この土日はミュージック・ケア初級総合研修三重会場の第4回と第5回でした。ミュージック・ケアの研修では音楽をしっかり聴くことを意識します。使う音楽は同じなのにいつも新しい発見があります。「鑑賞に始まり鑑賞に終わる」のです。その気になればひとりで聴いていてもできそうなのに不思議なことにそれは難しいことがしばしばです。ところがミュージック・ケアの研修の余韻が残る間はそれもできるように思います。今回はスプートニクスとフランク・ミルズの音楽を文字通り聴き込みました。
スプートニクスの「霧のロザリア」はなぜかCDアルバムに入ってなくて、また、iTunes Storeでもありません。大都市の駅中でワゴンを並べている店でも探し続けてもう何年になることか。ところが、今回、それは「山のロザリア」をスプートニクスが「カレリア風に」アレンジしたものではないかという書き込みをネットで見つけました。「山のロザリア」は昭和30年代にスリー・グレイセスという女性3人のグループが歌ってヒットしたとか。私は今まで知らずにいましたが原曲がロシアの曲らしいこと、また、スプートニクスが日本の歌をいくつか演奏していたことから腑に落ちたところがあります。ミュージック・ケアのCDでは続いて「霧のカレリア」が収録されていて印象がよく似ています。ちょっと聴いただけでは同じ曲に思えます。この経緯はわからないもののスプートニクスの「霧のロザリア」の演奏を比較的いい状態で見つけることができました。アルバムはAmazonのマーケットプレイスにありました。
あと、「スパニッシュ・コーヒー」のオリジナルもiTunes Storeで見つけました。フランク・ミルズの演奏です。これはその気になればすぐに見つけることができたものですが。「The Twentieth Anniversary – Together Through the Years」のアルバムと「スパニッシュ・コーヒー」をダウンロードしました。AmazonでもCDでありましたが収録曲に若干のちがいがあってiTunes Storeのバージョンにしました。順に聴いていくと知っている曲がいくつかあって、また、ミュージック・ケアの研修の余韻が残っている中で聴くとすごく新鮮です。スプートニクスもフランク・ミルズもアレンジの構造自体はシンプルですが音楽としての力強さは大きな存在感となっています。まさに音楽の仕組みが機能しているということ。
音楽の仕組みが機能しているということではクラシックがその最たる楽曲ですが、ロックもまた誤解を恐れずにいうなら格式という言葉を遣ってもいいくらいの構造感があります。YouTubeのチャンネル「Tina S」の演奏ではそのことがよくわかります。選曲もすばらしい。
2014/12/24
「鑑賞に始まり鑑賞に終わる」
2014/12/06
京都行
2014/11/30
2014/11/22
ファジル・サイのバッハ
ミュージック・ケアで使うモーツァルトの「トルコ行進曲」に端を発していろいろな演奏を聴いていてファジル・サイと出会いました。彼が弾く「Alla Turca Jazz (Fantasia from the piano sonata in A major K331)」は直訳すると「トルコ風ジャズ」で、「Fantasia」とありますがモーツァルトのK331ピアノソナタへのオマージュといった風合いが伝わってきます。ジャズとオリジナルを自在に行ったり来たりしているかのようで「ジャズ風」とはちがう。一見格闘技のようでもある。一人二役の演技のようでもある。とにかく面白い。そんなファジル・サイのがバッハを弾くとどんな演奏になるのか。興味津々でCDの到着を待っていました。フランス組曲やイタリア組曲、珍しいところでは無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番から「シャコンヌ」が収録されています。これが意外にも古典曲の演奏の王道を行くような印象でした。でも、彼らしさはきちんと出しています。まず、音が明るく輝き軽妙であるようでいて1音1音が見えるようで存在感がある。そして、楽譜に忠実に弾きつつ、バッハの意図を再構成して音楽の醍醐味として聴かせてくれているかのようだ。ある意味しがらみのない演奏といえるかもしれない。バッハはきっとこんな弾き方をしたにちがいないと思ってしまう。すごく今日的な演奏なのに不思議なものです。
ところで、モーツァルトの「トルコ行進曲」の手持ちの演奏を聴き比べて面白いことがわかってきました。単純に演奏時間のことです。
マリア・ジョアオ・ピリス 4分31秒
グレン・グールド 4分07秒
イェネー・ヤンドー 3分43秒
杉谷昭子 3分39秒
イングリット・ヘブラー 3分33秒
スタニスラフ・ブーニン 3分05秒
ファジル・サイ 2分41秒
ファジル・サイ(ジャズ) 1分55秒
私はグールドが最長時間記録保持者とずっと思い込んでいましたがピリスが群を抜いて遅い演奏でした。演奏そのものに触れると何時間も言葉をひねってしまいそうでやめますが、高校生のときはこんなふうに聴き比べて演奏者の当て合いなどをよくしました。音楽室のパート練習室にラジカセを持ち込んで男ばかりでああでもないこうでもないとやるのは楽しいものでした。
2014/11/21
Apple離れ!?
