いつしか通勤ドライブで「白鳥の湖」ばかり聴くようになって全曲盤が6つ集まりました①小澤征爾+ボストンシンフォニーオーケストラ、②シャルル・デュトワ+モントリオール交響楽団、③アンドレ・プレヴィン+ロンドン交響楽団、④ヴォルフガング・サヴァリッシュ+フィラデルフィア管弦楽団、⑤ワレリー・ゲルギエフ+マリインスキー劇場管弦楽団です。いちばん早く入手したのは小澤盤で、その頃はYouTubeなるものもなく「白鳥の湖」のバレエも観たことがなく、ただ音楽を聴いて想像するだけでした。その頃は小澤のテンポが速く、また、テンポの揺れが大きく感じて管弦楽曲としては醍醐味を感じるもののこれで踊れるのだろうかと訝しく思ったのです。それから20年が過ぎた今、いろいろ聴いて小澤の「白鳥の湖」が私のスタンダードになってきました。彼の音楽は楽曲がこうありたいと思うそのままに表現されているのだと思います。私の言い方では「音楽が機能している」ということになります。それゆえ音楽にまつわる人たちのいろんな思い入れは一旦横に置いてその楽曲の核心を見いだそうとする。そう、まるで現象学の営みであると言えるでしょう。そのことで聴く人はあらたに自分の思い入れを重ねて音楽に我が身を委ねることができるようになる。演奏する人たち、オーケストラの団員やソリストたちも然り。一言でいえばとにかく伸びやかな演奏となる。
過去のブログから…
2004.12.15
小澤征爾指揮新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏会に行って来ました。プログラムはラフマニノフのピアノ協奏曲第3番、ベートーヴェンの交響曲第7番です。ピアノはアルカディ・ヴォロドスです。小澤征爾の音楽はヴィヴィッドです。生命力に溢れている。ラフマニノフもロマンティックだけどウェットではない。ベートーヴェンは構造的で各パートが歌っている。アンコールのウィンナ・ワルツはこれまで聴いたことがないようなテンポルバート! 小澤征爾は全身音楽なのだ。彼の感性のとらわれのなさの秘密は何なのだろう。彼の音楽は彼自身そのものだと思う。
2009.1.2
大晦日の午後、アテンザで移動中にNHK-TVで小沢征爾のチャイコフスキーの「悲愴」を少し聴きました。オーケストラはベルリンフィルでした。すごく懐かしく聴きました。小澤が振る「悲愴」を初めて聴いたのは学生のとき、NHK-FMのライブ放送だったように覚えています。オーケストラがたいへんな音量で鳴り切っていた印象があって驚きました。これがあの「悲愴」なのかと思いました。でも、チャイコフスキーのスコアに忠実な演奏だという印象もまたありました。そう、小澤が振ると、演奏家と楽器が最高のパフォーマンスを発揮するように思えてなりません。その上で楽譜通りに奏でる。こんな曲だったのかと驚き、感動します。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番もその最たる印象がありました。オーケストラの団員ひとりひとりが最高のパフォーマンスを発揮する指揮、それが小澤のマジックともいえるでしょう。
20年前と同じことを書いていますが学生の頃にもうそんなことを思っていたとは驚きました。
2024/12/14
小澤征爾の「白鳥の湖」
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