今日で今年度の非常勤講師の仕事がすべて終わりました。私は特別支援学校小学部の初任者指導と2つのクラスに補充で入りました。もしかするとここで子どもたちとこうして過ごすのは最後になるかもしれないと思うとこの1年間そこで過ごした時間が凝縮されて手を伸ばせばそこにあるような実体感が感じられました。そこ、とは記憶の中ですが不思議なくらい鮮明です。学校の先生たちはこうした経験を数えきれないほど積み重ねているのだと今更ながら気づきました。自分の経験として身体での気づきです。定年退職まで37年間教職に就いてきてこれまでそんなことはなかったのかと問われるともちろんあったわけですが、退職までの13年間は管理職や行政職だったので教育の最前線での経験からは距離がありました。それゆえかこの1年間はことさら鮮明に意識できるものであったわけです。ちがうのはこの1年間はそうした経験を意識して言語化してきたことにあります。授業について、1時間1時間の授業の中での子どもについて、その子どもと先生について、そこにいる私が知覚したことについて、ときに補充で入ったときひとりの先生として自分が知覚したことについてとにかく言語化しようとしてきました。初任者には自分の言葉で語ってもらう。そうして授業について毎回新たな言葉を発して初任者と対話すること、その積み重ねが自分の言葉で語ることができる先生を育てる。年度末の研究授業の授業案の作成はとても面白いものでした。言葉を知らなければわからないことはたくさんある。語る言葉を知らないということは世界で浮遊しているようなものだ。もちろん「語る」とは音声言語を発することに限らない。先人たちの書き物や語りの文字起こし等々にふれて「言葉を知る」「自分の言葉をもつ」「言語化する」トレーニングを積み重ねることで人は「自分の世界」と「世界の中での自分」を見いだす。これだけではないのですがこの1年間を経て「脳の再起動」ができたのではないかと思えるようになってきました。OSのバージョンアップは今後の自分の努力次第です。しなければならないことはたくさんありますが、この1年間子どもたちや学校の先生たちとともに学ぶことができたことを感謝し、子どもたちの健やかな成長を心から願うばかりです。
2019/03/18
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