2026/01/31

ドキュメント72時間~冬の長野 峠の水くみ場で~

 昨夜のNHK-TV「ドキュメント72時間」は「冬の長野 峠の水くみ場で」で登場した人たちの立ち居振る舞いと話、そして、峠の風景に惹き込まれてしまいました。場所は長野県旧中山道沿いの峠の水汲み場です。標高は1300mだとか。取材は12月半ばの3日間で薄っすらと雪景色になる天気で気温は-5℃だとか。水を汲みに来た地元の人の話ではそれでも「暖かい」そうで-10℃になることもあるとか。遠くは東京から来た人もいましたが地元の人たちの生き生きとした身のこなしと話の深さのようなものはたいへん印象的で昨夜も今朝も録画を観返してしまいました。

「雪国に暮らすと人は運命論者になる」と、雪との闘いの厳しさを譬えた話を聞いたことがあります。最近の大雪を伝えるニュース番組でもそうした営みが伝わってきます。朝昼夕と1日3回の雪かき、そして、屋根の雪下ろしと、その消耗をわが身のこととして想像することはできない。72時間の舞台となった水汲み場の雪はそれほどでもなさそうですが-5℃や-10℃という冷え込みの中で見せる生き生きとした姿の元となるエネルギーはどこから来るのだろうか。多くの人は素手でしたが私は車山高原の登山口駐車場の-9℃の中で素手で着替えとアイゼンを着けていたところすぐに指先の感覚がなくなって下山までしばしば懐に手を入れて温める羽目になりました。慣れるとそうでもないのだろうか。ちょっと信じられない。驚きの光景でした。

2月初めに伊那市の小学校の公開研究会に参加する予定です。参加申し込み前から気象情報の天気と気温をチェックしていますが朝の冷え込みは氷点下が続いています。その小学校の公開研究会は例年2月最初の土曜日に行われます。いつだったか雪の中央道を走って参加したことがあります。ホテルの前の道はガチガチに凍っていて小学校も雪は止んで青空が見えていましたが一面の積雪でした。子どもたちはヤギの世話などで忙しく活動していました。そんな毎日に慣れっこな姿でした。伊那は惹かれるところです。身軽だったら移住したいと、そんなこともよく考えますが冬の厳しさを思うと1年を通して伊那で暮らす自信があるとはいえません。でも、伊那の人たちは子どももおとなもそこで暮らしているのです。もっと寒さが厳しいところで暮らす人もたくさんいます。人が「そこ」に住まうということはどういうことなのかと思い巡らせてしまいます。

また、この番組では「信州ということ」が全面になっているように観ました。ある男性が「信州人」という言葉を使ったのでその印象がより強くなりましたが「信州」という呼称がなくても惹かれるものがあったと思うのはどうしてだろう。

研究会は2月7日土曜日です。国道19号線から権兵衛峠越えのルートを考えていますが凍結の可能性が大きいので一思案です。

2026/01/18

藤田美実 「内なる世界」と「外なる世界」 再び

私が藤田美実の著書を初めて手にしたのは『信州教育の系譜 上・下』(北樹出版 1989)でした。広く信州の教育について資料を集めていた中にありました。あるとき読み始めると惹きこまれてしまい何度も繰り返し読んで今日に至っています。『明治的人間像 木下尚江・赤羽巌穴・手塚縫蔵』(筑摩書房 1968/S43)も然りでした。とりわけ手塚縫蔵について書かれたところが私の心を捉えて離しませんでした。手塚縫蔵の章末はにわかに哲学書然とした筆致になります。先日、このことについて著者が触れている文章を読んでその真意を知ることになりました。その『信濃教育』第1020号 特集 手塚縫蔵先生 昭和44年11月号から引用します。

手塚縫蔵逝いてこの八月で満十七年、一つの精神共同体である信濃教育会にとって、彼の名はすでに古典である。古典は批判を許さない。彼における「外なる世界」を云々し、これをあげつらうのは無意味である。今日の教育者たるものは、彼における「存在」の語の真諦を味得すれば足りる。(はたして人はそれを味得しているだろうか。私は「存在」の一語を中心概念として『明治的人間像』一巻を書いたつもりだが、朝日新聞や読書新聞の書評も、信毎や『信濃教育』のそれも、その核心には一言もふれていない。批評家なんてのんきなものだとつくづく思う。)しかもなお私が彼における「外なる世界」を云々するのは、一つには信濃教育会がこのような古典的リベラリズムに安住しているのではないかという危惧(祀憂であれば幸いである)を感ずるからでもあるが、一つには「内なる世界」と「外なる世界」とがどうしても総合されないという、まさに日本的なこの現象をつきつめて考え、この矛盾をトコトンまで苦しまなければ日本は近代化されないと思うからであり、そこに木下尚江や山本飼山を回想することの意味もある。そしてまた私は田中正造の名前を回想している。今春私は栃木県佐野の近傍に彼の生家や終焉の地をたずね、そこの農民たちと語る機会を得たが、彼らがいまなお敬慕の情をこめて田中正造の名を口にするのを聞くとき、強く心打たれる思いがした。田中正造は内において深い罪の自覚と人間愛にささえられながら、死の床につく最後の日まで農民たちのために戦うことをやめなかった。彼においては「内なる世界」と「外なる世界」とが、なんの矛盾もなく、まことに奇妙に調和している、その稀有な人間性の不可思議さを私は言いたいのである。(『信濃教育』第1020号 特集 手塚縫蔵先生 昭和44年11月号)

