2024/08/31

あらためて、新聞

小学校で行うミュージック・ケアのセッションの打ち合わせで、子どもたちに新聞紙を持って来させるときに新聞を購読していない家庭への配慮をお願いしたいと伝えたことがあります。7~8年前のことです。新聞の購読数は今はもっと減っていることと思います。昨年、夕刊の配達がなくなってからというもの、私は新聞を読むモチベーションが下がってまとめ読みをするようになってしまいました。今日もここ2~3週間分の朝刊に目を通しました。夕刊に比べると私が関心がある記事の割合は少ないのですがそれでも夢中になってしまいました。

そうして新聞の醍醐味を味わってから観た「BSスペシャル メディア砂漠のなかで進む分断 アメリカ大統領選挙」(NHK-BS 8/29)は衝撃的でした。広告がネットに流れて地方紙が廃刊に追い込まれ、SNSなどを通して偏った情報に接することで“分断”が広がっているとのことでした。その映像は目を疑うばかりでした。アメリカのメディアといえば1970年代にウォーターゲート事件を暴いて大統領を辞職に追い込むなど政治を監視して民主主義を守る役割を果たしてきたはずでした。今もそうしたメディアはあるにしても偏向報道を“売り”にしていると思われるメディアが勢力を拡大していることに背筋が寒くなる思いがしました。数時間前に紙面で読んだ新聞とのギャップはあまりに大きなものでした。アメリカ大使館のこの記述は今や過去のものなのか。

私は1紙を紙とウェブで購読し、もう1紙をウェブで購読しています。紙媒体の新聞に長年親しんできたのでウェブでも紙面ビューアなるもので読まないと見落としが出てしまいます。不思議なものです。コンビニを使って残そうではありませんが購読して新聞を残そうと思うのです。

2024/08/23

坂口ふみ『〈個〉の誕生 キリスト教教理をつくった人びと』

 坂口ふみ『〈個〉の誕生 キリスト教教理をつくった人びと』(岩波書店 2023)は読むたびにあらたな胸騒ぎがある本です。この本の初出は1996年3月で27年後の昨年に文庫化されました。しっかり読み応えのある本でなかなか読み切れないのですが読まずにおれない1冊です。

冒頭の「はじめに」の一節はおこがましくも意を得たりと思いました。

一般の通念として、人間の「個としての個」の自覚は近代にはじまると考えられている。しかしこの通念は、かなり偏向した考えだと思われる。当然のことながら、人は誰でも、どの時代でも、個としての個の意義や感覚を持って生きていた。それが社会の表層の思想やイデオロギーのようなものになってあらわれるかどうか、は別のレベルの問題である。そしてそれがどのような形をとるかも。
近代という言葉、おそらく広く捉えられているそれは、何かに蓋をしてあらたな幕開けを手に入れたかのような幻想を抱かせるものとして我々の思考を停止させてはいないだろうか。心性史の視点から見ても国の姿が変わったからといって人々の根源に宿るその人をその人足らしめているものが変わるものではないだろう。近代は恐い言葉だと思う。近代という言葉、概念によって失われた過去を掘り起こしてリアリティを回復させなければならないのではないか。坂口ふみの同著はその探究を綴ったものと受け止めています。

驚いたのは初出が1996年ということでした。私の1996年はどこで何をして社会ではどんなことがあったのかと思い返したり調べたりするとやはり27年前に出版されたこと自体に驚きます。「序章 カテゴリー」は女性研究者が抱える困難をフェミニズムの視点で描くあたりは全く今日的、同時代そのものです。インターネットが黎明期を脱し始めた頃とはいえその頃はフェミニズムの視点で物事が語られる場はなかったのではないか。そんな環境のなかできわめて今日的な問題が今なお新鮮な語りとなって記されていると読んでいます。そのエピソードから始まる同著は筆者が「これはジャンルのいりまじった書物となる。しいて分類すれば、エッセイのようなものだと思う。」と書いているとおり、非常に柔軟でリアリティに溢れる文体となっています。

