■あっという間に7月も終わって8月です。夏休み早々の出張を終えての土日はちょっと一息つけることができました。思い立って海に行きました。リフレッシュと日焼けが目的です。わざわざ二見まで行ったので海に着いたのは2時過ぎでした。大雨が続くためか、海水は暗い緑色に濁り、水温は低めに感じました。ゴーグルを忘れてしまい、トライアスロンで感じる海との一体感、大海原に漂うあのなんともいえない感覚はありませんでしたが、リフレッシュには絶好の機会となりました。私の肌は記憶にないくらいの“白さ”で、砂浜に寝転がって日焼けを試みました。
■ふと見ると、欠けた巻貝の貝殻がありました。ここで私のあさましさが出て写真に撮ることにしました。20枚くらい撮った中からセレクトしたのがこれです。カメラはFujiFilm FinePix4800z、デフォルト設定で、PhotoShopLEで船などを消してトリミングをしました。構図に私のオリジナリティーはありません。でも、この1枚のために、暑い砂浜に右肩を押し付けてずっとシャッターチャンスを待った事で、作品は意図して作られるものであることを身体で思い知りました。夜、直射日光にさらされた左肩が熱を持っていました。ピントがないのはわかっています。海面が歪んでいるのもわかります。FinePix4800zと私のレタッチテクニックではこれが限界です。子どもの下の砂の黒いすじは消し忘れですが、デジタルだと画面の整理もいとも簡単にできます。それを潔いとしないならデジタルを使わないまで。だけど、“作品”制作はそれなりにしたい。とりあえずデジタルで、そして、たぶん、ずっとデジタルで、ということになります。EOS D30をもっと使ってあげないと!
■8月のポコ・ア・ポコは私のスケジュールが詰まって開催できなくなりました。8月は半分以上県外に出張です。明日明後日は千葉淑徳大学の発達臨床研究セミナーに行きます。私が淑徳大学に行くときはいつも台風が来ますが今回は台風の心配はなさそうです。今回のセミナーは土野研治さんの音楽療法やスヌーズレンを取り入れた自立活動など、今日的なホットなテーマが詰まっています。道中はiPodを持って音楽漬けです。
2006/08/03
夏本番!
2006/07/16
Mac.Mac.Mac.
■7月の日曜日のポコ・ア・ポコは13家族のみなさんに来ていただきました。地元の大きな祭りがある中、ポコ・ア・ポコに来ていただいて感謝しています。8月以降の予定は24日にアップの予定です。
■金曜日はヤマトホールデングスとCBCが主催するクロネコファミリーコンサートに行きました。勤務校の子どもたちを招待していただいたのでサポートです。駐車場と会場を1時間ほど行ったり来たりしたらシャツは絞れるくらい汗だくになって、あとで35度と聞いて納得です。
■オーケストラは金聖響指揮の名古屋フィルハーモニー交響楽団で、編み込まれた楽器の音の素材感が伝わる緻密な音楽を堪能しました。プログラムでは、新作のオリジナル絵本、原作:佐野洋子、作曲:三宅一徳・森本レオ・P.エヴァンス、編曲:三宅一徳の『100万回生きたねこ』がよかったです。原作のテーマである博愛が緻密な音構造となって会場を優しく、且つ、しっかりと包み込まれるように感じました。
■昨日土曜日の朝日新聞「be on Saturday」のトップは電気自動車「エリーカ」をつくりあげた慶応大学環境情報学部教授、清水浩さんでした。効率を上げるために8本の車輪にモーターを組み込むことや新しい技術を作り上げたこともすごいことだが、そのスタイルも革新的でいい。こうしたコンセプトをアカデミックのパラダイムが形にして世に問うことが素晴らしい。化石燃料から発電してもガソリン車の4分の1のエネルギー消費で済むことはまさに「破壊的な技術」だ。経済構造のみならず社会構造をも大きく変えることになります。あと、ユーモアを感じたのは「車の音を作曲」するというアイデアです。
—エンジン音がなく静かですが、人はエンジン音で車が近づいたことがわかる。事故につながらないか心配です。
清水「新しい車の音のために作曲をしようと思っているんです。「車が来たよ」と前の方向にだけ騒音にならないように知らせる、そういう音を作曲しようと思います。
なんとユニークな発想か! これこそME(Music Effect)ではないのか! と私は元気になって朝からアテンザを洗った次第です。
