全国高等学校総合文化祭三重大会の総合開会式に出席しました。全国から2万人近い高校生と海外の高校生が三重に集い、芸術と文化の発表と交流を行います。今日はその総合開会式でした。進行、発表とも素晴らしいものでした。高校生のエネルギーとパワーに勇気づけられる思いがしました。教育の営みの素晴らしさを実感しました。高校はわずか3年です。その3年間を大切に過ごしてほしいと祈るばかりです。
今日の発表の中で地元のかんこ踊りの唄はとりわけ関心をもって聴きました。かんこ踊りは神事であることから地元の例祭でしか舞われないこととなっていると聞きました。そのためか原型が保たれているように思いました。素朴で、静かで、淡々と唄われ、聴く人を非日常の世界に誘う力を秘めているように感じました。民族の唄だと思いました。
会場は伊勢市の県営サンアリーナでした。伊勢に近づくと空は黒く曇り、駐車場で車から降りると眼鏡が曇りました。山々は濃い緑でちがう気候帯に来たのかと思うほどの蒸し暑さでした。
夜、ふと読みたくなったのはアンヌ・デルベ著、渡辺守章訳『カミーユ・クローデル』(文藝春秋 1989)でした。この本はまるで目の前で物語が進行しているかのようなリアル感があります。感情的な第三人称の語り口です。こんな文が読みたいこともあります。この本のカバーは20歳の頃のカミーユのポートレートです。イザベル・アジャーニを彷彿とさせる写真です。私が知るイザベル・アジャーニは学生のとき観た映画「アデルの恋の物語」(1975)だけですが、この本のカバーを見たときにこの映画を思い出しました。ネットで調べると、果たして、映画「カミーユ・クローデル」(1988)で扮したのもイザベル・アジャーニでした。ヴィクトル・ユーゴーの娘アデルもカミーユも恋に生き、晩年を精神病院で過ごして生涯を終えました。「アデルの恋の物語」でいちばん印象的だったのは、恋文を書くための紙を買うときアデルが巾着から出した硬貨の大きさと硬貨がカウンタ—に置かれるときのゴトリという音、そして、丸まった紙を伸ばしてペンを走らせるときのペンの音でした。テーブルの上に両手を広げて置いて独り言を言うシーンも印象的でした。ひたすら、という言葉が少しなつかしく浮かびます。
村上春樹著『1Q84』は読み終えたものの語る言葉も出ない状態です。この本がどう読まれるか、それがいちばんの関心事という本です。時間がないときほど本は読みたくなるもの…
2009/07/29
全国高等学校総合文化祭開会式で
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