夏休みに長野県の満蒙開拓平和祈念館を訪れたいと思い、その仕込みと読み始めた本がきっかけとなっていくつかの点と点が結ばれてその糸に巻かれているような感覚、息苦しさを感じるようになってきました。その本とは上笙一郎著『満蒙開拓青少年義勇軍』(中公新書 315 1973/S48)です。著者自身が高等小学校の先輩を満蒙開拓青少年義勇軍として見送った経験があり、戦争が終わったために同じ運命をたどることを免れた経緯があったことから当事者の視座から書かれている生々しさが伝わってきました。一気に読み終わって何度も何度も戻って反芻するように読み返しました。満蒙開拓青少年義勇軍の「事実」をこの歳で初めてしったわが身の不甲斐なさに打ちのめされつつ読みました。とりわけ「悲劇の本質」と題された終章の章末は重苦しくも同時に私の研究の方向性を示してくれているように思いました。長くなりますが引用します。
つまり近代日本の国家は、労働者・農民階級・女性に加えて、いまひとつ、〈子ども〉という存在――身体的・政治的・経済的・社会的に力の弱い者の犠牲の上に、その権力を築き上げかつ保持して来たのだ。満蒙開拓青少年義勇軍も、日本の国家が、その権力をいよいよ強化するため日本の子どもに強いた一連の犠牲政策のひとつにほかならない。
そうだとするならば、成人を対象とした一般の満州開拓制度については知らず、青少年義勇軍に関しては、単に日本国家のアジア侵略政策を突いただけでは不十分なので、その児童観の反動性をも糾弾しなくてはならないのだ。
満蒙開拓青少年義勇軍という世界史上に類例のない少年による武装植民は、近代日本の国家が、子どもというものを――あるいはもっと精確には被支配階級の子どもを、道ばたの石ころほどのものとしか見なかったところから発想されたものであった。そして、日本国家がそういう児童観 を払拭しないかぎり、こののちも同様の児童残酷事件が繰り返されないという保障は、残念ながらどこにもないのである。
著者はその「あとがき」で児童史に言及しています。
わたしがこのような本を書いたのは、序章に記したようなプライベートな動機もあるが、基本的に、女性史よりもさらに数等遅れている〈日本児童史〉の研究を、一歩でも前進させたいという念願からである。
児童観については教育を考えるうえでその根本に置き吟味しなければらなないこととして私の中で大きな位置を占めてきていたことであり大いに共感を覚えます。著者はその後、1989年に『日本児童史の開拓』(小峰書店)を上梓しています。およそ650ページの分厚い本で著者はエッセイとしていますが『満蒙開拓青少年義勇軍』に通じる当事者のまなざしのようなものを感じます。
児童観、子ども学は北本正章著『子ども観と教育の歴史図像学ー新しい子ども学の基礎理論のために』(新曜社 2021)でも最後に言及されています。子どもとは何か。子どもをどう見るか。幾たびかのものであるにせよその波は寄せるものだし起こさなければならないものと考えています。
最後に『満蒙開拓青少年義勇軍』の終章の締めくくりを引用します。
しかし日本の国家が、子どもを道ばたの石ころとしか見ない児童観をみずから進んで払拭することなどは、およそ考えることもできないし、寡頭独占的な資本主義にもとづく現代日本の権力構造からいっても不可能であろう。となれば、日本国家の児童観の転換は、当然ながら、わたしたち日本の民衆が国家に迫って実現する以外に方法はないということになる。――満蒙開拓青少年義勇軍のような児童残酷事件をふたたび招来せぬために、わたしたち民衆の負うべき責任は、なかなかに重いといわなくてはならないのである。
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