2014/11/08
ビオラにバトンタッチ
2014/10/13
デオダート
ずいぶん前のものですがNHKの調査では十代後半に出会った音楽がその人の音楽の趣向を決めることが多いとのことです。そんな十代後半というとFM放送がステレオで聴けて録音できるラジカセを買った高校1年生が私の音楽遍歴の始まりといえます。事実、音楽ばかり聴いていたように覚えています。とにかく聴く音楽がどれも乾いた海綿のように自分の中に入ってきたといってもいい。クラシックと洋楽は手当たり次第に聴いていました。その中でもデオダートはちょっと異質な存在で目の前にアメリカの摩天楼が広がるような感覚に包まれました。先日、当時のそうしたアルバムがCDで出ているのがわかってまとめて4枚調達しました。邦題では、デオダートの「デオダート2」と「ツァラトゥストラはかく語りき」、ヒューバート・ローズの「春の祭典」、そして、ジム・ホールの「アランフェス協奏曲」です。名古屋駅前の地下街にダイヤトーンのショールームがあって「ツァラトゥストラはかく語りき」ばかりリクエストしました。レコードをかけるのはマッシュルームのような髪型の若い女性で、当時、もう30数年も前のことですから正規雇用の社員だったと思いますが、手際よくレコードに針を置くと自分の席に戻って文庫本に目を落としていました。少し薄暗いそのショールームはデオダートの電子音楽がよく合っているようい思い、今もデオダートのを聴くとその光景がよみがえってきます。音の記憶は不思議なものです。大学生の頃、今のようにコンピュータやスマートホンがあったらどんな毎日だったろうと時々考えます。私のことですからまちがいなくそんなガジェットに夢中になっていたことと思います。スマートホンにモーツァルトをいっぱい入れて聴いていたにちがいないし、パソコンもやっぱり自作していたでしょう。その頃といちばんちがうのは、今は音楽を聴く時間が当時の何分の一もないということです。交響曲を通して聴くなどここ何年も数えるくらいしかありません。ほの暗いダイヤトーンのショールームでデオダートに聴き入った頃がただただなつかしい。デオダートも十代後半の出会いです。
2014/10/12
10月のポコ・ア・ポコ
10月のポコ・ア・ポコは4家族のみなさまにご参加いただきました。いつもよりちょっと少ない人数というだけですが、この空間こそとがんばるお子さんもいて動作もちゃんとできてグッズなどの受け取りや袋に返すことも積極的でした。みんなわかっているのです。それはふだんの姿でわかっているはずなのに形としてできるとまたちがううれしい気持ちになります。次回は11月30日で1月半のブランクがあります。楽しみにしてその日を待っていてほしいと思っています。
2014/10/05
いくつかの音楽シーン
2014/09/30
弓のケースの話
バイオリンとチェロとコントラバスの弓の長さはどうちがうのか。楽器の大きさに反してバイオリンの弓がいちばん長いということは以前聞いたことがあって比べたこともたぶんあったと思います。バイオリンの弓の毛替えをするときにどうやって弓だけを店に持っていくのかがずっと解決しないままでしたが、コントラバスの弓のケースに難なく収まることがわかって今まで何を悩んでいたのかと少々情けなくなりました。なぜコントラバスの弓のケースが、ケースだけが家にあるのかはさておき、バイオリンの弓がいちばん長くてコントラバスの弓がいちばん短いと思い込んでいたのでそもそも試すことをしなかったのです。もしかしたら弓の長さというのは毛の長さのことかもしれません。コントラバスの弓はとにかく大柄で、もしやと思ってそのケースにバイオリンの弓を2本入れてみると入りました。これはこれはとほこりを拭いたところほとんど傷んでなくて留め金の色がくすんでいた程度でした。このケースは20年くらい前のものですが、よく見ると作りがとてもきれいで底と蓋のわずかな隙間も見事なほど均一で表面の黒いクロスもぴったり貼られたままです。弦楽器の値段はそれこそピンキリでこのケースもスタンダードクラスと思いますがこのクオリティはすごいと思った次第。コントラバスの弓のケースにバイオリンの弓を入れて持ち運ぶというのはちょっとおもしろい。
パール・バック『母よ嘆くなかれ』
音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...
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9月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。私は夏の疲れが出て始まる前から少々おぼつかないところがありましたが、子どもたちが来てくれるといつもの元気が戻って密度の濃いセッションとなりました。曲の終わりの「静」をみんなで感じることの達成感はいつも素晴らしい。...
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この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。 「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚...
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Xで障害の「実存モデル」という言葉を知ってリンクをたどると 東京芸術大学のサイト でした。2018年度の「ダイバーシティ実践論」(担当教員:日比野克彦(東京藝術大学 美術学部長))の「当事者との対話4」「バリアフリーとは何か」という講義の概要で講師は東京大学の福島智氏でした。以下...