■アテンザはシャンプーでていねいに洗いました。シャンプーで洗うと虫の死骸などもきれいに取れてすっきりです。車内は掃除機ですっきり。午後から思い立って名古屋に行ったら夕立に降られてがっかりです。
■名古屋ではアップルストアで「freeway 4 express」とMighty Mouseを購入しました。Macを使い始めて1年近くになって、やっとMac用のホームページ作成ソフトを調達です。ピュアテキストを考えたこともありますが、さすがに勉強する時間がありません。それと、今のサイトのデザインが気に入っているので簡単に移行できるソフトがあれば一番との判断です。Intelプロセッサにも対応しているのでしばらくは使い続けることができます。Windows98と98SE、MEのサポートが打ち切られたこと、XPもあと2年半でサポートが打ち切られるとのニュースに私のWindows離れもまた一歩進むことになりました。
■アップルストアに並んだMacやiPodを見ていると、もちろん、アップルストアの空間も全てを見てのことですが、そこにいるとリフレッシュされるように思います。これも魂のための食べ物なのでしょう。
2006/07/09
魂のための食べ物
■少し肌寒い梅雨空の日はとても懐かしい空気に包まれます。この空気感は文学書の少し湿った紙のようです。そう書いたのは6月のこと。あっという間に7月も半ばにさしかかろうとしています。蒸し暑い日が続きます。
■私がいっしょに勉強をさせていただいている精神科病院の法人のデイケアで、ミュージック・ケアを取り入れたところ、とてもいい結果が出ていると聞きました。患者さん曰く、「頭がすっきりする」とのことです。ミュージック・ケアがある日は利用も多いとか。予想以上の結果に私もほっとしています。これはデイケアのスタッフの感性の賜物です。
■夏の研修会に向けて少しずつメモを書きためています。前半はミュージック・ケアの体験で、理論面は昨年度の復習をします。後半は音楽そのものについて考える内容としたいと思っています。文字通り、音楽の意味そのものを扱うことになります。これは哲学を語ることです。でも、音楽は演奏ぬきには語れない。実際の曲や演奏を聴き比べたり、映像と組み合わせて聴いたりという体験から、みなさんひとりひとりに音楽の力に何かしら新しい気づきがあればと構成を考えています。
■音の力、効果ということでは、元NHK効果部の織田晃之祐を語らずにはいられません。80年代、「NHK特集」が好きだった私は、ある時、効果音の存在に気づき、魅了されていきました。効果音を聴くだけで織田晃之祐の仕事だとわかるようになりました。レコードも買いました。このレコードはCDになって買い直しました。レコードになっているのはME(ミュージック・エフェクト)ですが、私が彼の音に惹かれたのはSE(サウンド・エフェクト)の頃の効果音で、その音がほしい。でも、CDになってしまうとSEの音情報だけではさすがに売り物にはならないのでしょう。効果音は音そのものの機能を使うことになります。音そのものの機能、これを考えるパラダイムは音響学だということを後になって知りました。織田晃之祐が講義する武蔵野美術大学の音響学の授業計画は興味津々です。「地球、光と音、人の想い。その波動世界について。地球は音の星。環境としての音。音と人間。その営為について。音の認識。音の記憶。音による表現とは。音、言葉、音楽表現力学とは。」そして、音の物理、録音の歴史、磁気テープによる録音の革命、光と音の定着、映画やドラマなどの音響論へと続く。ぜひ聴講したいものです。
■東北大学では音楽音響医学分野を設けて研究をしているとのことです。音楽療法を含む、音と人との関係が研究の対象です。このような広いパラダイムを一分野として研究する環境は人間を主人公とする発想から生まれたものにちがいありません。
■また、このところヒューマニズムという言葉が私の頭の中をぐるぐる回っています。ひとつ、大切な言葉を挙げるとしたら私はヒューマニズムを選ぶにちがいありません。桜林仁著『心をひらく音楽・療法的音楽教育論』(音楽之友社 1990)に「音楽ヒューマニズム」という言葉が出てきます。きっと、著者の造語だと思います。音楽、音楽療法を何よりもまずヒューマニズムの視座でとらえることの意味の重さをよく思います。
