私設人文系図書館ルチャ・リブロの司書の青木海青子さんの講演「生きるためのファンタジー」を聴いて紹介された本を読み、そして、勤務校の子どもたちにあらためて目をやると、子どもはrealityとactualityのふたつの世界の行き来を瞬時に繰り返しながら今を生きているのだと思いました。いろんなことが想起されます。そのひとつが池袋児童の村小学校の野口雨情のエピソードです。
野口雨情は「シャボン玉」など童謡の作詞家であることは知っていましたが、池袋児童の村小学校の元児童らの話をまとめた資料に目を引くエピソードがあって少しずつ調べています。そのきっかけとなったのは中野光・高野源治・川口幸宏『児童の村小学校』(黎明書房 1987)の次の部分です。
児童の村小学校物語――その二
大正十五年頃、初期の児童の村は、とても有名な存在で、よくいろんなお客様が見えました。その中で強く記憶に残されているのが、野口雨情氏です。野口雨情氏は当時子供でも知らない者はない位、有名な童謡作家でし た。“からす何故なくの、からすは山に、可愛いい七つの子があるからよ・・・”という歌は、学校中どこかでいつ も聞こえていました。ですから、この野口雨情氏に僕たち生徒が、非常な興味をもったのは当然でしょう。当時の雨情氏は、おそらく四十歳前後ではなかったかと思われます。黒い詰襟の洋服、頭は角刈のようで分けてはい なかったようです。あまり大柄ではなく色の白い、細面の少し長目の顔でした。一見村夫子然とした、そして隠やかな話し方をされました。この雨情氏のお話が、僕には今日まで忘れ難い印象を残しているのです。
<雨情氏のお話>
雨情氏は、八畳二間の講堂で、全校生徒五、六十人を前に、三、四十分は話されたと思います。ですが、僕の記憶に鮮かに残されているのは、ただ一つのことです。雨情氏は頗る真面目に話されました。
ーー皆さん、皆さんは、あんぱんがお好きですか。それともチョコレートがお好きですか。チョコレートの方がお好きでしょう。童話は、あんぱんであります。童謡は、チョコレートであります。童謡がどんなによいものであるか、皆さんからよく世間の人に話して下さい。・・・ ーー
大体こんな主旨の話でした。その時、最上級生だった僕は、なんて理屈に合わない話だろう、と思いました。ですが、この理屈に合わない話を、一生懸命に真面目に話される雨情氏を、不思議な存在だと思いました。そうして、自分では本当にそうだと思っているのかなあ、と思うと、僕は雨情氏の人柄一人格に、ふれたような気持ちになりました。そしてそれは、五十年後の今日でも変わらないのです。
<雨情氏の詩と童謡 >
雨情氏の詩と童謡は、およそ理屈に合わないというところに、その基調があるようです。
大正末期、文部省あたりから非難の声も出たとかいう、あの“枯れすすき”の歌も、理屈もへちまもないひどいものです。ですがあの詩が、今日まで日本人の叙情の根底に流れていることは否定できないでしょう。 雨情氏の詩は、常に農村的です。日本の“村”の詩です。
“葱をすてれば しほれ枯れる 葱も捨てれば しほれて枯れる お天とう様見て俺りゃ立いた”
どこにも理屈はないのですが、農村青年の叙情があふれています。また、浪漫的な詩もありますが、これもあくまで農村的です。
“あの山越えて岡越えて、俺と一緒にゆかないか。連れて行くなら行きましょが、鬼が出るなら俺ら嫌だ。”実にユーモラスな相聞歌です。かような詩を、雨情氏は、氏独得の節をつけて声高らかにうたいました。僕もこれは児童の村時代に聴いたことがあります。それは何とも言えない、情調と風情にあふれた絶唱と言ってよ かったと思います。昨年十一月の児童の村五十周年の席上で、音楽の先生でいらっしゃった小出浩先生が、雨情さんの歌は、作曲の専門家が楽譜に写そうとすると、いつも節が違っている。それでどうしても雨情節の写譜ができなかった、と言われました。また、"からすの子”の童謡も、"可愛いい七つの子”というのが、七歳の子というのか、七匹の子というのか、今日まで判然としてはいないのだ、と話されました。この徹底的に無理屈なところに、野口雨情の“人と芸術”の真諦があるのではないでしょうか。そして、そういう世界が理屈なしに我々の心に残されている、ここに“児童の村”があったのだと、今日でも僕は思っているのです。(久布白三郎_評論家)
野口雨情の歌を聴いて幼い頃を過ごすのは今も同じだと思います。「七つの子」の謎は解けることなく謎のまま人生を送ります。「船頭小唄」はその情景を見たことがなくても日本語の歌詞の中から見えるように感じることがあるのではないでしょうか。realityではなくacutualityの最たるものだと思います。「七つの子」の謎が謎のままでいてその謎に思いを馳せる心もちが日常や人生を豊かにするのではないだろうか。このような謎を子どものときにたくさん経験することは謎を謎として温める心のゆとりとなることでしょう。