先週末に長野県下伊那郡阿智村の満州開拓平和記念館と安曇野市の井口喜源治記念館に行ってきました。
満州開拓平和記念館は幹線道路から離れた細い道の奥にあります。建物は平屋でさほど大きくないものでした。しかし、中身はたいへん充実した濃いものでした。記念館のあゆみをまとめた動画の上映前に職員の方の説明に「民間で」立ち上げたというくだりがありました。日本政府が整えるべき施設であり保存するべき資料なのに民間が担っているのはなぜか。満州は日本にとって“不都合な史実”ということなのか。記念館を訪れた中学生の感想に「日本が加害者だったことに驚きました」という一文がありました。歴史を見る確かな見識をもたねばならない。記念館では満州に渡った人たちの証言を様々な形で残していてそれがたいへん貴重な資料だと思いました。地道な取り組みですがそうした資料を目の当たりにするとかけがえのないものとして迫って少し息苦しくなるほどでした。三重県の資料も函入りのハードカバーとなってまとめられていました。私も町内から満州に渡って終戦で帰ってきたときには骨壺をいくつも抱いていた話を母から聞いたことがあります。過酷な歴史です。帰国してからも地元で暮らせる人は多くなかったようで新たな土地をまた開拓する苦労が重なり、その土地をバブルで買い上げられてまた他所に移ることになったなどにわかには信じられないことがあったと知りました。今回は1時間半の滞在でした。また訪れてしっかり証言を追いたいと思っています。
安曇野市の井口喜源治記念館は満州開拓平和記念館から車で1時間半で着きました。ここは古い建物で私が訪れるまで展示室の電灯や暖房も消してあったようで職員の方が点けてくれました。といってもコンクリートのたたきは家庭用のファンヒーターひとつですぐに暖まるわけではありません。深々と冷える中で動画や資料を見ました。ここを訪れたいと思ったのは信州教育とキリスト教のかかわりを調べていてその原点が井口喜源治の研成義塾にあるのではないかと考えたからです。かといって記念館にそれを示す資料や展示があるわけではありませんが、井口喜源治が日ごろ何に触れて何に囲まれて過ごしていたかという空気感はあったと思っています。ここもまた何度か訪れたいと思っています。相馬黒光の自宅から研成義塾に寄贈された明治の足踏みオルガンも弾いていいということだったので少し音を出してみました。ペダルを恐々と踏んだのではっきりした音は聴けませんでした。同志社大学人文科学研究所 編集の『松本平におけるキリスト教―井口喜源治と研成義塾 』(1979)の読書会を行っているようで来年度は参加したいと思います。
帰路は塩尻ICから中津川ICの間を国道19号線を走りました。国道19号線は木曽高速という異名をもつようですが交通の流れはたいへんゆるやかで景色をそれなりに見ることができました。といっても午後の時間帯は木曽川の谷に沿ってJR中央本線と国道19号線が走っていて東西を山に囲まれているので日照時間が短くてはっきり見えたわけではありません。驚いたのは点在とはいえほぼずっと家が見えたことです。旧中山道であったことからずいぶん賑わったことと思います。奈良井宿など宿場を示す標識もあちこちにありました。この谷沿いも歩いてみたいのですが、木曽福島は登山と縁のある街だったのではないだろうか。大学生の頃よく読んだ登山の本にあったような気がしました。
1日の走行距離677.8km、帰宅時の燃費は14.1km/Lでした。
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