先々週末の長野行の翌日は八ヶ岳高原に足を延ばしてもう1泊したところ、朝、目覚めたら窓の外は一面の雪景色でした。移動距離は800km余だったと思います。移動中、オデッセイでブラームスを聴き続けました。ピアノ協奏曲第1番と第2番はとりわけ繰り返し聴いて、あと、交響曲第4番、そして、弦楽六重奏曲第1番と第2番だったか。大学の頃によく聴いていた曲ばかりでしたが曲の展開は記憶が薄れていて、そうか、次はそうなるのかと新鮮でもありました。そうやってブラームスを聴いているうちに、音楽を聴くということはどういう営みなのだろうかと考えてしまいました。
先日、バッハを特集したNHK-TVの番組を観ていたところ、「マタイ受難曲」の初演は横やりが入って失敗に終わったが後年メンデルスゾーンによって再演されその素晴らしさが認められた旨のエピソードが紹介されていました。「マタイ受難曲」はそれまで聴かれることなく埋もれていたわけです。当時、音楽を聴くためにはその場その時の生演奏が必須であったわけで、家でもう1回、そして、繰り返して聴くということは不可能でした。音楽はジャンルを問わず何度も繰り返し聴くことによってその楽曲をより深く知ることができるところがあります。曲の展開がわかってくると期待しながら聴くことにつながります。とりわけクラシック音楽は曲の長さや複数の主題とその展開、転調などが複雑に組み合わさって聴くこと自体に謎解きのような要素があります。私はオデッセイを運転しながらそんな聴き方をしていました。バッハの頃とは音楽との付き合い方が大きくちがう音楽体験をしているのだと思います。記憶を辿りながらそうやって聴くブラームスは今の私にとって特別な音楽に思えます。尽きない引力です。
2024/02/16
音楽を聴くということ
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