2026/07/20

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。

遅滞のある、ゆっくりと考える人たちの為の音楽は、シンプルで表現力があり、強く、ベーシックなものを軸にしていかなければならない。それは、感情に頼るのではなく、意味とコントロールをもって奏されるべきものなのである。喝采などにしてもそうだ。ふざけて騒々しい音をたてるのではなく、そこに意図とコントロールがなければならない。

パール・バックが『大地』の作者であることは知っていましたが、どうして音楽療法の本に執筆しているのか。疑問に思いながらも最近までその経緯を調べることはありませんでした。今回、あらためて研修資料に引用するに当たって調べると、彼女の娘に障害があって接点を知ることになりました。『母よ嘆くなかれ〔新訳版〕』(伊藤隆二訳 法政大学出版局 1993)は自分の娘について書かれた本で取り寄せて読みました。1950年、著者が58歳のときに書かれた本です。娘を学園に託したのは1930年、著者が38歳のときなので実に20年を経て書かれました。冒頭には「この話を書く決心をするまでには、ずいぶん長い時間がかかりました」とあります。その経緯はともかく、娘のキャロラインが生まれたのは1920年で、その頃の社会状況はどうだったかと思い巡らさずにはいられませんでした。中国に革命が起こった頃だったからです。娘を育てたのはアメリカではなく中国で、ひと夏は混乱した中国を離れて長崎で過ごしています。中国と日本の記述が私の目を引きました。

 わたしが中国で暮らしている間に、目の見えない人も、足の不自由な人も、耳が聞こえないために話せない人も、また身体の形がととのっていない人も見たのですが、どの人も、みんなと同じようにふつうに生活していたし、またなんのこだわりもなく、だれからも受けいれられていました。といっても、その人たちの欠点が無視されていた、というのではありません。ときにはそれがその人のあだ名になっていたこともあるくらいです。
 たとえば、わたしがまだ子どもであった頃の遊び友だちの中に、片方の脚が曲がっているために「びっこのチビ」と呼ばれていた男の子がいました。わたしたち西洋式の考え方では、その子の欠点をあだ名につけるというのは、ずいぶん残酷なことに思われたのですが、中国人にはそういう気持ちはいっさいなかったのです。その子の脚が曲がっているのは事実だし、その曲がっているというのはその子の一部であってそれ以外ではないと、中国人は考えていたのです。このようにその不運を当たり前のこととして受けとめられると、その子自身にとっても、心の安らぎになったようでした。

「個別具体的なその人」を知っているということではないのだろうか。殊更中国の「障害観」はこれこれと取り上げるのではなくあまりにも当たり前のこととして記述されていると読めます。また、当時、中国では家族を「施設」に入れるなど考えられない、家族が共に暮らすことが当たり前でなんら疑問を挟むことではないとパール・バックはとらえています。日本については次の記述があります。

 どこへ行っても、わたしたちは親切に、また丁寧にもてなされました。娘が他の子どもとはちがうことに気づいた人は一人もいなかったようです。娘はだれからもありのままに受けいれられ、それ以上は望めないほど優しくもてなされました。それは、わたしたちにとって心の痛みを癒やすのに十分すぎるほどに思えました。

娘が障害ゆえにアメリカ人から心無い言葉を投げかけられ心をいためるパール・バックがこれほどまでに書き留めていることに私は心を揺さぶられました。近代とは…個人主義とは…根源的な問いが湧き上がっています。

『大地』は、正直なところ、その分厚さから読むことを避けていました。しかし、『母よ嘆くなかれ』を読んで『大地』も読みたくなりました。ネットでは長編として面白いと散見されますが、私はその記述、書きぶりに惹かれます。決して難しい言葉や言い回しがあるわけではなく、わかりやすいのに深い洞察が伝わってきます。全編を読み終わるのはいつのことかわかりませんが、ここしばらくの心の置きどころとなることと思います。

2026/07/19

「授業に活かす音楽療法のエッセンス」

細切れの時間を使って研修資料を作成しています。テーマは「授業に活かす音楽療法のエッセンス」で、私が2000年(平成12年)に国立特別支援教育総合研究所で研修中に取り組んだときと同じです。2000年というと今から26年も前のことですが当時ひっかかっていたことが今なお「解決」されることなくひっかかっています。そして、今回はその頃から溜めこんでいたスライドをそのままだったり手を加えたりして使うことになりました。

2010年に作成したスライドで磯山雅氏の文を引用しているものがありました。当時まさに意を得たりと思ったにちがいなく、今も同じなのでここに引きます。出典はURLを見ると朝日カルチャーセンターのサイトですが今は見ることができません。カルチャーセンターの講座の紹介文だと思います。


音楽は、諸芸術のうちでも、もっとも純粋な時間芸術ということができる。音楽は時間のうちに展開され、日常的時間の代替となり、時間を豊かに充実させ、ついには時間を超える次元を、存在に対して切り開く。また音楽は、人間の時間への挑戦であり、人間による時間の構造化であるとともに、人間が時間的存在としての自己を克服する、究極の表現手段ともなっている。このような認識に基づいて、音楽が人間に与える感動の根源を問いたいと思う。(礒山 雅 2009)


これほどまでに私が音楽療法における音楽の“核心”について考えていることを言語化しているテキストは他に知りません。私が音楽の機能について自分の考えを文言化した最も古いものは1984年の日付があります。この間に音楽専科だったりミュージック・ケアと出会ったり、そして、現象学と出会ったことで私の思索が深まりました。前進したかどうかは心もとない限りですが。 


さて、今回、1時間、およそ100人に実技中心でミュージック・ケアを伝えるのは至難の業です。当日は実技中心の楽しい時間としてスライドは事前に配布して事後にふりかえりとして見ていただくことにしたいと考えています。

