2025/03/27

フランスを思うとき

 今朝、NHKのニュースで「仏大学などが米研究者を受け入れへ トランプ政権の予算削減でで」が流れて出勤の支度の手を止めました。環境問題などの研究予算を削減や廃止するというトランプ政権の動向を伝えるニュースが気になっていたのでフランスの大学のこうした対応に賛辞を送りたくなりました。これはアメリカにとって頭脳流出であり、そう遠くない日に少なからず慌てることになるのではないかと思います。翻って日本はというと大学の予算も研究の自由も低下の途上であり文字通り対照的といえるのではないか。「フランスにおいて研究者の自由は重要な価値観だ」と述べるサントラル・シュペレックのロマン・スベラン事務局長の言葉は力強く響く。2017年6月24日の大谷大学の3学部化シンポジウムでの鷲田清一の講演「Be Real ― 学ぶべきこと、意味 ―」も然りでした。

フランスの歴代の大統領が学ぶ国立行政院では行政学と哲学の修士論文が課せられる。どうして行政の専門家になる人に哲学の修士論文を課するのかと問うと「例えば、幸福とは何だろうと考えたことのない人がエリートになって国の行政を行う、ひとりでも多くの人が幸福と思える社会をつくる仕事に就く、幸福ということを考えた人に任せたら危ないではないか」と返ってきた。

このエピソードはフランスの歴史に流れる通奏低音のような哲学を示唆していると思います。今回のアメリカの研究者受け入れはこうした哲学の現れといえるのではないか。噛み締めるように受け止めました。

2025/03/18

新教育

 すいぶん大げさな見出しですがそんなことを考えながら今井康雄編『教育思想史』(有斐閣アルマ 2009)を持ち歩きながら読んでいます。新教育についてそうかもしれないと考えていたことがそのまま書かれていて我が意を得たりと頷きつつ、さて、こんなにも当然のように何のためらいも感じさせない筆致で書かれているとはどういうことかと、そして、自分の不勉強を情けなく思うのです。

長野県伊那市立伊那小学校の総合にかかる取り組みはこれまでも事ある度に注目されてきました。ゆとり教育、総合学習、探求、等々です。伊那小学校を範として知見を得たいと多くの教員や研究者、マスメディアがその都度注目してきていますが、私の目には、そうした外部のリクエストがあったからといって同校はその歩を早めることも方向を変えることも一切なく自らの歩みを一歩ずつ確かめながら進めてきたと映っています。その徹底ぶりは同校が用いる言葉にも現れていると考えています。それに気づいてからというもの「新しい教育言説」をクールに考えることができるようになってきたと思っています。今井康雄編『教育思想史』にはまさにそのことが書かれてあるのです。

・・・敗戦後、新教育はそれまでの反対派的な立場から教育の主流・本流へと躍り出た。もっとも、新教育が学校現場を席巻したといえるのは敗戦直後に限られる。学力低下などを理由とした新教育批判はすでに占領期から出ていたし、その後、1950年代後半には、文部省の学習指導要領も新教育的な活動重視から教科内容重視へと舵を切る。しかし、「受験教育」が批判され「詰め込み主義」が批判されるとき、批判を支える論拠として呼び出されるのはきまって新教育的な考え方であった。1990年代に学校の知識偏重や画一主義が批判され「ゆとり教育」が提唱されたときも、その具体策として出てきたものは、「生活科」にせよ「総合的学習の時間」にせよ、新教育にルーツをもつ構想だったのである。(「生活科」は、すでに1930年代、生活綴方に関わった教師たちが提唱している)。

こうした記述は今井康雄が担当した「第15講 新教育以後の教育思想」に何度か登場します。この本の初刊は2009年ですでに京都市立堀川高等学校は探究科を設置していましたが、当時、ここ数年のような探求の盛り上がりが来ていれば「生活科」や「総合的学習の時間」と並んで探求が記述されたことと思います。

また、大正時代に新教育を行った例を挙げて著者は次のように記述しています。

以上のような多様な試みに共通しているのは、子どもの個性的で自発的な活動を教育の中に取り込むという、新教育一般に通じる考え方である。

「主体的」ではなく「自発的」なのです。たいへん重要な視点であると考えます。

教育思想という言葉を軸に書かれたこの本は教育を軸に社会の変遷や歴史を見る視点を示してくれています。近代のところから読みましたがその後最初から順に読んでいます。

2025/03/09

ジゼルという名のバレエ

 本の名前なので『ジゼルという名のバレエ』と表記するべき見出しです。シリル・ボーモント著、佐藤和哉訳で音楽之友社の「クラシックス・オン・ダンス」のシリーズの1冊(1992刊)です。今では希少本らしく古本市場では当時の価格以上で並んでいます。バレエは習い事として一定の人気があるようですがこうした学術本はマイナーでおそらくあらたな本は出ないだろうと思っていたところ昨年2024年8月に『ジゼル 初演から現代まで』(せりか書房)が出版されました。著者は鈴木晶、設楽聡子、斉藤慶子、赤尾雄人、森菜穂美、川島京子です。帯には次のようにあって、1冊丸々「ジゼル」について書かれていてどこを開いても「ジゼル」していて興味津々です。

