2025/06/27

トルストイと音楽

 4月半ばの土曜日の夜、映画「教皇選挙」を観に出かけました。その映画館というかシネマコンプレックスのエントランスに小さな音で児童合唱が流れていました。「COSMOS」でした。とても意外に思いました。卒業式の頃でもないのに、と。でも、耳に心地よく、私を包み込むように感じました。高い天井を見上げてしばし聴き入りました。オデッセイのHDDをフォーマットしてバレエ音楽だけを録音して何か月になるでしょうか。毎日バレエ音楽だけを聴き続けて、それはそれで満ち足りたドライブです。でも、シネマコンプレックスのホールの高く暗い天井から降り注ぐように聴こえてきた「COSMOS」はとても印象的でした。もう一度児童合唱を聴こうと思いました。そして、今日そのためのディスクを用意しました。

思いがけず聞こえてくる音楽にふと足を止めて聴き入るという光景は容易に浮かべることができると言っていいでしょう。心を奪われる経験のひとつです。音楽の引力は抗いがたいものがあります。先日、京都の関西日仏学館で開催されたロマン・ロラン協会の名倉有里氏の講演「ロマン・ロランとトルストイ」の後半のフロアとのやりとりで音楽家と称する男性からこんな質問がありました。トルストイは音楽にあまり肯定的でなかったが彼自身は作曲をしていてその作品はなかなかのものとのことで、そのことについて名倉氏の意見を乞いました。名倉氏はトルストイの考えはよくわかる、音楽を聴くとそこに吞まれてしまうという趣旨の話をされたと思いました。私は浴びるように音楽を聴きたい、浸りたいと思っているのでたいへん興味深く受け止めました。小林秀雄は「モオツァルトは襲ってくる」趣旨の記述を著書『モオツァルト』に残しました。そのことを知った高校生だった私は甚く腑に落ちるものがありました。モーツァルトの音楽は抗いがたく何気ない日常にも内から湧き出るように聴こえてきた時期がありました。そうなると目の前のことに気が入らず、つまり、勉強に身が入らずただ時間だけが過ぎていったものです。名倉氏は自らの経験から「音楽は言葉を奪う」という趣旨で話をされたのかもしれません。それはわかります。わかりますが私は音楽の真っただ中で身も心もそこに委ねたいというささやかな思いがあるのです。

トルストイの件の著書『芸術とはなにか』(河野與一訳 岩波文庫)を取り寄せたところ初版は昭和9年、届いたのは昭和33年2月25日 第19刷改版の本が届きました。私が生まれて2か月の頃の本です。黄ばみどころかページは周囲が茶色に変色してそれが活字のところを装飾しているように見えます。目次が見当たらないのでどこにどんなことが書いてあるかすぐにはわからない本ですが音楽のところは読みたいと思っています。

2025/06/15

安曇野と大町、そして京都へ

 先々週の土日は安曇野と大町へ、また、この土曜日は京都に行ってきました。それぞれ期待を大きく上回る充実した時間でした。道中もまた。その一つひとつはまだまだ未消化なので備忘のために差し当たって行程を箇条書きで記すことにします。

6月7日(土)安曇野

・中津川ICを出て国道19号線を北上 

・井口喜源治先生に学ぶ会に参加

・夜は大町温泉に宿泊

6月8日(日)大町

・居谷里湿原を散策

・鷹狩山にオデッセイで登って北アルプスを望む

・大町市立山岳博物館

・田んぼの中のそば屋で昼食

・いわさきちひろ美術館

・田淵行雄記念館

・塩尻北ICを出て国道19号線を南下

6月14日(土)京都

・鴨井玲展

・ロマン・ロラン研究会主催 名倉有里氏講演会「ロマン・ロランとトルストイ」


先週は仕事もまた“充実”していて昨日は心して京都までオデッセイを走らせました。今日は2週間ぶりに自宅でまったりする時間があったので朝から溜まっていた新聞をチェックしました。それに朝6時から4時間もかかってしまい、午後は1時間ほど午睡をしました。


この2週間にカーポートから玄関までのアプローチのポットの花と裏の畑と花壇の野菜と花、そして雑草は梅雨の雨を得てぐんぐん大きく、また、花を咲かせてきていました。支柱に巻きつかないキュウリを紐で結びつけ、四方八方に延びるトマトの枝をばっさり切り落とし、ピーマンに付いたカメムシのような虫を振るい落とす。今日の最高気温は31℃だったようです。暑かった。水ばかり飲んでいました。

下鴨納涼古本まつり

  京都下鴨神社薫の糺の森が会場の下鴨納涼古本まつりに行ってきました。古本まつりなるものに行ったのは初めてで、しかも神社の境内なので見るものすべてが新鮮でとても面白かったです。この古本まつりを知ったのは県内の古書店のインスタグラムです。時間ができたので思い立って行った次第です。小...