■インターネットにつながったら今度はモニタに縦縞が出て慌てました。同じタイプのLaVieGが同じような症状で使えなくなっていたのでこれはたいへんと外付けHDDにデータを移しました。これに3時間! さらにWindowsXPの復元などあれこれしてやっと直りました。コンピュータは気難しいし気紛れだ!
■そのあたふたしていたとき、テレビで愛知万博の紹介をしていて、フィリピン館の館長が「intersubjectivity」と言ったような気がしてはっと画面を見ました。場面はアロマテラピーの紹介でした。彼女は日本語がとても上手でしたが「intersubjectivity」を日本語で説明しようとして困ってしまい、何か言いかけて笑ってしまっていました。日本では「間主観性」と訳されることが多いのですが、これは心理学用語でかえってわかりにくい。「主観が同じベクトルで交わること」とでも説明しようか…日本語には言葉としてはない概念かも知れませんが、「あの素晴らしい愛をもう一度」(北山修司詞 加藤和彦曲)の歌詞、「あのとき 同じ花を見て 美しいと言った二人の心と心」の通い合いこそ「intersubjectivity」です。主観が同じベクトルで交わり、その主観が意味のあるものとして強化され、そうしていっしょにいることが至高の体験となり、関係性の中で心が安定し、アイデンティティーを見出し、セルフエスティーム(自己尊重)を実感するのだ。テレビを観てふと思った。「intersubjectivity」は欧米では日常的な言葉であり概念であるのだろうか。文化の歩みのちがいを思うのだ。
2005/05/02
intersubjectivity
登録:
コメントの投稿 (Atom)
手帳の憂鬱と愉しみ
さすがに新しい手帳を買い求めることに慎重になるほどいろいろ手元にあります。物欲といってしまえばそれまでですが当の本人はそこにあたらしい何かを生み出そうとする思い入れがあってのことと、これも都合のよいことを考えています。手帳歴をその意味での生産性という視点で遡ると後々見返して役立つ...
-
この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。 「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚...
-
9月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。私は夏の疲れが出て始まる前から少々おぼつかないところがありましたが、子どもたちが来てくれるといつもの元気が戻って密度の濃いセッションとなりました。曲の終わりの「静」をみんなで感じることの達成感はいつも素晴らしい。...
-
検索キーワードに矢野智司を設定して時々チェックしています。先日、彼の近刊が矢継ぎ早に出ていることがわかってあたふたと取り寄せています。 『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』(矢野智司・井谷信 彦編)(世織書房 20220412) 『京都学派と自覚の教...
0 件のコメント:
コメントを投稿