる。「荒野」に「ムーア」と片仮名でルビをふることで寒々とした光景と光源氏の心持ちが一層際立つ。

「あはれ」を「メランコリー」と並んで述べるくだりも然り。場所によって英語の訳語も変わり、フランス語ではどうか、ロシア語ではどうかと縦横無尽に言語世界と精神世界を駆け巡る。そして、「らせん訳」の言葉が決まる。

私が源氏物語に注目するのはその語りの構造を読み解きたいことにあります。それは教育を巡る語りを紐解く術となるのではないかと、そう思っています。

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