■先週、NHKの「プロフェッショナル」でピニンファリーナのデザイン部門を統括する奥山清行が特集されました。マセラッティのクアトロポルテも彼の「作品」だということを今回知りました。あれもこれもと並べると、ここ数年の注目度の高いカーデザインはすべて彼の「作品」ではないのかとさえ思える量産ぶりです。彼のマネジメントに学ぶべきところはたくさんありますが、彼の本当の強みは現場をよく知り、自分自身が線を描き続けていることにあると思います。現場、臨床の場を持つことは仕事の質を上げることに欠かせないと考えます。そして、自分もデザイナーも「崖っぷちに追い込んで創造性に火をつける」仕事のやり方は私が自分に対して課すことと同じだ。
■この番組の中でホストの脳科学者、茂木健一郎と、奥山清行のこんなやりとりがあります。
テロップ:「デザインに魂を込める」
住吉:「デザインというのは、言ってしまうと、世の中で、水とか食べ物とか、そういうものに比べて、なくてもいいものかも知れないものなのですけど、それに、そこまで自分の人生をかけるって、どうしてなんですか?」
奥山:「あの、必要なものだけ持って生きてちゃ、動物じゃないですか。やっぱり、人間て、必要じゃないものが人生の中にたくさんあって、それを自分たちで作り出して生きてくのが人間で、なくてもいいデザインだからこそ真剣に作らなかったら、そういうメッセージを、それを使ってくれる人や買ってくれる人に通じないと思うんですよ。だから僕らは、いらないものだからこそやっぱり僕らは真剣に作んなきゃいけない。いい加減なもの作ったら絶対買ってくれない、絶対使ってくれないですから。」
茂木:「人間の脳って、食べ物とか水とか、生きるために必要なものと、いいデザインのものとか、いい音楽を聴いたりするときに、喜びを感じる部位って、全く同じなんですよ。だから、人間の脳からすると、水とか食べものと同じくらい必要なんですよ、実はいいでデザインって、全く同じところが喜んでるんですよ。ほんとにだから、魂のための食べ物かな。いいデザインてのはね。」
奥山:「それはいいこと聴いたな」
そうか、そういうことなんだと、いろんなことが腑に落ちました。お金がない十代がどうしてあんなにも音楽のためにお金を使うのか、その理由がわかったように思います。それでは、どうして音楽なの?ということは私なりに答があって研修会に向けてまとめています。
■音楽と自分との接点として、今、DTMがいちばんいいかも知れないと、その環境をあれこれ考えています。慣れ親しんだYAMAHAのXGもいいけど、今のPC環境からすると、PCハードとソフトを新たに調達する必要があって投資が負担です。このMac PoewrBook G4だとプロユースのLogic Proの最新バージョンが使えることがわかって気もそぞろです。オーケストレーションのシミュレーションができるかどうか、ハード音源との相性が気がかりです。
■少し前から自動巻の機械式腕時計を使っています。日本製SEIKO5の逆輸入モデルで、曜日の表示が英語とアラビア語という、オイルマネーと化した円を取り戻そうと目論んだ時計です。文字盤は白、アクセントは秒針の赤ですがオーソドックスなデザインです。秒針が時報とピタリと合ってないと落ち着かない私が機械時計を使うのは25年ぶりです。学生の頃は手巻きの秒針なしを使っていました。秒針があると誤差が気になるので敢えて秒針なしの時計でした。クォーツが普及するとその正確さが私を虜にしました。だから1秒でもちがうと落ち着かない。今回、電波時計も考えていたのですが、デザインが気に入って購入したこの時計です。少々の誤差は許そうと思っていました。果たして、少々のちがいだったかというと、なんと、1日に数秒も進む。こんな時計、使い続けることができるのかと思いました。でも、電波時計ではなくこの時計を選んだ時点で私のパラダイムは変わっていたのでしょう。前のように時報と合っているかどうかということを気にしなくなりました。1~2週間に一度、時報に近くなるように長針を秒針の動きに合わせるだけです。では、どうやって正確な時刻を知るのか…これは旧国鉄マンだった父から教えてもらった方法を使っています。今日、自分の時計は時報と何秒ちがっているか、それをチェックするのです。旧国鉄の運転士はそうやって列車を走らせていたとか。なるほど!と思いました。誤差を読むのです。これは私の性分に合っています。
2006/06/18
Y.M.O.
