2026/02/13

長野行

 先週2月7日土曜日、長野県の小学校の公開研究会に参加しました。2年ぶりの参加でした。その学校を訪れるのは5回目となります。訪れるたびに「おまえはここで務まるか」と問われているように思い腰が引けていましたがこの目で見ずにおれない学校でした。さらに2年前は授業後の協議会で私が抱えていた問いの「答え」がいきなり飛んできて決して大袈裟ではなく打ちのめされてしまいました。自分には子どもたちと過ごす機会はもうないと思い込んでいたので抗いようもなく悶々としていました。そんなとき講師の声をかけてもらって再び「教壇教員」となり、教育とはどういう営みなのかを身をもって問う日々が戻ってきました。池袋児童の村小学校を調べていたことも支えになりました。教室を「子どもとつくる」場として、それは“技術”ではなく肌感覚として絶えず意識しておく姿勢です。それは簡単なことではないことを思い知ることとなりましたがそんな毎日を過ごしているということの充実感はその時々にしか経験し得ないものです。その小学校の先生方の心の内をあれこれ思い巡らせながらの参観となりました。今回もそこでしか学びえない多くのものを持ち帰ることができましたがその整理は時間がかかります。

2月11日(水)建国記念日はやはり長野県安曇野市で行われた井口喜源治先生に学ぶ会に参加しました。テキストは同志社大学人文科学研究所 (編集)『松本平におけるキリスト教―井口喜源治と研成義塾』(同朋出版 1979年)で、今回は手塚縫蔵の章でした。その一部を私が受け持つこととなり、この奇遇に驚きました。前述の小学校の入り口の「詩境の像」にまつわる詩から辿り辿って手塚縫蔵につながり、藤田美実の著作の導きで私の心をとらえるようになった経緯があります。私は藤田美実が言及する手塚縫蔵の「存在」について藤田の著書から一部を紹介する資料を作成しました。この日、8年かけで読み合わせを行った『松本平におけるキリスト教―井口喜源治と研成義塾』の最終回でした。参加者のお話から松本東教会を設立した手塚縫蔵への思い入れはこの地において決して小さくないと受け止めました。貴重な学びの場となりました。

当初、前述の小学校の研究会と井口喜源治先生に学ぶ会は同じ2月7日に予定されていました。午前は小学校の研究会、午後は井口喜源治先生に学ぶ会に参加という慌ただしい行程になるはずでしたが衆議院選挙のため学ぶ会の会場の公民館が使えず11日に延期となりました。1週間のうちに2回も長野に車を走らせることになってこの2回の長野行でレヴォーグは1,100km余距離が延びました。長距離をじっくり走るまたとない機会とその9割以上でアイサイトを試しました。結果、右足首を骨折してからアクセルを踏み続けることが辛くなってきていたので大助かりでした。いろんな場面でアイサイトを使ったところ、渋滞の中でもアクセルとブレーキを踏むことなく右手指先だけで走らせることがわかりました。これはすごいことだと思いましたが「ホントに止まるのか!?」と100%信じ切れない自分があって自分で運転するより疲れたところがありました。あと、フロントの左右に並んだLEDのライトを点灯するスイッチの位置が偶然わかってレヴォーグの“疑問”がひとつ減りました。灯火系とは別に独立して常時点灯するこのライトはアクセントになるほか昼間でも視認性が上がるように思えます。でも、この2回の長野行でレヴォーグの汚れは尋常ではなく昨日は洗車のためガソリンスタンドに寄りました。コーティングしてありますが撥水洗車+ホイール洗いをしてさっぱりしました。

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長野行

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