2024/02/23

篠崎徳太郎著『宿題革命』、再び

何度も読み返すのは子どもが亡くなったところです。(194-195p)

その後、ぼくの家庭には大きな変動があった。当時、四人(エミコ、ナオキ、ミホコ、マリコ)の子どもたちがいたが、いわゆるエキリ(腸炎)で二人(長男と三女)が一度にたおれてしまった。はじめマリコがたおれた。その翌々日ナオキがたおれた。
「たおれた」とはどういうことなのか。読み進むと子ども4人のうちの2人の死ということがわかります。一度にふたりも。それはどういうことなのか。エキリは腸炎とありますが今では聞かない病名です。エミコが池袋児童の村小学校の閉校までの3年間通っていた頃の出来事なので1935年代前後、昭和10年前後のことになります。

続いてこうあります。
ナオキはたおれる前日まで元気であった。そ の前日の様子をエミコの日記にはつぎのように書いている。
姉のエミコと手をつないで池袋児童の村小学校に手紙を届ける元気なナオキの姿があります。そして…
この翌日、ナオキは死んでいるのである。
その手紙はマリコが死んだことを学校に伝えるものだったことをうかがわせる記述があって、私はそう読みました。その手紙を届けたナオキが翌日に死んだというのか。胸が締めつけられる。そんなことがあってよいものなのか。

ナオキが死んでしまうと、いままで四人のきょうだいだったものが、二人になってしまった。さびしかった。子どもは死ぬものであるということを現に、 体験させられた。
昔は子どもはたくさん生まれるが少なくない子どもが子どものうちに死んだというよくある話なのか。そして筆者は続ける。
こういうことのためにも、子どもは将来のために現実をギセイにして過ごさせるようなことがあってはらない。もし、そうだとすると、親の身になってみれば、いくら泣いても泣ききれるものではない。また、いくら悔やんでも悔やみきれるものでもない。だから、子どもは自分の現実をせい一ばい生きぬいていけるように、育児も、教育も、すべての生活も、そう考えてやらなければ、ならないと思うのである。
そのとおりだと思う。将来のために、今はがまんして、いつか報われる…そればかりではない今がある。池袋児童の村小学校のすごさをあらためて思うのです。そして、当時、そこには、小林かねよの『児童の村小学校の思い出』にもあったように病気のために長期の欠席を余儀なくされているたくさんの子どもたちがいたことを忘れてはならない。

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