今日の朝日新聞の書評から3冊。
村上春樹著『1Q84』(新潮社)の書評は翻訳家の鴻巣友季子。内容とともに小説の技法にも言及する書評で読みたくなってしまいました。その中からとりわけ私が注目した一節。「他方、これは「家をなくした子ら」の物語でもあり、書く(書き換える)ことと記憶と再生を巡るモチーフを布(し)き、オーウェルの『1984』的な思想統制の恐怖と根源悪を追究した反ディストピア小説でもある。現実と虚構の境をなくし、因果関係が反転する。作者の扱ってきたテーマがぎっしりの力作だ。」 現実に家をなくした子だけでなく、家というアイデンティティーを感じられない子どもたちの彷徨う魂の姿が読み取れそうに思えます。
次は福田誠治著『フィンランドは教師の育て方がすごい』(亜紀書房)の書評から。「教える教育から学びの支援へ、教師の自律性、平等から公平への転換など、幾多の特徴が指摘される。とりわけ「社会も教室も異質な者の集まり」という欧州的文脈の中で生み出された教育哲学の存在が、フィンランド教育の卓越性を読み解く鍵として浮かび上がる。知識は固定的に教え込まれるべきものではなく、他者との協同の中で構成されていくと考える教育哲学(社会構成主義)こそが、フィンランド教育を支える中核だと著者は見る。」 先日、精神科医と話をしていて「いろんな人がいて相対的な自分の居場所」を見つけることの大切さが話題になりました。私はたいへん共感してしまいました。自己を見つめるほどに他者もその存在をしっかり見つめるだけのエネルギーの振り分けをしないと行き詰まってしまいかねないのではないか。
そのとなりは一志治夫著『庄内パラティーゾ アル・ケッチャーノと美味なる男たち』(文藝春秋)で、地方が地方たり得る豊かなあゆみのモデルが描かれている、と思わせる書評です。私には何よりもまずアル・ケッチャーノのイタリアンが興味津々です。食べに行きたいけど山形県は遠い。
2009/06/07
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