Xで障害の「実存モデル」という言葉を知ってリンクをたどると東京芸術大学のサイトでした。2018年度の「ダイバーシティ実践論」(担当教員:日比野克彦(東京藝術大学 美術学部長))の「当事者との対話4」「バリアフリーとは何か」という講義の概要で講師は東京大学の福島智氏でした。以下、一部の引用です。
https://door.geidai.ac.jp/compulsory/510/
障害を巡っては、現在、「医学モデル」と「社会モデル」という言葉がよく使われています。医学モデル=障害を治す。社会モデル=周囲のサポートを整備する。福島先生は、医学モデルと社会モデルからはカバーできない問題を、「実存モデル」で捉えないかと考えています。社会モデルではタッチできない問題、例えば、障害から起こる不便さに対してはサポートをするが、どのように障害と向き合うか?という問題は、本人の問題として放置されてしまいます。障害から起こる辛い経験から、どのように生きる意味を見出すかは本人にとって重要な部分であり、社会モデルを補うモデルとして、実存モデルを今後研究しなければならないと締めくくりました。
それから8年後の今年、毎日新聞にやはり福島氏が障害の「実存モデル」に触れた記事が載りました。以下、毎日新聞webからの引用です。(毎日ユニバーサル委員会 第22回座談会「見えない世界」共有するには 朝刊特集面 毎日新聞2026/3/15 東京朝刊)
https://mainichi.jp/articles/20260315/ddm/010/040/020000c
障害の捉え方には主に四つのモデルがあります。一つは、障害は心や体の医学的な現象の問題と考える「医学モデル」。二つ目は、障害を生み出す原因は社会的な設備などが整っていないためと考える「社会モデル」。三つ目は社会的な差別や偏見で人権が侵害されているかどうかで考える「人権モデル」。四つ目は障害者は独自の文化を有しているという「文化モデル」です。
私は、これら四つのモデルだけでは障害者が現実に体験する「障害」を把握するには不十分と考え、五つ目として「実存モデル」を構想しました。例えば、視覚障害者の「見えない、見えづらい」というリアルな体験に共感することを目指すなら、まずは不便で一定の苦悩をもたらす感覚を共有すべきでしょう。問題はその後です。
「社会モデル」的アプローチで、どのようにサポートするか考える。人権侵害にさらされていれば制度的課題として考える。視覚障害の体験を一つの文化として捉え、異文化交流の視点からアプローチする。いずれも重要ですが、「見えない」という現実は変わりません。不利益や不便さをサポートすると共に、なお残る「見えないことへの苦悩」にどのように共感していくかが大切だと思います。
見えない苦悩を理解しつつ、そうした中でも人は他者と幸福な関係を築いていけるのではないかと発想を変えていく。現代社会はなにかが「できる」ことに対し、過度に価値を置きすぎていないか。「見ること」ができるかできないかという次元を超えたところに、人が幸福に生きるための鍵がある。
障害を巡る諸相については「医学モデル」と「社会モデル」がよく知られてきましたが「人権モデル」と「文化モデル」については名づけられたことによってそれらの相が際立って認識されます。「人権モデル」は「社会モデル」にそこはかとなく含まれていたと言えますが、そう名づけられることであらためて吟味されることになります。「実存モデル」という言葉、概念の経緯は詳らかに承知しているわけではありません。福島氏の提唱によるものなのかもしれません。しかし、「実存モデル」という言葉で想起されるのは「障害の受容論」です。端的に言うと「障害の受容の押し付け」です。「実存モデル」はそうした一方的な認識の押し付けへの抵抗、抗いとして名づけられた一面があるのではないだろうか。言うまでもなく当事者たちは日々問うてきたことです。その思索を深め、言語化し、共有や共感をまなざす営みへと誘う概念ではないでしょうか。福島氏の発信に期待するものは大きい。
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