2009/11/17

特別支援教育と哲学

明日から3日間、徳島に出張です。病弱教育の全国規模の研究会です。三重県ではやはり明日から3日間、全国肢体不自由教育研究協議会三重大会が開催されます。その三重大会の主管校は前任校で、また、肢体不自由教育は私が7年間担任した教育部門なので後ろ髪を引かれる思いもあります。今日は「障害」について本質的な話をする機会もあって尚更その頃のころを思い出したのです。特別支援教育は、今、哲学を必要としています。障がいとは何か、そして、障がいがある人たちの社会的視点からの検証やその歴史も特別支援教育にかかわる人たちは学ぶべきだ。そして、新学習指導要領でICFについて記述されたことの意味の大きさをどれほどの人たちがわかっているのだろうか。
夜更けに聴くジョン・ルイスのバッハにただただ聴き入る。ジョン・ルイスのバッハは“スイング”しているのにどうしてバッハの本質なるものを聴いているように思えるのだろうか。

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