■今日は前任校の地域支援でミュージック・ケアの実践をしました。赤ちゃんから大人まで、にぎやかな集まりで、私も説明だけでなくおしゃべりも入れて、終わってみれば1時間45分が過ぎていました。会全体としてはちょうどよかったようですが、私はセッション最長記録を30分も更新してしまいました。そこに集う子どもも大人も、何か、確かなものの上にいるように思いました。話が飛躍しますが、今は地方の時代、地域の時代です。行政区分がどうなっても地域社会の主体性の在り方ひとつで地域の人たちの幸せが大きく左右されます。小さな町の“親の会”の健闘と町の支援を祈らずにはいられないのです。
■会場に行く前、前任校近くの交差点で、養護学校の先生の和太鼓グループの車と出会いました。やはり、地域支援で和太鼓を叩きに行くとか。そのグループの名前は「ペコ」です。私の「ポコちゃん」に対抗して「ペコちゃん」とのネーミングです。異動で勤務先がばらばらになっても一声で集うメンバーの心意気に心から拍手を贈りたい。
■先週末は深夜2時に帰宅。さすがにすぐに眠ってしまいましたが、翌?土曜日の朝は早く起きても眠気も疲れも感じない。これはあぶないかな…と思いつつも、けっこうしっかりしていたので実家の畑の草刈りで汗を流しました。草刈機の刃を換えてまだいくらも使っていないので仕事が早い。草刈りが終わると妙に空腹感が…そうか! 朝、食べずに家を出て来たのでした。この草刈機を使う度に買ったときのことを思い出します。数字ではわずかな排気量の差がどの程度のものか、おじさん然とした店員さんにたずねたところ、「車で言うと、これがカローラならこれはクラウン、それくらいちがう」とのこと。なんとわかりやすい説明! 腑に落ちる説明にお礼を言って、私が買ったのはカローラでもクラウンでもない、コロナでした。(コロナはもうないけど、そのおじさんならきっとコロナと言うにちがいありません)でも、やはりパワーはもっとほしい。クラウンでもアスリートくらいのパワーと足回りがほしい。草刈りも極めるにはパワーがいる。
■昨日の午後はレンタル店に寄ってCDを5枚レンタルしてきました。このところ音楽熱が再発して脈略のはっきりしないセレクトです。Y.M.O.「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」、坂本龍一「星になった少年」、映画「アメリ」サウンドトラック、松田聖子「Seiko Smile」、モーツァルト「2台と四手のためのピアノ作品集」(Pf:アルゲリッチ&ラビノヴィチ)です。こんなセレクトをするときは頭が疲れているときですが、不思議に澄みわたる感覚もあります。ずっと前のことが鮮明に頭をよぎる。
■大学生の頃、姉からピンク・レディーを知っているかと疑われたくらいクラシックばかり聴いていました。Y.M.O.は興味の範囲外でした。ところが、ある日、Y.M.O.のコンサートの会場警備のアルバイトに来ないかと友人に誘われて京都会館に行きました。大型トラック満載の膨大な機材を休みなく運び込み、つながれたコードが床に黒い渦を作って行きました。私はどういうわけか楽屋口の番をすることになりました。「入ろうとするヤツが来るから絶対に入れるな」とのこと。確かに、来る来る。来る人来る人みな変わっている。髪をピンクに染めて紺色の人民服を着た高校生と思しき男の顔は今も思い出すことができます。今ならなんとも思わないのですが、その頃の私はさながら油屋に迷い込んだ千尋でした。人は見かけで判断してはならないといいますが、そのときは私の価値観を試されているような気がしました。そのうち、楽屋の方から関係者らしき人が来て、たばこを買って来てほしいと話しかけられました。彼は外国人で顔もはっきり思い出すことができます。「ここから離れてはいけないと言われている」と言っても「だいじょうぶ、ボク、みてる」と言う。仕方なく走って、名曲喫茶「シンフォニー」近くの自動販売機でたばこを買って来ました。このときはこれで済みました。またしばらくすると、関係者らしき人が奥から来て、「ボクの姉が来るから入れてあげてね、○○というの」と言いました。「はい」と返事すると彼は奥に行きかけたものの数メートルのところで突然振り返って私のところに急いで来てこう言いました。「ボク、高橋です」「はい、高橋さんですね」「・・・」このやりとりは今思うと穴でもあったら入りたいくらいです。コンサートが始まってしばらくすると私を“油屋”に誘った友人が来て、「せっかくだからお前も中に入れ」と楽屋口番を代わってくれました。気が進まなかったのですが、客席の“警備”に入ると、そこは私の音楽観を書き換えてしまう音楽の渦中でした。すごかった。体中の血が逆流するような音楽に溢れていました。今思えば、私の身体が納得する音楽でした。こんな音楽もあるんだと思いました。Y.M.O.は文字通り、私の音楽観を書き換えてしまいました。今聴くと、古色蒼然の感があります。四半世紀前の音楽です。それも仕方ないでしょう。でも、Y.M.O.は私の中で揺るぎないポジションを占めています。