私も『明治的人間像』を読んで「存在」という言葉に込められた著者の真意を十分に読み取ることはできませんでした。読み進めるなかで手塚縫蔵の章の記述のもどかしさのようなものは何なのだろうと訝しく思っていましたが、その核心が手塚縫蔵の「存在」にかかる著者の思索であったことがわかりました。

<補足>

藤田美実は19歳で大学の哲学科に入学しましたが「1年で大学がいやになり、翌年休学して信州の田舎の小学校の代用教員になりましたが、その校長が手塚縫蔵というドエライ人間で、彼から圧倒的な影響を受けました」と晩年のエッセイ『余滴』(私家版1992)に書いています。昭和35年(1935年)、片丘小学校でのことと思われます。以下、同書からの引用です。

 人間存在、即ち「私がある」、きわめて簡単な言葉ですが、実はそれは至難の業なのです。わが身に鞭うつような、きびしい罪の自覚(自己否定)がなければ人間は存在し得ません。

 私が学生時代に信州の小学校の代用教員をやり、校長の手塚縫蔵に会った話は既に致しました。私は彼において存在する人間の荘厳ともいうべき姿をかいま見たのでした。彼の日記には素晴しい言葉がたくさんありますが、特に「淡如として事なし 事なきは事ある也 存在は大事業なり 懼れ慎しむべし」*という言葉は私の最も好きな言葉です。

*(「日誌」昭八・九・一九)存在するということは生涯をかけての大事業である。手塚の「存在」は、不作意にみえて作意、自然にみえて必死の精進努力の結果であった。

(藤田美実「手塚縫蔵に関する断章―キリスト教の日本的受容―」(『明治大学教養論集』20110118))


比叡山登山

昨日、比叡山を登ってきました。ルートは日吉大社脇の石段から延暦寺に至る表道です。整備された登山道で一時積もった雪も溶けたとのことで靴は思い切ってコロンビアのセイバーミッドで登ることにしました。2年前に白駒の池の遊歩道で雪で滑って右足首を骨折してからというもの山行は常にモンベルの総革アルパインクルーザー、ハイカットで足首を固めるスタイルでした。ミッドカットでの登山はどんなものかと戦々恐々でした。一足毎に地面を確かめながら慎重にスタートしました。結果、何の不具合もなく登り切ることができてほっとしました。これは大きな収穫です。何よりも自分の足への不安がかなり解消しました。違和感は残っているので無理はできませんが軽快な靴でもっと歩いたり登山をしたりしたいと思います。


比叡山は車で訪れたことはありますが自分の足で登ったのは初めてで面白かったです。駐車場や登山口までのアプローチ、坂本の町の歴史的建造物や町並みから始まってかつては車が通っていたという登山道の荒れた姿、垣間見える琵琶湖など新鮮でした。また、地元の人と思しき高齢の男性との会話も興味深いものでした。赤い洋傘の先っぽをザックから突っ立てていました。地蔵さんの掃除などをしているとのことでした。表道1時間半というコースタイムは地元の人たちにとっては週末の山歩きにちょうどよいのでしょう。

延暦寺についてまず鶴㐂そばで昼食としました。登山で汗をかくほどだったので冷たい門前そばが美味しく胃にやさしく思えました。延暦寺は根本中堂の改修工事がなんと30年まで続くとのことで工事の見学となりました。屋根の細工や梁の極彩色の絵が近くで見ることができてこれはこれで面白いものでした。お香を買い求めて延暦寺を後にしました。

下山は予定通りケーブルカーとしました。屋上の展望台で景色を見ていたら乗車が始まっていて車両のいちばん後ろ、高いところのドア前の通路で立ったままとなりました。でも、車両のすべての窓からの風景を見ることができて堪能しました。ごとごとと揺れながらゆっくり進むケーブルカーは少し怖くもあり登山の疲れはいつしか忘れてしまいました。

思い返すと昨年末から訪れた山は半分は観光でした。八幡山、多度山、そして比叡山です。それぞれに史跡や社寺があり、登山を地元の人たちに親しまれている山です。体力的にも余裕がある山行でリフレッシュしました。

2026/01/11

枯れた花

 いつだったかNHKのテレビで京都の花を巡る創作家2人を紹介している番組を観ました。ひとりは日本画を描く女性、もうひとりは枯れた花の写真を撮る男性でした。日本画はすんなりと目に入ってきたのですが枯れた花の写真は目が釘付けになりました。わざわざ枯れた花を撮るのはどうしてなのか、すぐにはわかりませんでした。花づくりをしていると見頃を過ぎた花、花殻はどんどん取って捨ててしまいます。チューリップは花が盛りを過ぎると球根に栄養が貯まるように首をちょん切ってしまいます。でも、その枯れた花の写真を撮るのです。

