荻原規子の作品(角川書店 2008)です。これもあるタドキストのメディアマーカーで知りました。週末に届いてこの土日に時間を見つけて一気に読みました。この本は中学校の図書室がちょうどいい居場所のように思いました。読むのは女の子でしょう。私はこの本を読むには心理的なことを知り過ぎていて「そうそう」と思い当たることが多々ありながらも、物語(ファンタジー)のおもしろさに惹き込まれてしまいました。そして、神社というどこにでもありながらその民族学的な文脈があまり知られていない文化が物語の舞台になっているのでその記述のひとつひとつが私のアンテナを刺激しました。今流行りの「パワースポット」を訪れるかのような感覚を覚えました。物語は遅々として第3巻でも展開の予想がつかないようですが、私は泉水子も深行も早くおとなになってほしくないと思っています。早速第2巻を注文しました。
2010/06/20
2010/06/14
6月の日曜日のポコ・ア・ポコと“はやぶさ”
6月の日曜日のポコ・ア・ポコは8家族のみなさまに来ていただきました。松阪市サマースクールのボランティア養成講座がきっかけでご参加の方など、おとなの方が多いセッションでしたが子どもたちは臆することなくプログラムをこなしてくれました。昨日は梅雨空の下、しっとりとした落ち着きがありました。
日々感動や考えることはあるものの慌ただしい毎日で2週間のブランクとなってしまいました。昨夜は“はやぶさ”が地球に帰ってきました。閉塞感のある昨今、小さな惑星探査機が日本にもたらす期待感は決して小さくない。まだまだやれる! あきらめてはいけない! 夢をもって! そんな前向きな気持ちを育ててくれる“はやぶさ”だと思います。オーストラリア国立大学の教授がこう語ったとか。「もし分析可能なサンプルが採集できたら、それは追加のボーナスだよ。このミッションはすでに驚異的で、まるでおとぎ話のようだった」(AFP)
6月に入った頃からスカルラッティのソナタが聴きたくなって「キース・ジャレットの香りがする」とのレヴューを読んで水永牧子のチェンバロのCDを取り寄せました。スカルラッティは大学のときFM放送から録音したアンドラーシュ・シフのピアノを聴き込んでしまい、シフが来日したときはコンサートに行きました。スカルラッティは年代的には古楽の末期に位置しますが、その作風はダイナミックで今なお弾き込まれようとしています。同い年のバッハが均整ならスカルラッティは人間の詩と真実か。水永牧子の演奏も楽曲の構造感を際立たせていて胸のすく思いがします。
手帳の憂鬱と愉しみ
さすがに新しい手帳を買い求めることに慎重になるほどいろいろ手元にあります。物欲といってしまえばそれまでですが当の本人はそこにあたらしい何かを生み出そうとする思い入れがあってのことと、これも都合のよいことを考えています。手帳歴をその意味での生産性という視点で遡ると後々見返して役立つ...
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この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。 「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚...
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9月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。私は夏の疲れが出て始まる前から少々おぼつかないところがありましたが、子どもたちが来てくれるといつもの元気が戻って密度の濃いセッションとなりました。曲の終わりの「静」をみんなで感じることの達成感はいつも素晴らしい。...
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検索キーワードに矢野智司を設定して時々チェックしています。先日、彼の近刊が矢継ぎ早に出ていることがわかってあたふたと取り寄せています。 『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』(矢野智司・井谷信 彦編)(世織書房 20220412) 『京都学派と自覚の教...