教育をアカデミックに語る環境に身をおくようになって1年になろうとしています。午後から医療スタッフとミーティングをして高度医療の第一線を肌で感じる時間がありました。そこで教育が応えるべきこと、それは多分にパラダイムシフトへの踏み出しなくしては語れないと思っています。子どもはどこにいても子ども。子どもたちの笑顔のために尽くしたいとあらてめて思う。映画「紅の豚」の空賊マンマユート団の頭がペンキ代を払えなくてマテリアルのままの船尾を見て「志を大きく持て」と腕組みをして言うシーンをまた思い浮かべてしまう。「ぼーっと見る」「漂う」(荒瀬 2007)いつもそこから始めよう。何回でも始めよう。
一日中走り回っていた今日、昼前に出張から戻ろうとすると前の駐車場でガンメタのインプレッサが私の前をゆっくり横切って白線の中に止まりました。あれ?まさか…と思っていたらインプレッサから降りて来たのはまさかの彼でした。1世代前のスポーツワゴンWRXで、ボンネットの大きなエアインテークと40?の扁平タイヤ、4本出しのマフラー、そして、心が踊るエクゾースト。なんと楽しい車に乗り換えたのだろう。50半ばにしてこの車! ここのところの疲れが一気に吹き飛ぶひとときでした。しかし、車の話もそこそこに仕事の打ち合わせを始めて小1時間、芝のやわらかな緑が続く美術館のアプローチでいつもの熱い話となりました。教育は人だとしみじみ思いました。
2009/02/13
子どもはどこにいても子ども
登録:
コメントの投稿 (Atom)
手帳の憂鬱と愉しみ
さすがに新しい手帳を買い求めることに慎重になるほどいろいろ手元にあります。物欲といってしまえばそれまでですが当の本人はそこにあたらしい何かを生み出そうとする思い入れがあってのことと、これも都合のよいことを考えています。手帳歴をその意味での生産性という視点で遡ると後々見返して役立つ...
-
この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。 「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚...
-
9月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。私は夏の疲れが出て始まる前から少々おぼつかないところがありましたが、子どもたちが来てくれるといつもの元気が戻って密度の濃いセッションとなりました。曲の終わりの「静」をみんなで感じることの達成感はいつも素晴らしい。...
-
検索キーワードに矢野智司を設定して時々チェックしています。先日、彼の近刊が矢継ぎ早に出ていることがわかってあたふたと取り寄せています。 『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』(矢野智司・井谷信 彦編)(世織書房 20220412) 『京都学派と自覚の教...
0 件のコメント:
コメントを投稿