読み始めた頃は遅々として進みませんでした。イエスの「愛」という言葉にも立ち止まってしまいました。キリスト教の勉強をしなければ読めないのではないかと。しかし、今年の2月、ある小学校の公開研究会で授業者が使った「愛」という言葉に思考停止に陥った体験から3か月が経った頃にこのふたつの「愛」が私のなかでつながるのではないかと考え始めました。その授業者に夏休み中にインタビューをしたいと思っていましたが準備不足のため断念しました。とにかく坂口ふみの同書をしっかり読んでからでないととんでもない間違いを犯してしまうのではないかという危惧があります。四半世紀を超えた今同著を読むことの意味を噛みしめながら読んでいきたいと思う。

ところで、私がこの本を買ったのは文庫が発売されて間もない頃で、その後、スマホやタブレットでも読めるように電子版を購入しました。その後、文庫版を登山に持って行ったとき行方不明となってもう1冊買い求めました。しばらくして車の荷室の隅っこから出てきたので電子版を含めて都合3冊を持つに至りました。

2024/08/15

今更のiPhone 5

iPhone 5をフリマサイトで1台調達しました。音楽療法のセッション専用とするためです。もっと新しいモデルもあるわけですが掌に収まるコンパクトさは魅力です。容量は64GBとセッション用には大き過ぎますが画像を見たところ状態がかなり良さそうだったので決めました。届いてみるとケースとフィルムを着けて使っていたとはいえまるで未使用の新品です。私も早速フィルムとケースを用意しました。色は初めての白で透明のケースに入れるとますます清楚な印象です。iPhone 5がこの先いつまで使えるかわかりませんがバッテリー交換は今もできるのでかなり使っていけるのではないかと楽観視しています。

2024/08/14

乗鞍岳

高山植物の花が咲く夏山シーズンを迎えてこの夏は自分でも意外なほど積極的に登山をしています。といっても難易度低めの山々です。先週末は乗鞍岳に行ってきました。ここも「登山口」の畳平までバスで行くのでコースタイムは80分です。でも、標高は3,026mなので私にとっては初めての3,000m超の登頂でした。乗鞍岳は日本アルプスという名前に違わずスケールの大きな山でした。

乗鞍高原観光案内所からタクシーの相乗りで畳平に着いたのは朝6時半過ぎで文字通り一番乗りでした。お花畑や登山道には誰もいない。しばしその抱かれ感に浸りました。折からの朝陽で高山植物に付いた夜露が輝きしっとりとした光景でした。ここで写真を撮っているうちにバスが着いて次々と私を追い越していきました。岩の隙間に咲く花や遠くの雲海、刻々と変わる空と池の水の色を眺めながら登りました。森林限界を超えた登山道は岩と石と土でどこも似たり寄ったりですがやっぱり一山ずつ醍醐味が違います。乗鞍岳は難易度の低い山のはずですが登る先を見ると「ここを登るのか」「ここを下るのか」と構えてしまいました。その緊張感があってこそ事故も起こらないのでしょう。頂上からは遠く槍ヶ岳などアルプスの山々を展望することができました。頂上に着いたのは11時20分でした。肩ノ小屋後ろの木のベンチで知人が淹れたコーヒーをいただくうちに西の空がガスに覆われてきて畳平に戻った12時10分頃には山の姿は雲の中で登山道はその中に消えていくという光景でした。奇跡の晴れ間だったのかもしれません。日本アルプスはまた来たいと思いました。

畳平に向かうルートは2つあって、ひとつは岐阜県側からの「乗鞍スカイライン」、もうひとつは長野県側からの「乗鞍エコーライン」です。こういった道路を往来するたびに思うのはなぜその道路が造られたのだろうということです。相当な資金が必要なことは明らかで何か大きな理由がないと始まらない。タクシーの運転手から「乗鞍スカイライン」の建設は軍事目的であったことの説明がありました。以下、Wikipediaより転載です。

1941年(昭和16年) - 陸軍航空本部が航空エンジンの高地実験施設を乗鞍岳畳平に建設することを計画。そのための軍用道路として建設を開始。設計、施工は岐阜県。
1942年(昭和17年) - 幅員3.6 m、延長約15 kmが完成。第2陸軍航空技術研究所の乗鞍航空実験所が畳平に設置される。