■今日の夜は団地の自治会の会合もあって慌ただしいながらも実り多い2日でした。私自身のキャリアについても考えることがありました。私はやはり音楽が好きです。音楽抜きのキャリアはあり得ないのではないかと・・・
2006/06/12
6月のポコ・ア・ポコ
■昨日、6月の日曜日のポコ・ア・ポコでした。朝からの雨も始まる少し前に上がってほっとしました。ポコ・ア・ポコの日はきっと晴れる! 今日は12家族のみなさんに来ていただきました。天気がしめりがちなのでちょっと元気よく進めました。途中で眠くなりそうな小さなお子さんもよくついてきてくれて、終わりの大きなシャボン玉をみんなで見つめることができました。そうそう、シャボン玉といえば、今日、始まる前にシャボン玉の液をこぼしてしまって新しい補充ボトルを開けました。封を切ったばかりの液だとシャボン玉の大きさや数のコントロールが思い通りです。シャボン玉の液はこまめに新しいものに交換していかないといいセッションはできないと思い知りました。
2006/06/04
笑顔いっぱいコンサート
■朝から団地の一斉清掃、そして、管理組合の事務処理と、昼過ぎまで慌しく過ぎました。家に帰るとさすがに疲れていましたが午睡もなかなかできないテンションが続いていました。
■昨日、勤務校の開校10周年記念行事でミニコンサートをしました。「にじのむこうに」「こうえんにいきましょう」「てをたたこ」「はらぺこあおむしのうた」「シアワセ」「こどもがいっぱいわらってる」「ともだちになるために」そして、アンコールは「アイアイ」です。子どもたち、卒業生、保護者、きょうだい、家族のみなさんの笑顔が会場いっぱいに広がりました。
■養護学校の先生のその場の居方(いかた)に私はあらためて心を打たれました。自分だけが楽しむのではない。子どもを乗せるためでもない。その場、空間の意味を子どもたちといっしょに、ともに、受け止め共有する。子どもの主観をはっきりさせるメッセージを送り、肯定する。そして、自分と子どもの主体が入れ替わるような心理的な交感(交歓)、つまり、間主観性の関係をいともあっさりと築いてしまうのです。子どもも安心して笑顔になれます。空間が幸せを感じる豊かなものとなります。先生がいちばん輝くのは子どもといっしょにいるときです。
■今回、歌のおねえさんと準備をする中、調性の設定でいくつか気づかされるところがありました。「ここをこの音で歌いたい」というところから全体の調性を設定したのは「こどもがいっぱいわらってる」でした。オリジナルのホ長調は変ホ長調となりました。「はらぺこあおむしのうた」は嬰ハ長調です。何調でも歌う、歌える歌手はそれだけ技術もあってオールマイティです。でも、この歌をこんなに歌いたいという思い入れがある歌は、音楽的にどうのこうのという以上に聴く人にアピールするものがあるように思います。そのことで歌のおねえさんのメッセージがより多く、深く伝わったのではないでしょうか。ピアノでいうところの黒鍵が主音の調は、やや硬質ながら芯がはっきりした華やかさがあります。それだけ聴く人を惹き付けます。25分という限られた時間のコンサートの構成としてひとつのスタンダードになるスタイルだったと思います。私にとっては音楽の力を再認識する機会でした。自分のスタイルをもった人との共演?競演?は勉強になります。
■先週、通勤ドライブでずっと聴き続けたのはMALTAの「サマーベスト」でした。MALTAのサックスのテンションは私のそれと共鳴します。このテンションはまだまだ続きます。
2006/05/27
無題
ふと思い出して本棚を探るときがあります。昨夜は『翻訳の世界1982年2月号』(日本翻訳家養成センター 1982)でした。特集は「童話 ことばのレッスン 分かりやすさだけでいいのか」です。この特集にある佐野美津男の「ことばがきえる」は初めて読んだときから強いメッセージ性を感じるものでした。この文章のどこが私をしてただならぬ胸騒ぎを覚えしめるのか。どんなときにそうなるのか。