不朽の名作バレエ「ジゼル」ーー初演から180年経た今も、その人気は相変わらず衰えない。その秘密はどこにあるのか。180年の間にどこがどう変わってきたのか、気鋭の研究者たちがその秘密を解き明かす。

バレエやその歴史について書かれて本を読んでいくと「ジゼル」はいろいろ突っ込みどころがあることがわかってきて興味がわいてきました。衰えない人気の秘密はどこにあるのか。そもそもこの疑問の本質はどこにあるのか。

昨年末、はやり鈴木晶の著書『バレエ誕生』(新書館 2002)を読んでいたとき私はある一文にあっと声を上げそうなくらい驚きました。

・・・このバレエはメタ・バレエ、つまりバレエが自己言及する「バレエについてのバレエ」なのである

「メタ・バレエ」とは? 「バレエが自己言及する「バレエについてのバレエ」」とはどういうことなのだろう。バレエを存在論として考えるということなのだろうか。面白いと膝をポンと打ちました。このあたりは前後の文脈があるので引用します。

 さて、ジゼルはいったいどういう娘か。ゴーチエは、青い目をして、かすかに無邪気な微笑を浮かべ、足取り軽やかな、魅力的な娘だ。[・・・・・・]この娘の役どころはこの上なく単純だ、つまりロイスを心から愛し、踊りが大好きというだけだ」と書いている。いうまでもなく、この「踊りが大好き」という点が重要である。これがこのバレエを傑作にしている要素のひとつである。というのもこのバレエはメタ・バレエ、つまりバレエが自己言及する「バレエについてのバレエ」なのである。

 これは他のバレエと比較してみればわかる。たとえば「眠れる森の美女」のオーロラが踊るのは、この作品がバレエだからであって、物語の枠内では彼女は踊っているわけではない。ダンスはあくまで表現手段にすぎず、芝居ならセリフで表現するところを、バレエだから踊りで表現しているにすぎないのだ。『白鳥の湖』のオデットについても同じだ。だから、そうした作品においてはバレエが自己言及、自己反省していない。それに対して、メタ・バレエの典型的な作品は、たとえば映画『赤い靴』の劇中バレエ「赤い靴」である(アンデルセンの「赤い靴」自体がダンスについての物語である)。そこではバレエがバレエに自己言及し、踊るとは何か、という問いを発している。

バレエ「ジゼル」を観る人のなかでは知らず知らずのうちに舞踊論が立ち現れるのか。細かく具体的な様々な検討が求められます。その切り口やひとつひとつの地平に立ち上がってくる諸相があまりに膨大であるところにバレエ「ジゼル」の魅力と核心があるのだと思います。

ところでパリ・オペラ座で「ジゼル」が初演されたという1841年はどんな社会状況だったのか。フランスはルイ・フィリップが座する産業革命真っただ中のフランス王国であり、ロシアはニコライ1世のロシア帝国、中国ではアヘン戦争の真っただ中の清であり、日本では享保の改革が始まった年で、チャイコフスキー作曲「白鳥の湖」の初演の36年前です。そうした社会状況で演じられたバレエ「ジゼル」は一体何だったのか。フランスでは9年間演じられたもののその後忘れ去られたようですがロシアで演じ続けられたのも興味深い。本を読み進めたい。

2025/03/02

教育史を読む

 先週の日曜日、雪の日に東吉野村の人文系施設図書館ルチャ・リブロを訪れました。高見峠は路面が真っ白でスタッドレスタイヤの効きを確かめながらのドライブでした。

ルチャ・リブロではいつもあらたな発見があります。先日は今井康雄編『教育思想史』(有斐閣アルマ 2009)でした。すぐに取り寄せて研究に直結する部分を読みました。第3部日本の教育思想 第11講「近世日本の教育思想と〈近代〉」(辻本雅史)と第4部 現代の教育思想 第15講「新教育以後の教育思想」(今井康雄)です。驚いたのは、これまで疑問に思っていたことや断片的に知っていたことが包括的にまとめられていた点です。素読におけるテキストの身体化や主体を表すsubjectという言葉がもつ「主体」と「臣下」の二重の意味、等々です。それに加えて新教育をその地平の外から見る視点として、フーコーやルーマン、ハーバーマスの考え方を腑に落ちるものとして知ることができました。アリエスの『〈子供〉の誕生』の視点も目から鱗でした。思えば私は大学で教育系のコースで学んだことはなく教育史も断片的にキーワードを追うくらいしか勉強したことがありません。この本は大学の教科書として使うことを視野にしたものと思います。この本が私が大学で学んでいた頃に出版され出合っていたとしてもどこまで理解することができたかは甚だ怪しいですがすべての教員が読むべき本ではないのだろうか。大学で教育史はどのように扱われているのだろうか。歴史を知らずして自分の「現在地」がわかるはずがないのではないか。