戦後は「公園道路」となったとのことですがこうした「軍用道路」はドイツのアウトバーンが代表格でしょうか。アウトバーンは「ナチスも良いことをした」という言説のシンボルのようですが乗鞍スカイラインも手放しでは楽しめない歴史があるということです。せめてその過去に思いを巡らしながら通りたいと思いました。

今回の乗鞍行は観光案内所から畳平まで利用したタクシーの運転手から乗鞍スカイラインの歴史だけでなくバブル崩壊でエコーラインの宿泊施設の多くが廃業したこと、熊のエピソード、自転車とバスの交通事故、道路沿いの植生や天候の変化など興味深く面白い話をたくさん聞かせていただきました。

岐阜県側の乗鞍スカイラインは道路が崩落して今月20日頃まで通行止めとなっています。私も長野県側の乗鞍エコーラインからのアプローチでした。

2024/08/02

4秒の無音データ

ミュージック・ケアの実践を行うとき私は音出しにMDを使ってきましたがやっとデジタル音楽プレーヤーに切り替えました。プレーヤーは前に携帯として使っていたiPhone5で、Bluetoothを介してスピーカーから音を出すという今では何でもないことです。しかし、曲が始まる前、冒頭に4秒間の無音を入れる方法がわからなくて二の足を踏んでいました。4秒の無音の「曲」と楽曲を1つのプレイリストに入れたらよいわけですが、その無音のデータというかファイルをどうやって作ったらよいのかわかりませんでした。ICレコーダーの録音レベルを0にしてみたり何もつないでないコードをAUXに差し込んでみたりしましたが、どうしても「シー」というホワイトノイズのような音が入ってしまって気になりました。そんな折、Audacityというソフトで無音ファイルを作成することをあるブログで知って解決しました。無音ファイルをiTunesに読み込ませてプレイリストの最初に入れることで目論見通りの音出しができるようになりました。“再生操作→場所に移動→「ようい」の合図で静止”という流れがスムーズになりました。

ミュージック・ケア草分けの先達はカセットテープ1本に1曲を録音してセッションを行っていました。曲順は即興プログラムなので1本のテープに続けて録音しておけなかったわけです。ソフトアタッシュケースいっぱいにカセットテープを詰めてセッションに赴くスタイルでした。カセットテープは、しかし、その量はともかく、テープを全部巻き戻したところから再生操作をすると数秒余りのブランクが生じるので時には予めテープを曲が始まる直前まで再生操作をして止めて頭出しをするというやっかいな代物でした。その点MDは1枚1曲の前に4秒のブランク(無音)入れることで移動して「ようい」の合図で静止する時間を確保することができました。ところが、MDはディスクのコンテンツの一覧(テーブル)を読み込むのに時間がかかったり物理的な出し入れが重なって劣化したりします。再生できないディスクも出てきました。そうなるとどうしようもありません。古いMDプレーヤーとMDのディスクを騙し騙し使ってきましたが限界が見え始めていました。

私が求めたのは完全な無音でした。MDのときの無音でも再生が始まると「シー」という音が聞こえます。今回作った無音ファイルも電子部品やコード、スピーカーを通るので完全には消えない。でも、完全な無音が欲しかったのです。4秒の無音は再生しても聞こえないのですがそれが心地よいのです。どこか哲学的ですらあると思います。「無」というのか「空」というのか、おそらく禅の概念とどこかで通じるものがあるのではないでしょうか。ミュージック・ケアの動と静、とりわけ静のなかに心も身体も素のままにゆだねることはかけがえのない経験だと思う。

※件のiPhone5はこのブログを辿ったところ2012年11月から使い始めたものとわかりました。バッテリーは1回交換していますが12年を経た今もこうして使えるのはただただすごい!

下鴨納涼古本まつり

  京都下鴨神社薫の糺の森が会場の下鴨納涼古本まつりに行ってきました。古本まつりなるものに行ったのは初めてで、しかも神社の境内なので見るものすべてが新鮮でとても面白かったです。この古本まつりを知ったのは県内の古書店のインスタグラムです。時間ができたので思い立って行った次第です。小...