童話という言葉を童謡に置き換えると、やはり同じことが言えるのではないか。佐野美津男のテーマの横にはこの一文がある。「『いつまでもねんね』と思う親、いつしか自立していく子ども…共生的児童文学を断固として退け、子の成長を促せ。児童文学の真の成熟を!」 私も大人の逃避の対象となるような捏造された子どもの世界は受けつけられない。文学でも音楽でも同じだ。佐野美津男が引用するメルロ=ポンティの講義要録『言葉と自然』(滝浦静雄・木田元訳 みすず書房)では、「対人関係と知性と言語とは、直線状の系列や因果関係に配置されうるものではなく、ある人が生きている渦巻く流れに属しているのである。言語行為とは話上手な母親のことである、とミシュレが言っていた。ところで、言語行為は幼児を、あらゆる物に命名し存在を言葉にするこの母親とのいっそう深い関係に導きもするが、それはまたこの関係をいっそう一般的な秩序へと移調もするのである、つまり、母親こそが幼児に、まずは母親の直接性から遠ざかって行く回路-この回路を通って、幼児は必ずしもその直接性をふたたびみいだすとも限らないのだが-を開いてやるのである」とある。言語行為という単語にはフランス語の読みの「バロール」がルビとしてついている。これを音楽行為と置き換えた時、やはり私は共感する文脈を見いだすのだ。童謡なる音楽も幼児をいっそう一般的な秩序へと移調させる役割を本来担っているはずである。音楽と出会うことで子どもが自分を大切に思い、母親や友だちとの間で音楽を共有することで他者との関係性の築き方を覚える、つまり、一般的な秩序へと移調させていくのである。ただ、そうなればいいのであるが、一歩間違えると、母親なるものとの共生から自立できなくなる。音楽はその力の大きさゆえに音楽を扱う仕事に就く者の責任もまた大きいことを肝に銘じておくことが必須だ。
若尾裕はカワイの『あんさんぶる』連載の「音楽は生きている」(No.423 2002年3月号「ナポリの音楽療法ヨーロッパ学術大会その2」にこう書いている。「Aという人とBという人との間に音楽が成り立つということは、この二人の間に共有の音楽文化があるということだ。ではAという音楽療法士と、Bという、例えば5才の自閉症児の間ではどうだろうか?やはり、AとBの間には共有の音楽文化が成り立つことを音楽療法の前提にしている。だが、こういった音楽文化については心理学や医学で論じることはまったくできないのである。科学の方法論では、なぜ音楽は存在するのかといった哲学的な問題は扱えないのだ。そこに関わることができるのは、哲学、美学、音楽学などの文系の学問なのである。」教育もそうなのだが、今は数値で評価を求められることが多い。アカンタビリティ(説明責任)を果たすプロセスの中でそうした量的評価も必要となる部分もあるが、音楽療法、教育とも、量的評価傾倒からの揺り戻しが始まっているように私は思えてならない。この流れは歓迎するものの、果たして、「哲学、美学、音楽学などの文系の学問」で語ることができる土台が音楽療法や教育の現場にあるのかどうか、危惧するところだ。いくら価値ある実践を積み重ねていても、そのよさ、価値を伝える言葉をもたないとそのよさも価値も伝わらないことが少なくないし、また、致命的なこともある。
こうしたことをあれこれ考え、腑に落ちる言葉を探して綴っているのは、発達障害の子どもたちの成長とQOLの保障について考えることがこのところ多いからです。
上田義彦写真集「at home」(リトルモア 2006)が届きました。B4版と小柄ですが、厚さはなんと3.3cmもあります。柔らかなトーンのモノクロはライカと銀塩フィルムの成せるところで、写し込まれた人の存在のリアリティとでもいうのでしょうか、日常の営みの意味の重みが伝わってきます。この写真集は一押しです。折しもSONYのデジカメ、サイバーショットR1のコマーシャルで“似た”写真を見ました。お母さんの胸に抱かれる赤ちゃんの写真です。レンズはカール・ツァイスです。でも、でも、ちがう。銀塩モノクロフィルムとはちがう。別物です。
夜、NHK-BSで映画「今そこにある危機」“CLEAR AND PRESENT DANGER”を途中から観ました。主演はハリソン・フォードです。主役が徒党を組まない設定は映画のストーリーの定石ですが、ハリソン・フォードが演ずると格別の感銘があります。私も徒党を組まないことを肝に銘ずる。
2006/05/14
音楽学の復権
■4年目の5月のポコ・ア・ポコは13家族のみなさんに来ていただきました。プログラムが進むにつれて曲の終わりの“静”がピタリと決まって見事でした。すごい!
