2024/02/18

大河ドラマと「歴史的事実」

録画してあったNHKの大河ドラマ「光君へ」の第6回、先週の「二人の才女」を観て締めくくりの漢詩の会とその場で道長が詠んだ漢詩、そして、まひろに歌を寄せるラストシーンに魅せられてしまいました。漢詩の会は政の術として催されたものですが、その密度と緊張感、そして、何よりも言葉が美しかった。台詞も意味深く、この漢詩の会がこうしたものと現わされるにはいかほどの教養が積まれたことかと思うとため息が出ました。和歌と漢詩という短詩形文学の面目躍如といったところでした。詳しくはこちらのサイトにまとめられていて私からあれこれ言うものではありませんが、こうしたドラマを観るとどうしても史実はどうだったのだろうと考えてしまいます。紫式部と清少納言が宮中で同時に勤めたのは1か月ほどでその間に顔を合わせたことはなかったという話を文学系の本で読んだことがあります。道長との歌のやりとりもどうだったのかと。でも、フィクションでいいではないか!というのが私の考え方です。学術研究でもあるまいしと。

かつて、やはりNHKの大河ドラマで「篤姫」がありました。吉俣良の音楽も好きで毎回楽しみに観ていました。そんなある日…(以下、2009年2月2日のブログより再掲)

音楽にもドラマにもすっかり魅了されてしまった「篤姫」です。ところが、『本』2009年2月号(講談社)に掲載の町田明広氏の「『篤姫』に描かれなかった幕末史」を読んでいて驚くというかおかしくなったことがあります。NHKの大河ドラマ「篤姫」の「功罪」についてのところです。

一方の『罪』は、そのストーリーによって『歴史的事実』が書き換えられてしまったことである。まさか、篤姫と小松が本当に幼馴染みであったと信じている読者はいないと考えたいが、そのほかにも困った点は数多く存在する。たとえば、小松帯刀を世に送り出してくれたことは、賞賛に値する大事件であったが、倒幕に反対する平和主義者という設定はいかがか。また、島津久光の扱いにも、個人的には不満が残る。登場シーンでは毎回のように力んでおり、保守的な側面ばかりが強調され、残念無念である。本当の久光は、古今稀に見る政治家であり、卓越した政略・眼識の持ち主である。久光なくしては、幕末史は回天せず、西郷・大久保も歴史に名を刻めていなかったはずなのだ。
私はその「まさか」で、篤姫と小松帯刀はほんとに幼馴染みだと信じていました。さすがに幕末に江戸城で碁を打つシーンはフィクションだと薄々感じていましたが、そうは思いながらも食い入るように見つめる自分がいて、それもいいではないかと思っていました。ところがである。篤姫と小松帯刀が幼馴染みということそのものがフィクションだというのです。これにはおかしくなりました。あそこまで真剣に観ていた自分は何だったのかと。でも、それでもなお、それでいいと思うのです。それくらい私にとっては感動するドラマと音楽でした。篤姫が自分で確かめないと気がすまない人として描かれていたところ、そして、篤姫は自分の思うことを信じるところにたいへん共感しました。逆に、ドラマの島津久光はいささか役不足で不自然に思っていたので町田氏の一文で納得しました。それにしても筆者の歴史学者、町田明広氏は小学生の頃にNHKの大河ドラマにのめり込んだことが後々大学で学び直すことにつながったとか。『本』に掲載のエッセイは実におもしろい。(再掲ここまで)

この話は後日談があります。その町田明弘氏本人から私の記事にコメントをいただいて著書ももよろしくとさりげなく添えてありました。これにも驚きました。

今年は紫式部が源氏物語が取り上げられたことで当時の和歌や漢詩など文学にまつわるエピソードが取り上げられることが楽しみです。

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