2025/07/29

教師の語りの“態”

先日、職場で同僚と話をしていて個別の指導計画の文のわかりにくさが話題になりました。入院中在籍した病弱特別支援学校から前籍校に戻るときの指導計画の計画というより在籍中の学習についての記述です。わかりにくさの例として、ひとつの文に主語が曖昧なまま子どもと先生とが混在していることが挙げられました。読んでいると主語が子どもから先生に、あるいは先生から子どもに変わっているというわけです。私自身、自分で書いているうちに、また、書いた文を読んで「おかしい」「変だ」と思うのに書き直せないことがあります。そんなときは全部を消して一から考え直すのです。それでも前籍校に伝えたいこと、書き記したいことが読み手にわかりやすく言語化されているようには思えないことがあります。同僚の指摘は正しい。だが、そのような主語が曖昧で文の途中で主語が入れ替わってしまうようなことが私だけでなくしばしば起こっているとのことで、それはなぜかと疑問に思いました。主語が入れ替わるというのは、いつの間にか「態」が変化しているようであり、気をつけていないとそうとはわからないほどの巧みさでそこに織り込まれているというべきかもしれない。もしかすると教育の営みの核心に触れるかもしれない問いではないかと胸騒ぎを覚えます。

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