■10月はじめに四日市に行きました。近鉄デパートの地下の本売り場にいたら、本を見ている人がなんとなく自分の感覚とはちょっとちがうように思えてきました。どうしてなんだろう。男も女も身だしなみや立ち居振舞いがちがう。近鉄デパートは近鉄四日市駅と同じビルです。本売り場がホームに近い地下にあるのは時間待ちの客をねらってのこと。たぶん、本売り場の客はほとんどが電車とバスを利用する人なんでしょうね。ふだん、車の生活をしている私にとってはちがう文化圏に来たみたいでした。街を歩き、電車やバスに乗るスタイルです。となりの無印良品の服が突然身近に思えてきて三つボタンのジャケットを買ってしまいました。ふだん着る機会もほとんどないカジュアルなのに…
■歩く、という言葉に惹かれたのは、高校のとき、テストで小林秀雄の『モオツァルト』と出会ったときでした。「モオツァルトは歩き方の達人であった。」という冒頭は、なぜか私の目を釘付けにしました。モーツァルトの音楽は歩くように流れる。リズムも身のこなしも流れるようで、その歩き方全体が音楽なのです。モーツァルトはいとも簡単に歩くように音楽を作る。そんなモーツァルトの音楽をきき、音楽を感じながら街を歩いたこともその頃の思い出です。
■昨日は鈴鹿のベルシティでカフェに入りました。ひとりでした。地元でひとりでカフェに入るなんて、もう、何年もないことでした。車を止めてではなく、歩いていてちょっと寄った、というコーヒータイムです。オープンなカフェで、通路のすぐ横の席にしました。大きなガラスのケースにはベリーがいっぱいのったケーキもありました。日曜日なのに“仕事”が頭を離れない午後のひととき、ちょっとうれしい時間でした。
■街を歩くように山も歩きたいと思っています。車から降りて、そして、いろんな繭から出て、自分なりに歩いたらどんな毎日になるんだろう。
2001/10/15
歩く、というスタイル
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