■土曜日でしたが出勤して職員室で“管理業務”をしていました。仕事をいくつ終えて、障害学についての文献をネットで探していました。学校法人鎮西学院長崎ウエスレヤン大学の山城順さんのサイトで、キリスト教の『聖書』に登場する障害がある人たちの記述についてくわしく書かれている文献を読みました。『聖書』に登場する障害がある人たちの記述をここまで整理した文献は私は初めてです。A4にプリントして130ページを超える長文です。日本の歴史における障害がある人たちの姿についてもくわしく記述があります。障害学について調べていた頃、私は哲学者たちが障害者をどのように捉えてきたかを調べたことがあります。そのときは何も見つけられませんでした。この文献にそのとき出会っていたら私の文脈もちがったものになっていたかも知れません。他の宗教ではどうなのか、そして、やはり、哲学者たちはどうなのか、少なからず関心があります。
■いくつかのサイトで、障害がある人たちに対する考え方の両義性の記述がありました。「福子」(ふくご)と「鬼子」(おにご)です。この両義性の背景も掘り下げてみたいと考えています。ふたつの価値観の間を揺れ動く営みは何も障害がある人たちのことだけではありません。この営み、迷いこそ人を人たらしめている機能だと思っています。障害とは何か、自分にとって障害とは何か、自分に障害がなくても障害がある人がいない時代はなかったしこれからもない。今、この時も、障害がある人が同じ時を生きている、そのことをどう自分の中で整理しているのか、これからしていくのか、これは人として避けて通れないハードルであるはずだ。WHOのICFの文脈はこのことに明解な指針と博愛の精神を教えてくれます。
■NPOえじそんくらぶのサイトで、同代表の高山恵子さんが、日本語の障害という言葉がもつ概念について、「『障害』に訳してしまっている英単語はたくさんあり、微妙にニュアンスがすべて違います。」と書いてみえます。私は「障害」という言葉は疑問を感じながらも便宜的に使ってしまっています。三重県教育委員会事務局研修分野作成の『特別支援教育Q&AⅡ~支援のためのヒント集~』(2005.3)では、「困り感」という言葉も使っています。この夏に使うスライドでは、勉強のしづらさや友だち関係の築きにくさ、生活のしづらさの気づきの段階での言葉として私も「困り感」を使うことにしています。高山さんは「その社会にその概念がないからその単語がない」とういうエピソードに「セルフエスティーム」を取り上げてみえます。私もこの言葉は英語のまま使っています。レジュメには「自己尊重」「自己肯定感」とともに併記しています。NPOえじそんくらぶの文脈に共感することが多々あります。
※三重県教育委員会事務局研修分野作成の『特別支援教育Q&AⅡ~支援のためのヒント集~』(2005.3)はこちら(2004年度三重県総合教育センター刊行物)からダウンロードできます。(pdf 55ページ)
2005/07/09
障害学
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