2024/04/07

幾たびかの物語音読論

 私がいわゆる物語音読論に出会ったのは大学の授業でした。当時使った教科書は玉上琢彌著『源氏物語研究 源氏物語評釈 別巻一』(角川書店 S42)の第7刷(S53)で、京都の駸々堂京宝店にて1979年11月27に2,400円で購入のレシートが挟んであります。大学3回生のときです。当時、学年担当の先生から入学当初にこの授業はぜひ取るようにと話があってなんとか卒業前に受講することができたわけです。

洋風建築の木造校舎の教室で玉上琢彌先生は毎時間源氏物語の音読をされました。恥ずかしながら当時は源氏物語を音読することの核心を十分理解できていなかったのですが、玉上先生が音読するときのやわらかいゆっくりした語りは別世界に誘うかのようでした。単に優雅とかそういう形容では物足りません。ただ、講義をどこまで理解していたのかは心もとないものでした。

当時の教科書は今も手元にあって時々開きます。400ページを超える教科書はもちろんすべてを扱ったわけではなく、鉛筆の傍線や書き込みを見ると「源氏物語の読者ー物語音読論ー」(270p~)のところを勉強したことがわかってきます。冒頭の但し書きを見ると「二十年八月の執筆に係る」とあります。太平洋戦争が終わった頃のものです。まさに激動の歴史の只中に書かれたものであって、玉上先生の心持ちはいかばかりのものであったかと思わずにいられません。 

今回、こうして物語音読論について記すのは一昨日届いた高橋亨著『源氏物語の詩学 かな物語の生成と心的遠近法』(名古屋大学出版会 2007)を紐解いて玉上先生の物語音読論で示された構造が鮮明に示されたと思ったからです。

極々大雑把になりますが、例えば、次のような記述についてです。

 『源氏物語』の語りの主体は、「物のけ」のように、作中人物の外部から心内へと転移してその声や視覚を現象したり、そこから離れて他の作中人物へと転移することもあって、同化と異化の〈心的遠近法〉を生成している。ここには、こうした論者の出発点というべき、語りの入れ子構造と歴史叙述の方法に関する、かつての論をあらためて引いておく。
女房などの登場人物として実体化されて作中世界に登場する語り手、半実体化されて現れる直接見聞者としての語り手、それを伝聞して書く作者、これらの語り手・作者の重層化は、時空を連続させて登場人物たちの心と読者の心とをつなぎ、読者をも表現の内部に組みこむ構造となっている。口承レベルの〈語り〉を伝える表現形式を基底としながら、歴史家の記録採録の方法と同じたてまえを強調することによって成り立つ表現法なのである。そこには、執拗なまでに、この物語が「そらごと」ではないという、虚構の事実化への意志が示されている。(高橋亨「源氏物語の語り手」『物語と絵の遠近法』ぺりかん社 1991)
 これは、物語文学は女房が音読し、享受者としての姫君は絵を見ながら聞くのが本来であったという、玉上琢彌の「物語音読論」を批判的に継承した見解である。(高橋亨『源氏物語の詩学…』347-348p)

この部分を読んだとき私は戦慄を覚えながらも安堵するものがありました。まさに腑に落ちたのです。しかし、それは単に物語音読論の理解が深まったというものではなく、「心理遠近法」や「同化」「異化」という形而上学的な言葉によって私の思考が整理されたこと、そして、今日はふれませんが音楽や絵画、聴覚や視覚に着目して論が展開されることによって私がここしばらく調べていた大正新教育を巡る研究での「音楽の不在」というもやもやが案外的外れではないのではないかといううっすらとした光が見えたことによります。

源氏物語の成り立ちや構成を落とし込んで読むとこの作品が今なお同時代のものとして読者の前に一層鮮明に立ち現れるのではないでしょうか。源氏物語の原文がどこでも読めるようにkindleに入れました。

私が玉上琢彌先生の講義を受けたのは1979年で今から45年も前のことです。高橋亨著『源氏物語の詩学』が目に留まったのはここしばらく気にかけている「詩学」という言葉があったからです。前の記事「 漢字と「二つの時間を生きられ」ること」についても「「和漢混淆」の文化状況を前提とし」た高橋亨の言説と通底しています。不思議な不思議な縁を思います

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