本の名前なので『ジゼルという名のバレエ』と表記するべき見出しです。シリル・ボーモント著、佐藤和哉訳で音楽之友社の「クラシックス・オン・ダンス」のシリーズの1冊(1992刊)です。今では希少本らしく古本市場では当時の価格以上で並んでいます。バレエは習い事として一定の人気があるようですがこうした学術本はマイナーでおそらくあらたな本は出ないだろうと思っていたところ昨年2024年8月に『ジゼル 初演から現代まで』(せりか書房)が出版されました。著者は鈴木晶、設楽聡子、斉藤慶子、赤尾雄人、森菜穂美、川島京子です。帯には次のようにあって、1冊丸々「ジゼル」について書かれていてどこを開いても「ジゼル」していて興味津々です。
不朽の名作バレエ「ジゼル」ーー初演から180年経た今も、その人気は相変わらず衰えない。その秘密はどこにあるのか。180年の間にどこがどう変わってきたのか、気鋭の研究者たちがその秘密を解き明かす。
バレエやその歴史について書かれて本を読んでいくと「ジゼル」はいろいろ突っ込みどころがあることがわかってきて興味がわいてきました。衰えない人気の秘密はどこにあるのか。そもそもこの疑問の本質はどこにあるのか。
昨年末、はやり鈴木晶の著書『バレエ誕生』(新書館 2002)を読んでいたとき私はある一文にあっと声を上げそうなくらい驚きました。
・・・このバレエはメタ・バレエ、つまりバレエが自己言及する「バレエについてのバレエ」なのである
「メタ・バレエ」とは? 「バレエが自己言及する「バレエについてのバレエ」」とはどういうことなのだろう。バレエを存在論として考えるということなのだろうか。面白いと膝をポンと打ちました。このあたりは前後の文脈があるので引用します。
さて、ジゼルはいったいどういう娘か。ゴーチエは、青い目をして、かすかに無邪気な微笑を浮かべ、足取り軽やかな、魅力的な娘だ。[・・・・・・]この娘の役どころはこの上なく単純だ、つまりロイスを心から愛し、踊りが大好きというだけだ」と書いている。いうまでもなく、この「踊りが大好き」という点が重要である。これがこのバレエを傑作にしている要素のひとつである。というのもこのバレエはメタ・バレエ、つまりバレエが自己言及する「バレエについてのバレエ」なのである。
これは他のバレエと比較してみればわかる。たとえば「眠れる森の美女」のオーロラが踊るのは、この作品がバレエだからであって、物語の枠内では彼女は踊っているわけではない。ダンスはあくまで表現手段にすぎず、芝居ならセリフで表現するところを、バレエだから踊りで表現しているにすぎないのだ。『白鳥の湖』のオデットについても同じだ。だから、そうした作品においてはバレエが自己言及、自己反省していない。それに対して、メタ・バレエの典型的な作品は、たとえば映画『赤い靴』の劇中バレエ「赤い靴」である(アンデルセンの「赤い靴」自体がダンスについての物語である)。そこではバレエがバレエに自己言及し、踊るとは何か、という問いを発している。
バレエ「ジゼル」を観る人のなかでは知らず知らずのうちに舞踊論が立ち現れるのか。細かく具体的な様々な検討が求められます。その切り口やひとつひとつの地平に立ち上がってくる諸相があまりに膨大であるところにバレエ「ジゼル」の魅力と核心があるのだと思います。
ところでパリ・オペラ座で「ジゼル」が初演されたという1841年はどんな社会状況だったのか。フランスはルイ・フィリップが座する産業革命真っただ中のフランス王国であり、ロシアはニコライ1世のロシア帝国、中国ではアヘン戦争の真っただ中の清であり、日本では享保の改革が始まった年で、チャイコフスキー作曲「白鳥の湖」の初演の36年前です。そうした社会状況で演じられたバレエ「ジゼル」は一体何だったのか。フランスでは9年間演じられたもののその後忘れ去られたようですがロシアで演じ続けられたのも興味深い。本を読み進めたい。