4月半ばの土曜日の夜、映画「教皇選挙」を観に出かけました。その映画館というかシネマコンプレックスのエントランスに小さな音で児童合唱が流れていました。「COSMOS」でした。とても意外に思いました。卒業式の頃でもないのに、と。でも、耳に心地よく、私を包み込むように感じました。高い天井を見上げてしばし聴き入りました。オデッセイのHDDをフォーマットしてバレエ音楽だけを録音して何か月になるでしょうか。毎日バレエ音楽だけを聴き続けて、それはそれで満ち足りたドライブです。でも、シネマコンプレックスのホールの高く暗い天井から降り注ぐように聴こえてきた「COSMOS」はとても印象的でした。もう一度児童合唱を聴こうと思いました。そして、今日そのためのディスクを用意しました。
思いがけず聞こえてくる音楽にふと足を止めて聴き入るという光景は容易に浮かべることができると言っていいでしょう。心を奪われる経験のひとつです。音楽の引力は抗いがたいものがあります。先日、京都の関西日仏学館で開催されたロマン・ロラン協会の名倉有里氏の講演「ロマン・ロランとトルストイ」の後半のフロアとのやりとりで音楽家と称する男性からこんな質問がありました。トルストイは音楽にあまり肯定的でなかったが彼自身は作曲をしていてその作品はなかなかのものとのことで、そのことについて名倉氏の意見を乞いました。名倉氏はトルストイの考えはよくわかる、音楽を聴くとそこに吞まれてしまうという趣旨の話をされたと思いました。私は浴びるように音楽を聴きたい、浸りたいと思っているのでたいへん興味深く受け止めました。小林秀雄は「モオツァルトは襲ってくる」趣旨の記述を著書『モオツァルト』に残しました。そのことを知った高校生だった私は甚く腑に落ちるものがありました。モーツァルトの音楽は抗いがたく何気ない日常にも内から湧き出るように聴こえてきた時期がありました。そうなると目の前のことに気が入らず、つまり、勉強に身が入らずただ時間だけが過ぎていったものです。名倉氏は自らの経験から「音楽は言葉を奪う」という趣旨で話をされたのかもしれません。それはわかります。わかりますが私は音楽の真っただ中で身も心もそこに委ねたいというささやかな思いがあるのです。
トルストイの件の著書『芸術とはなにか』(河野與一訳 岩波文庫)を取り寄せたところ初版は昭和9年、届いたのは昭和33年2月25日 第19刷改版の本が届きました。私が生まれて2か月の頃の本です。黄ばみどころかページは周囲が茶色に変色してそれが活字のところを装飾しているように見えます。目次が見当たらないのでどこにどんなことが書いてあるかすぐにはわからない本ですが音楽のところは読みたいと思っています。