高山植物の花が咲く夏山シーズンを迎えてこの夏は自分でも意外なほど積極的に登山をしています。といっても難易度低めの山々です。先週末は乗鞍岳に行ってきました。ここも「登山口」の畳平までバスで行くのでコースタイムは80分です。でも、標高は3,026mなので私にとっては初めての3,000m超の登頂でした。乗鞍岳は日本アルプスという名前に違わずスケールの大きな山でした。
乗鞍高原観光案内所からタクシーの相乗りで畳平に着いたのは朝6時半過ぎで文字通り一番乗りでした。お花畑や登山道には誰もいない。しばしその抱かれ感に浸りました。折からの朝陽で高山植物に付いた夜露が輝きしっとりとした光景でした。ここで写真を撮っているうちにバスが着いて次々と私を追い越していきました。岩の隙間に咲く花や遠くの雲海、刻々と変わる空と池の水の色を眺めながら登りました。森林限界を超えた登山道は岩と石と土でどこも似たり寄ったりですがやっぱり一山ずつ醍醐味が違います。乗鞍岳は難易度の低い山のはずですが登る先を見ると「ここを登るのか」「ここを下るのか」と構えてしまいました。その緊張感があってこそ事故も起こらないのでしょう。頂上からは遠く槍ヶ岳などアルプスの山々を展望することができました。頂上に着いたのは11時20分でした。肩ノ小屋後ろの木のベンチで知人が淹れたコーヒーをいただくうちに西の空がガスに覆われてきて畳平に戻った12時10分頃には山の姿は雲の中で登山道はその中に消えていくという光景でした。奇跡の晴れ間だったのかもしれません。日本アルプスはまた来たいと思いました。
畳平に向かうルートは2つあって、ひとつは岐阜県側からの「乗鞍スカイライン」、もうひとつは長野県側からの「乗鞍エコーライン」です。こういった道路を往来するたびに思うのはなぜその道路が造られたのだろうということです。相当な資金が必要なことは明らかで何か大きな理由がないと始まらない。タクシーの運転手から「乗鞍スカイライン」の建設は軍事目的であったことの説明がありました。以下、Wikipediaより転載です。
1941年(昭和16年) - 陸軍航空本部が航空エンジンの高地実験施設を乗鞍岳畳平に建設することを計画。そのための軍用道路として建設を開始。設計、施工は岐阜県。
1942年(昭和17年) - 幅員3.6 m、延長約15 kmが完成。第2陸軍航空技術研究所の乗鞍航空実験所が畳平に設置される。
戦後は「公園道路」となったとのことですがこうした「軍用道路」はドイツのアウトバーンが代表格でしょうか。アウトバーンは「ナチスも良いことをした」という言説のシンボルのようですが乗鞍スカイラインも手放しでは楽しめない歴史があるということです。せめてその過去に思いを巡らしながら通りたいと思いました。
今回の乗鞍行は観光案内所から畳平まで利用したタクシーの運転手から乗鞍スカイラインの歴史だけでなくバブル崩壊でエコーラインの宿泊施設の多くが廃業したこと、熊のエピソード、自転車とバスの交通事故、道路沿いの植生や天候の変化など興味深く面白い話をたくさん聞かせていただきました。
岐阜県側の乗鞍スカイラインは道路が崩落して今月20日頃まで通行止めとなっています。私も長野県側の乗鞍エコーラインからのアプローチでした。
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