■昨日はきらら学園の卒業式でした。卒業生を見ているとこの1年の成長がよくわかり感慨深いものがありました。教育計画の教育課程だけでなく、ヒドゥン・カリキュラム(隠されたカリキュラム 佐藤学)の積み上げの大きさを実感する思いがしました。高等部を卒業する生徒たちは学校という枠組みのない場での毎日が始まります。障害者自立支援法の施行と時を同じくして新しい生活を始める彼らの幸せを祈らずにはいられません。
■卒業生に送る歌は杉本竜一作詞作曲の「ビリーブ」でした。ピアノ伴奏は私が知らないアレンジで、テンポは楽譜の指定よりも少し速くて、AとBの間で少し急くルバートが入ります。このテンポ感がとても心地よくて、伴奏にしっかり付いて歌う先生たちも日頃から歌い慣れている養護学校ならではの資質なのでしょう。驚きました。私は頭がすっきりして覚醒水準が上がるような感覚がありました。そして、きらら学園の校歌はいつもながら心の奥深く染み入る歌でした。木造の体育館にやわらかく響くピアノと歌声は日常の中の非日常の空間です。このQOLを社会全体のものにしてきたいと、そう思わせる音楽の空間でした。
■でも、アナウンスは蒲鉾型の屋根の反響で聴き取りにくいというやっかいな体育館です。これは既存の音響システムにPAシステムを追加してかなり改善しました。県内の他の養護学校、高校の体育館でもやはりPAシステムを導入して聴きやすさの向上を工夫しています。注目するべき方向から注目するべき音情報が聴こえてくることはジョイントアテンションのみならず感覚統合の発達を積極的に支援することに他ならない。感覚の統合につまずきがある子どもの音環境を整えること、音環境の構造化も学習内容と同様にたいへん大切です。むしろ、音環境が整わなくては学習が成立し得ないと考えるべきで、意味のある音を提供することが大事だ。学校の音を整えること、それは20年前、初任の小学校が文部省の体力作り研究指定校で、その研究のプロセスで気づき、部分的にしていました。今また自分のこだわりの原点に戻る。
■3月3日、高等部のミニコンサートで弾いたのはエルガーの「愛の挨拶」のテーマです。バイオリンを弾くのは数年ぶりで、楽譜もなくて、やっとメロディーになるのはこの曲の冒頭と、チャイコフスキーの交響曲第3番第4楽章の第二テーマだけです。木曜日の夜、音楽室で練習していて、思うように弾けなくて、でも、だからといって焦るでもなく、ただただ、自分の音とのダイアローグに、忘れていた自分を取り戻すプロセスをクールに見つめる自分がありました。
■リビングのテレビで「アメリ」が映っていて思わず見入ってしまいました。フランス人はみんな変わっているのではないかと思ってしまう人たちの映画です。このような映画はどこか哀しげなものだがそんな気配は微塵もない。日常こそ彼ら彼女たちにとって宝箱なのだ。神にも感謝なんかしていない。自分に嘘をつかない。おかしな人たちだけど最高の人生と思わせる不思議な映画です。こんな映画をプロデュースしようという発想を生み出す文化に私は興味津々です。ところが音楽は保守的に思えます。それは伝統的というべきですが、頑なさを感じます。そういえば映像自体も暖色系で、まるでコダクロームです。私が知らない文化です。
■こうした色調はとても大切で、昨夜放送のあった「耳をすませば」をHDDに録画したらすごく鮮やな色で、それはこの映画の私の記憶色にない色だったので違和感があります。
■勤務先で使っているパソコンのキーボードを換えたら仕事のスタイルまで変わったように思っています。物が書ける、という感じです。指が納得している。これも感覚統合の悪戯にちがいない。Macもきっとそうです。
2006/03/11
音に思う
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