坂口ふみ『〈個〉の誕生 キリスト教教理をつくった人びと』(岩波書店
2023)は読むたびにあらたな胸騒ぎがある本です。この本の初出は1996年3月で27年後の昨年に文庫化されました。しっかり読み応えのある本でなかなか読み切れないのですが読まずにおれない1冊です。
冒頭の「はじめに」の一節はおこがましくも意を得たりと思いました。
一般の通念として、人間の「個としての個」の自覚は近代にはじまると考えられている。しかしこの通念は、かなり偏向した考えだと思われる。当然のことながら、人は誰でも、どの時代でも、個としての個の意義や感覚を持って生きていた。それが社会の表層の思想やイデオロギーのようなものになってあらわれるかどうか、は別のレベルの問題である。そしてそれがどのような形をとるかも。近代という言葉、おそらく広く捉えられているそれは、何かに蓋をしてあらたな幕開けを手に入れたかのような幻想を抱かせるものとして我々の思考を停止させてはいないだろうか。心性史の視点から見ても国の姿が変わったからといって人々の根源に宿るその人をその人足らしめているものが変わるものではないだろう。近代は恐い言葉だと思う。近代という言葉、概念によって失われた過去を掘り起こしてリアリティを回復させなければならないのではないか。坂口ふみの同著はその探究を綴ったものと受け止めています。
驚いたのは初出が1996年ということでした。私の1996年はどこで何をして社会ではどんなことがあったのかと思い返したり調べたりするとやはり27年前に出版されたこと自体に驚きます。「序章 カテゴリー」は女性研究者が抱える困難をフェミニズムの視点で描くあたりは全く今日的、同時代そのものです。インターネットが黎明期を脱し始めた頃とはいえその頃はフェミニズムの視点で物事が語られる場はなかったのではないか。そんな環境のなかできわめて今日的な問題が今なお新鮮な語りとなって記されていると読んでいます。そのエピソードから始まる同著は筆者が「これはジャンルのいりまじった書物となる。しいて分類すれば、エッセイのようなものだと思う。」と書いているとおり、非常に柔軟でリアリティに溢れる文体となっています。
読み始めた頃は遅々として進みませんでした。イエスの「愛」という言葉にも立ち止まってしまいました。キリスト教の勉強をしなければ読めないのではないかと。しかし、今年の2月、ある小学校の公開研究会で授業者が使った「愛」という言葉に思考停止に陥った体験から3か月が経った頃にこのふたつの「愛」が私のなかでつながるのではないかと考え始めました。その授業者に夏休み中にインタビューをしたいと思っていましたが準備不足のため断念しました。とにかく坂口ふみの同書をしっかり読んでからでないととんでもない間違いを犯してしまうのではないかという危惧があります。四半世紀を超えた今同著を読むことの意味を噛みしめながら読んでいきたいと思う。
ところで、私がこの本を買ったのは文庫が発売されて間もない頃で、その後、スマホやタブレットでも読めるように電子版を購入しました。その後、文庫版を登山に持って行ったとき行方不明となってもう1冊買い求めました。しばらくして車の荷室の隅っこから出てきたので電子版を含めて都合3冊を持つに至りました。
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