2025/03/01

バレエと音楽~福田一雄と滝澤志野の論考から

 福田一雄は1931年生まれの94歳で現役を退いていると思いますが、彼の著書『バレエの情景』(音楽之友社 1984.11.1)を国立国会図書館のデジタルアーカイブで読み始めたらあまりに面白いので取り寄せることにしました。届いたのは40年も前の本でカバーの天の部分のしわがよったまま固くなっていたり全体が茶色になっていたりしましたが扉に著者のサインがあって目が点になりました。サインの日付は1984.11.4なので初刊時のものです。私はサイン本にこだわっていませんが手元に偶然届いた著者のサインを見ると当たり!と思ってしまいます。とくに今回はありとあらゆる音楽、とりわけバレエ音楽を弾き、指揮してきた著者の手によるサインです。しみじみと見ました。

この本はオーケストラピットから見たバレエの裏話など愉快なエピソードから始まってそれはそれで面白いのですが、バレエと音楽との関係についてのところはずっと疑問に思っていたことなのでたいへん興味深く読んでいます。後段の「ほんとうの作曲者はだれ?ー版についての考察」は数々のバレエの音楽が後世に作曲者以外の手によって改変や他の作曲者の楽曲が挿入されるなどの具体例が挙げられていてそのこと自体は前から知っていましたが改変の頻度や規模の多さと大きさに唖然としました。音楽を興行していくためにはワーグナーでさえも楽劇の中にバレエのシーンを追加して作曲したというエピソードもあります。「白鳥の湖」や「ジゼル」は何を言わんやです。そして、福田一雄はバレエと音楽との仲を取り持って演奏を続けてきたことがこの本からよくわかります。柔軟かつしたたかに音楽を奏してきたわけです。

先月、やはり共通するテーマで滝澤志野が「バレエチャンネル」に寄稿していてたいへん興味深く読みました。バレエの音楽といわゆるクラシック音楽との相違です。

【第57回】ウィーンのバレエピアニスト〜滝澤志野の音楽日記〜バレエに殉じることなく、寄り添うために(2025.02.20 滝澤 志野)より

バレエを知らなかった時代に愛していた音楽は懐かしく、でも当時と今とでは、聴こえ方が違うことにも気がついた。この音楽がバレエ作品になったらどうだろう、この演奏だと踊れるだろうか……等と考えてみたら、すべてが新鮮に響いてきて、いろんなイマジネーションが湧いてきた。ただひたすら楽譜に忠実に、作曲家の想いと自分の音楽を追求していたあの頃と、バレエに焦点を当て、楽譜を見ながらも踊りを見つめている今の自分は違う。

小澤征爾の「白鳥の湖」全曲盤を聴いたとき、管弦楽曲としての醍醐味はあふれるほどで堪能しましたがこれで踊れるのだろうかと考えてしまいました。バレエについていかほども知っているわけではないのにそんな素朴な疑問がよぎりました。実際のところは今もわかりませんが、その後、小澤征爾、シャルル・デュトワ、アンドレ・プレヴィン、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、ワレリー・ゲルギエフのCDを聴いてきてテンポや歌い方といったアコーギクやアーティキュレーションに大きなちがいがあることを知りました。それぞれにバレエとして演じ奏する舞台があるということなのだろうか。バレエピアニストの滝澤志野のコンサートで聴いたショパンは「クラシック音楽」としてのそれとはちがう印象がありましたが「音楽」としては何の違和感もなかったことが不思議でした。踊りと音楽のそれぞれの文脈といったものがスリリングに進行していくという点ではミュージック・ケアも同じだと考えています。興味は尽きません。

下鴨納涼古本まつり

  京都下鴨神社薫の糺の森が会場の下鴨納涼古本まつりに行ってきました。古本まつりなるものに行ったのは初めてで、しかも神社の境内なので見るものすべてが新鮮でとても面白かったです。この古本まつりを知ったのは県内の古書店のインスタグラムです。時間ができたので思い立って行った次第です。小...