2026/07/11

梅雨最中の週末

 私が住んでいる地域は梅雨明けがまだらしくこのような見出しとなりました。溜まっていたメモからの構成です。

梅雨最中のいつだっか、ある日の土曜日は台風が去って夕刻前から久しぶりに空が明るくなりました。大雨で被害が出ているところもあって雨の恵みとばかり言ってはいられませんが昨年の夏から水不足で気をもむことがあるので梅雨の雨は有難く思っています。庭の土もゆるんでそそくさと草取りや花の苗の定植をしました。手を動かせながらもいろんなことが過ってほとんど頭の整理の時間でした。

玄関先の壁で蛹となっていたツマグロヒョウモンはきれいに羽化していつの間にか飛び去りました。あと少しで7月だというのにあまり夏らしさを感じないのはどうしてなのだろうかと少しばかり訝しく思いました。今年の夏もきっと厳しい暑さだと思いますがどこか危うい暑さでもあるように思うのは、これもどうしてなのだろうかと思わずにはいられません。これから8月いっぱいはいつになく慌ただしく多忙な毎日が続きます。心して一日一日を大切に過ごしていきたいといつになく真剣に思いました。

翌日曜日はレヴォーグのエンジンオイルとオイルフィルターの交換のためディーラーに行ってきました。私のレヴォーグはずっと東京スバルで整備を受けていて私の乗り方はシビアコンディションではありませんが長く乗りたいので引き続きディーラーで見てほしいと思ったわけです。オドメーターはあと2,000kmでデファレンシャルオイルの交換となります。デフオイルの交換はこれまでしたことがありませんがSUBARUのAWDはその指示が取説にあります。40,000km毎の交換です。私の今の乗り方だと2年周期になります。あと、エアコンフィルターは自分で交換します。

今日は久しぶりに地元の観音岳に登りました。観音岳は4月以来です。森林公園の登山口からしばらく続く階段はいつも息が上がります。ゆっくり歩いても同じで今日も息が上がりました。すぐの東屋で予防的水分補給をして小休止、すると息も脚も軽くなるのは毎度のこと。観音岳は頂上のほかはこれといった眺望もありませんが堀坂峠を挟んだ堀坂山とつなぐ周回コースは地元で人気があります。最近はトレランスタイルで駆ける人が多く私も知人から勧められてトレランシューズで登るようになりました。asics Fuji Lite 6 は底も甲も柔らかいのに食い付きがよく滑らず型崩れもしない不思議な靴です。もちろんすこぶる軽量です。サイズは27.0cmで中厚手のトレッキング用ソックスと組み合わせると2Eという細身が私の足にマッチして快適です。防水機能はありませんがそもそもこの靴を履いて登るのは天気が安定しているときだけなので問題はありません。

帰宅してザックとカメラバッグを洗剤で洗いました。ザックはドイター フューチュラ 30、カメラバッグはナショナルジオグラフィック ウォークアバウト NG W5070です。フューチュラは数年前のモデルで背中に当たる部分がメッシュで空間ができるようになっていて夏場の近場はもっぱらこれで登っています。ナショジオのカメラバッグはリュックタイプで2012年に購入したものです。バスタブに15㎝くらい張った湯にエマールを入れまずカメラバッグを入れて押し洗いをしたところ湯が黄色っぽくなりました。次にフューチュラを入れて押し洗いしてそのまま漬け置きたところ湯は茶色に濁ってきました。こんなに汚れていたのかと驚きました。

夜は先日加わったX-H2のファームウエアを最新のものにバージョンアップしました。X-H2の2台体制は頼もしい!

2026/07/04

今頃のハーヴェイ『新自由主義-その歴史的展開と現在』

小国喜弘の論文「「教育実践」の歴史性-戦後教育の転換に焦点をあてて」(小国喜弘)(東京大学大学院教育学研究科 基礎教育学研究室 研究室紀要 第40号 2014年7月) は大変示唆に富んでいて、とりわけ目を引いたひとつに次のフレーズがあります。

さらに1970年代末葉には、イギリスにおけるサッチャー政権、アメリカにおけるレーガン政権などが成立し、新自由主義が政治の主導権を握り始める。総体としていえば、人権意識の覚醒こそが新自由主義浸透の基盤を準備したことをハーヴェイらが論じているが2)、果たして学校教育においてもそのような関係を読み取り得るのだろうか。またもし総体としてそのような関係を認め得るとして、新自由主義への抵抗の可能性は教育実践の歴史の中にどのように再発見することができるだろうか。

先日、森島豊著『人権思想とキリスト教:日本の教会の使命と課題』(教文館 2016)を読んでいて小国喜弘のこの論文の記述がにわかに気になってきました。誤解を恐れずに言うならば、長年感じていた学校教育での人権の語られ方のもどかしさが首をもたげてきたのです。そもそも人権とは何か。人権思想はどのようにして生まれ語られてきたのか。小国が指摘する新自由主義との関係は学校教育の視座からどのように捉えられ得るのか。不勉強の私は今頃というか今更というべきか、ハーヴェイの『新自由主義ーその歴史的展開を現在』(渡辺治監訳 作品社 2007)を読もうと取り寄せました。20余年前の本です。原書は2005年に出ています。この本はページ数はありますがおよそ半分は解説に当てられています。門外漢の私にはそうすんなりと読めそうにないと思っていましたが比較的字面を追うことはできそうに思いました。かといって小国が指摘する記述がどこなのかまだわかっていません。私が理解するには今しばらくかかりますが、「人権」や「自由」について深く考えるステップとなることに興味津々です。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...