2007/06/20

俳句

今日の朝日新聞の朝刊に「千の風になって」の6段抜きの特集記事がありました。その中の宗教関係者と宗教学の大学教授のコメントにいささか違和感を覚えました。死生観は多様であり、その多様な死生観を受容する宗教であってほしいと思っています。

「黛まどかの俳句でエール」のメルマガを毎日読むようになって俳句が身近に感じられるようになってきています。俳句が「第二芸術」だと反発していた大学1年の頃、吉屋信子が「歌人に比べて俳人は破滅型の人生を歩む人が多いようだ」というようなことを本に書いていて、それも俳句を遠ざけていた理由のひとつでした。それから30年、発達障がいの子どもたちの認知の仕組みを理解しようとする勉強のプロセスで、俳句という自己表現の形とどこか共通するところがあるように思えてきました。俳句は文脈の断面を短い言葉で見せてくれます。言葉で見せる、この認知の構造は視覚的で、“Picture Thinking”だと思う。ネットで探した黛まどかの句集『夏の恋』(学研 1996)が今日届きました。ハッセルとRDPの組み合わせと思しき沢渡朔の写真も印象的で、奥書に「俳句写本」とあります。このような俳句の在り様もいい。だけど、私は俳句を作ろうとは思わない。ひたすら長い文章を書きたくなります。不思議なものだ。

こんな事を書きながら、今夜は尾崎豊を聴く。

0 件のコメント:

コメントを投稿

上笙一郎著『満蒙開拓青少年義勇軍』

 夏休みに長野県の満蒙開拓平和祈念館を訪れたいと思い、その仕込みと読み始めた本がきっかけとなっていくつかの点と点が結ばれてその糸に巻かれているような感覚、息苦しさを感じるようになってきました。その本とは上笙一郎著『満蒙開拓青少年義勇軍』(中公新書 315 1973/S48)です。...