玄関先のパンジーが文字通り咲き誇っています。春の花はこれまで何年もビオラばかりでしたが昨年10月に売り時を過ぎたパンジーが値下げしているのを見つけました。商品名は「ミニパンジー シトラスMIX 10株パック」で、白、黄、オレンジの3色です。これを2パック買い求めました。花カスを切って苗をポットに植えたのは10月20日でした。ほどなく花が咲き始めましたがしばらくしてパンジーの切り戻しを知って花がすっかりなくなるほど切り込みました。それが良かったのでしょう。何本もの太い茎が伸びて今の姿となったわけです。見事な咲きぶりですがちょっと残念なのはオレンジ色の花が少ないこと。長く咲き続けてほしいのですが長くてあと1月です。夏の花の準備をしないといけない。日日草にしようか。ずっと夏の花だったインパチェンスは年々酷くなる猛暑に耐える姿が可哀そうで一昨年から日日草にしました。もう少し考えよう。
2025/04/26
2025/04/21
メダカ捕り
年度当初に理科の教科担当からメダカが要るのでどうかならないかと相談がありました。6月の内容なのでしばらく時間がありますがどうしたものかと思案していた先週末、実家の畑の草刈りに行くとき道に沿った用水路にメダカと思しき魚影がありました。ここでメダカを確保しようとその日はタモなどを買いそろえて帰りました。翌日曜日の昨日は朝からメダカ捕りに出かけました。メダカと思しき魚影が群れですばしっこく一斉に方向を変えて泳いでいました。やや幅が広い用水路を縦横無尽に逃げ回られたらとても捕れたものではありません。すると草刈り機を自転車に載せて通りがかったおじさんがもっと狭い水路に行かないと捕れないと教えてくれました。ついでに国道の向こうはマムシが出るので危ない、こちら側で捕ることも。なるほどと幅数十センチの水路に行くと所々油膜が浮いたり泡立っていたりと汚水っぽい。こんなところにメダカがいるのだろうかと水路に沿って歩いてよく見るといました。かといって簡単に捕れるものではありません。メダカたちが方向を変えるその先にタモを入れるなど何回か試していたら1匹2匹と捕れるようになりました。ときには1回で最高20匹も捕れて子どもの頃の興奮を味わっているようでした。捕れたメダカはバケツからビニール袋に移し替えて口を縛って持って帰りました。途中、メダカを触って生臭くなった手をコンビニの洗面所で洗い、釣課というか成果ありとアイスクリームを食べて一息つきました。自宅には朝から洗って水を張ったメダカ鉢が用意してあります。帰宅して早速移し替えようとしたらビニール袋の底に何匹か動かない魚がいました。メダカではない魚です。横から見るとメダカではありません。中には底に横たりながらエラが動いている個体もありました。夕方にはその魚は全部死にました。1/3はメダカではなかったことになります。メダカも2匹死にましたがおよそ30匹が鉢の中を元気に泳いでいます。教室では10匹くらい飼うことにしています。文字通り生きた教材です。
田畑の中にたった2日、数時間いただけでしたが思いのほかリフレッシュしました。田んぼで田植えが終わって細い稲が風で揺れていました。米不足が大きな社会問題となっていますが、米作りを支えている農家の人たちの知恵と努力のすごさを思い知る機会となりました。米を作りたいだけ作って売りたいところに売るという障害者の権利とも相通じる個人の意思の尊重がどれだけ守られているのかと思いを巡らせました。
2025/04/13
フランスを思うとき、再び
6月に子どもと少子化にかかわる話題提供をすることになってその準備をしています。大正新教育の文献を調べていて多産多死といわれた頃の子どもの死に対する親や教師の感情にかかる記述、つまり、心性を視野に入れることで現在の少子化の中の子どもを考えていきたいという趣旨です。これまでに目に留まったところを拾い出したりあらたな文献に目を通しています。
そうした文献の中でとりわけ面白いのは北本正章著『子ども観と教育の歴史図像学 新しい子ども学の基礎理論のために』(新曜社 2021)です。後注を入れて500ページ余もありますがこの週末でほぼ目を通してしまいました。西洋の絵画に描かれた子ども、シャボン玉と子どもが描かれた絵画を手掛かりに考察するくだりはとにかく興味深い。小林敏明著『風景の無意識 ― C・D・フリードリッヒ論』(作品社 2014)もそうですが、絵画が示され論が展開されることで論だけでなく心が動いて理解がぐっと深まるように思います。私の話題提供の内容については今日ここで云々する段階ではありませんが、「子ども観」「子ども」についてのフランス人学者のかかわりのところで目が釘付けになりました。
子ども学研究の基本カテゴリーを再構成する上で欠かせない方法論的視点は、「子ども」が歴史概念であるという発見から導かれる。柄谷行人が鋭く指摘したように、歴史概念は時間の経過によって生成し、変容するなかで「発見」されることが多い。「野生」(未開人)の発見はベルギー生まれてのフランスの構造人類学者クロード・レヴィ=ストロースによって、「狂気」(狂人)の発見はフランスの哲学者ミシェル・フーコーによって、そして、「子ども期」(子ども)の発見はアリエスによって、それぞれなされた。これらは二〇世紀の学界における三大発見といわれる(中村雄二郎)が、そこに共通するのは、いずれもフランス人学者によること、それぞれの専門分野である人類学、哲学、歴史学において、それまでの伝統的な思惟様式を覆したことであろう。概念はつねに歴史変容を迫られ、古い層に沈殿して堆積し、新しい層が表面に浮遊する。思想や文化概念のこのような積層を考古学的にたどる方法の点でも、三者は共通していた。
この本の初刊は2021年と新しい。サブタイトルの「新しい子ども学の基礎理論のために」は、当然ですが、この本の現在地を明確に示しているといえます。
手帳の憂鬱と愉しみ
さすがに新しい手帳を買い求めることに慎重になるほどいろいろ手元にあります。物欲といってしまえばそれまでですが当の本人はそこにあたらしい何かを生み出そうとする思い入れがあってのことと、これも都合のよいことを考えています。手帳歴をその意味での生産性という視点で遡ると後々見返して役立つ...
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この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。 「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚...
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9月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。私は夏の疲れが出て始まる前から少々おぼつかないところがありましたが、子どもたちが来てくれるといつもの元気が戻って密度の濃いセッションとなりました。曲の終わりの「静」をみんなで感じることの達成感はいつも素晴らしい。...
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検索キーワードに矢野智司を設定して時々チェックしています。先日、彼の近刊が矢継ぎ早に出ていることがわかってあたふたと取り寄せています。 『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』(矢野智司・井谷信 彦編)(世織書房 20220412) 『京都学派と自覚の教...