■新沢としひこ作曲「はらぺこあおむしのうた」は絵本の言葉のほとんどそのままが歌になっています。ところどころちょっとない音が交じっていて曲の彩りになっています。この歌は生ピアノで弾く方が歌の表現やアーティキュレーションが生きるとの判断です。歌のピアノ伴奏といえばピアノもソリストの如く奏でるシューマンの歌曲が好きなのでついつい冒険をしたくなります。かつて聴きこんだ音楽が私の文脈になっています。今日、音楽療法の勉強をしているポコ・ア・ポコのスタッフから「自分自身の音楽史」を書いていると聞いたことを思い出します。音楽療法の数は音楽療法士の数だけあるとはよく言われるところです。平均寿命が80歳とはいえ、その長い人生の中で音楽の好みはそうそう変わるものではありません。母語や生活環境、社会背景などさまざまなファクターが影響し合う中で音楽と出会い、自分の音楽観が形作られてくるのでしょうが、ある音楽が自分の人生に大きく影響していると感じている人は少なくありません。これは、音楽そのものについて語られるべきものであり、音楽療法が音楽そのもののパラダイムで語られることの意味の大きさを示しているものと私は考えます。音楽療法においても音楽学の復権を期待しています。
2006/05/07
GWの意味
■夜な夜な時間を見つけてしてきた「はらぺこあおむし」の打ち込みは1/3を済ませたばかりです。XGworksを使うのは久しぶり、気合いを入れて打ち込みをするのも久しぶりで、いくつか発見がありました。これまでXGパラメータの再挿入がうまくいかなかったのですが、PCの性能がいいとスムーズに更新できることがわかりました。すると、会場でのリハーサルで環境に合わせて設定を細かく調整することができることになります。そして、曲によって、パラメータを細かく設定することができます。当然できるはずのことをこれまで涙を呑んでいたわけで、俄然、やりがいも出てきます。欲も出る。全曲、パラメータの設定のやり直しです。ただ、Windowsでしか使えないXGworksのこと、ThinkPad535Eの解像度の低い10.4インチでは作業効率があまりに低いのですが、なんとかやりくりするしかありません。
■私のiPodのライブラリーでいちばん多いのはJ.S.Bachです。あれもこれもとiTunesに読み込んでいったのですが、結果的にバッハがいちばん多くなりました。音楽のジャンルではRockが多いかも知れません。あと、「おかあさんといっしょ」は仕事柄かなりあります。あれもこれもとという読み込みが一段落して次に私が選んだのはシューマンのピアノ曲でした。とりわけ仲道郁代の「ロマンティック・メロディ」(BVCC-34011 1999)に聴き入っています。メンデルスゾーン、シューマン、クララ・シューマン、そして、ブラームスとシューベルトの作品が収録されていて、これはただならぬ1枚です。
■ここ何週間か写真家の上田義彦のモノクロが気になっていて、昨夜、ふと思い立ってネットで検索したらそのモノクロが写真集として発売間近だとわかって予約をしました。『上田義彦写真集 at home』(リトルモア 2006)です。Amazonのレビューから…「出版社/著者からの内容紹介 上田義彦、最新写真集!!/13年間の家族の記憶。夢のようで、どこにでもある幸福。/サントリー烏龍茶、伊右衛門、無印良品、資生堂など広告写真を中心に比類ない活躍を続けている上田義彦。モデル・桐島かれんとの結婚から、4人の子供の誕生で家族が6人になるまでの13年間の軌跡が、確かな技術に裏打ちされた繊細な撮影によって記録されています。流れゆく時間の中で二度と見ることの出来ない、小さなほほ笑み中にあるかけがえのない記憶に満ちあふれた本書は、写真家上田義彦の一つの到達点を示しています。/出産・育児を経てモデル業を再開し、テレビや雑誌での活躍を通じて、多くの女性たちから圧倒的な支持を受けている桐島かれんが、1993年からつけている「十年日記」を抄録。/胸を締めつける、小さなほほえみの数々。写真家は、二度とない大切な時間に魔法をかけ、永遠の中に封じ込めた。」…文字通りとはこのこと、まさにその通りの印象です。私はこの中の数枚しか知りませんが、ライカM型で撮ったモノクロはかけがえのない一瞬の輝きを止めていて私の目は釘付けになりました。プライベートな写真なのでこんなふうに写真集として世に出るとは驚きです。私の写真集のライブラリーとして最も大切な1冊となることと思います。今夜、FUJIFILMのテレビCMで、この写真集に収録されているかも知れない1枚を見つけました。子どもを撮ったスチール写真のスライドショーの最後の1枚で、これはカラーでした。到着が待ち遠しい写真集です。
■今日のNHK「食彩ロマン」は作家角田光代でした。「野菜は彩りだから食べなくていいよ」と親から言われて野菜と食べなくて、肉、肉、肉の食生活! 作家になると小学生のときに決めていたとのこと。26歳のとき書けなくて料理に開眼、料理をしているときは何も考えなくていいとも。あゆみはちがうけど料理大好きな私にはそのことがよくわかります。今夜、カレーと唐揚げをたくさん作ってウィークデーに備えました。キッチンに“椅子”が欲しい! 料理をしているときは何も考えないけどちがう何かを考えています。山を下りるシーシュポスのように…
