2025/04/13

フランスを思うとき、再び

6月に子どもと少子化にかかわる話題提供をすることになってその準備をしています。大正新教育の文献を調べていて多産多死といわれた頃の子どもの死に対する親や教師の感情にかかる記述、つまり、心性を視野に入れることで現在の少子化の中の子どもを考えていきたいという趣旨です。これまでに目に留まったところを拾い出したりあらたな文献に目を通しています。

そうした文献の中でとりわけ面白いのは北本正章著『子ども観と教育の歴史図像学 新しい子ども学の基礎理論のために』(新曜社 2021)です。後注を入れて500ページ余もありますがこの週末でほぼ目を通してしまいました。西洋の絵画に描かれた子ども、シャボン玉と子どもが描かれた絵画を手掛かりに考察するくだりはとにかく興味深い。小林敏明著『風景の無意識 ― C・D・フリードリッヒ論』(作品社 2014)もそうですが、絵画が示され論が展開されることで論だけでなく心が動いて理解がぐっと深まるように思います。私の話題提供の内容については今日ここで云々する段階ではありませんが、「子ども観」「子ども」についてのフランス人学者のかかわりのところで目が釘付けになりました。

子ども学研究の基本カテゴリーを再構成する上で欠かせない方法論的視点は、「子ども」が歴史概念であるという発見から導かれる。柄谷行人が鋭く指摘したように、歴史概念は時間の経過によって生成し、変容するなかで「発見」されることが多い。「野生」(未開人)の発見はベルギー生まれてのフランスの構造人類学者クロード・レヴィ=ストロースによって、「狂気」(狂人)の発見はフランスの哲学者ミシェル・フーコーによって、そして、「子ども期」(子ども)の発見はアリエスによって、それぞれなされた。これらは二〇世紀の学界における三大発見といわれる(中村雄二郎)が、そこに共通するのは、いずれもフランス人学者によること、それぞれの専門分野である人類学、哲学、歴史学において、それまでの伝統的な思惟様式を覆したことであろう。概念はつねに歴史変容を迫られ、古い層に沈殿して堆積し、新しい層が表面に浮遊する。思想や文化概念のこのような積層を考古学的にたどる方法の点でも、三者は共通していた。

この本の初刊は2021年と新しい。サブタイトルの「新しい子ども学の基礎理論のために」は、当然ですが、この本の現在地を明確に示しているといえます。

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