2006/05/05
iPod来る
■昨日は結婚式に行っていました。新郎新婦入場のBGMはエルヴィス・コステロの「She」で戦慄を覚えました。愛をストレートに歌い上げることの力は大きい。本来音楽はこうして聴くものだと思いました。
■そんな昨日の今日、iPodが届きました。iPodの文脈はちがう。アテンザのCDプレーヤーの右チャンネルが長時間聴いていると音が切れるので長距離通勤で音楽を聴ける環境の担保です。私は音楽中毒だとつくづく思います。意識したのは小学生の頃です。iPodでますます深みに入り込みます。でも、発達障害がある子どもたちにとって“音楽こそ命”と思う場面に出会うことは多くあります。音楽療法が担う価値は私たちの想像をはるかに超えて大きいのです。
■iPodも取説を読まずに使っているので???なところがありますが、PowerBookのiTunesとの同期も難なく終わって私のiPodにはすでに2262曲も入っています。これで7.74G、残りの容量は20Gです。足して30GにならないのはそもそもHDDの容量が27Gだから。クラシックなど長時間の曲も入っているので7,500曲も入るとは思えませんがしばらくは大丈夫でしょう。ケースもなく保護シートも貼ってないので表面はすでに小傷がたくさん付いています。黒だと擦り傷が目立ちます。でも、iPodを直接見ることができない、直接ふれることができない使い方では聴く音楽も変わってしまいそうです。私はiPodも“使ってなんぼ”です。もちろん“身に着ける”ためのグッズは必需品ですが…
■今日は玉城町の国束山に登ってきました。山の空気は命の洗濯でもしてくれるかのようで、登山口に立つだけでリフレッシュします。標高413mで40分も登れば山頂です。展望は登山道の1か所しかありませんが、山の魅力はそれだけはないと思いました。地蔵さんや古い道標、頂上近くの古寺跡に真新しい祠が建ててあったり、登山道から水をのがす溝が掘ってあったりと、山を守る人たちの営みを追うのも心が温まります。
■先日、“うたのおねえさん”とコンサートの打ち合わせをしました。「エリック・カール絵本うた」のCDで「はらぺこあおむしのうた」を聴いて私はただごとではなくなりました。この歌の楽譜は『クーヨン』(クレヨンハウス2005.5)にメロディーが掲載されただけで市販されてないとか。それを知って私が燃えない理由はない。早速採譜を済ませました。XGWorksの打ち込みが楽しみな曲です。
■先月の末の夕日が残る中、帰りにスターバックスに寄りました。ここ半年ばかりにタンブラーを2本割ってしまってその調達です。濃いチャコールのスーツに黒のハットをかぶった欧米人と思しき長身の初老の人に続いて店に入りました。470mlの黒のタンブラーにカプチーノを入れてもらって小休止です。若尾裕さんのコラム集を持って行きました。腑に落ちる言葉から窓の外に目をやると、低い雲に澄んだ空気の夕暮れ時、私のアテンザの横に白いカングールが止まるのが見えました。いつしか店の中は満席近くになっていました。人、人、人、目に入った人の文脈に少しばかり想像力を働かせてみました。スターバックスの宣伝をするわけではありませんが、そこに集う人たちは、何というのか、すっきり見えるように思います。ひとりひとりちがって見えます。それは当たり前のことですが、そのことがよりはっきり感じられるように思います。スターバックスに入ると私自身のモードがちがってくるからなのでしょうか。不思議な空間です。
パール・バック『母よ嘆くなかれ』
音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...
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9月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。私は夏の疲れが出て始まる前から少々おぼつかないところがありましたが、子どもたちが来てくれるといつもの元気が戻って密度の濃いセッションとなりました。曲の終わりの「静」をみんなで感じることの達成感はいつも素晴らしい。...
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この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。 「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚...
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検索キーワードに矢野智司を設定して時々チェックしています。先日、彼の近刊が矢継ぎ早に出ていることがわかってあたふたと取り寄せています。 『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』(矢野智司・井谷信 彦編)(世織書房 20220412) 『京都学派と自覚の教...