この秋も終わる頃、玄関先のポットに植えたアンネのバラが一輪咲きました。アンネのバラは明るいオレンジ色で咲き始めてだんだん赤みが増して濃いオレンジで花が終わります。その色の変化がきれいです。そして、いよいよ萎れ始めると花びらは縮れて色は茶色に変わります。花びらは薄くなります。その変化がとても美しく感じられて毎日しっかり見るようになりました。でも、ちょうど忙しい時期だったので写真はスマホで撮っただけでした。

萎れて枯れたアンネのバラの佇まいはNHKの番組で紹介された写真家が撮った花を彷彿とさせました。その写真家を知りたいとネットで探しましたが情報はありませんでしたが、田島一成が枯れた花の写真集『WITHERED FLOWERS』(Akio Nagasawa Publishing 2020)を上梓していることを知りました。限定900部で入手は難しいと思いましたが1冊だけ見つけて取り寄せました。色調は紫が基調で萎えた花びらが重なって縮こまる姿は存在感がありました。これまで次から次へと花が咲き続けるように盛りを過ぎた花を摘んでばかりでした。散る桜もピンク色だからこそ注目されますが枯れた花や枯れゆく花もこれまで多くの人たちがその姿に思いを重ねてきたはずです。枯れた花と巡る人たちの営みにも気持ちを向けていきたい。


2026/01/04

レヴォーグ

この年末年始の休みは曜日の関係で9連休でした。恒例の掃除などの他にレヴォーグの納車や年始ツーリングがあってときめく休みとなりました。

レヴォーグは初のフルタイム四駆で積雪期でないと本領発揮はできないのですがビルシュタインのサスペンションも相俟ってか不思議な走りをします。急加速急ブレーキはしていませんが姿勢を変えずに加速して止まるのは分かります。シートのホールドも心地よく加速や減速、わずかな方向の変化など挙動が掴みやすい。アテンザもそうでしたが直進するだけで身体がすっきりするような感覚になります。ペダルも踏んだら踏んだだけ、踏む速さだけきちんと応答して気持ちがいい。高速道路での追従コントロールをはじめ衝突軽減ブレーキがあるのは大きな安心です。ボディカラーのピュアレッドは乗り込むたびにリフレッシュしていいものです。

レヴォーグは岐阜まで受け取りに行ったのですが下取りのオデッセイは夏タイヤで査定してもらったので1週間でスタッドレスから戻すことになりました。レヴォーグのスタッドレスは付いていたのですが後日送付となって昨日届きました。届いてわかったのはインチダウンだったことです。さて、どうするか。標準の18インチのホイールはブロンズのアルミを用意してあるのでタイヤだけ調達するだけで賄えます。何しろ付いていたスタッドレスは16年製造なので限界は明らか。一度そのセットに交換して走って決めるのが賢明なのでしょう。それにはロックナットを外さないと…

<追記>2026.1.6

ロックナットは地元のスバルで外していただきました。ロックナットは記念に手元においておきたくて持って帰りました。どうやって外したのかわからないのですがナットに無理な力がかかった形跡は見つけることができません。要した時間は実質十数分といったところだったと思います。

さて、楽しみにしていた(と過去形です)18インチのブロンズのホイールは、何と!17インチであることがわかりました。よく見ると17インチで出品されていました。レヴォーグVmに使っていたとの説明でサイズまで気が回らず、色と程度、値段に目がくらんでしまっていました。先日届いたスタッドレスタイヤホイールセットも17インチでタイヤは215/50R17です。今着いている夏タイヤは225/45R18です。どちらも「適合」です。どうしたものかと悶々と考えています。50の方が「乗り心地」は良いはずで、このことは今後メリットの方が大きいのではないかと思い巡らせています。今の225/45R18を乗りつぶした後ブロンズのホイールに新たに215/50R17のタイヤを着けてスタッドレスは今の17インチのホイールを続けて使うというのものです。経済的にもそれが最善の選択です。急ぐことはないので17インチのスタッドレスを試したい。

<追記>2026.1.11

スタッドレスタイヤに交換しました。製造年こそ2016年ですがよく見るとそこそこ行けそうに思いました。ホイールは純正ではありませんがスポークが放射状に広がるデザインなのでサイズ以上にタイヤサイズが大きく見えて気に入りました。扁平率は50ですが45と比べてちがいはわからないほどで、むしろスタッドレスタイヤのブロックパターンの方が目につきます。総じて急いで別途調達することはないという判断に落ち着きました。走りはスタッドレスタイヤ然としたものでソフトでブロックパターンの接地音が「コー」と聞こえてきます。タイヤを外したら黄色のビルシュタインのショックが見えたので写真を撮っておきました。

ライシテ展

 いつしか3月も半ばを過ぎてまだまだ風が冷たいと思っていたところ今日は何かがちがうと思うほどの芯が感じられるほどの暖かさでした。そうか! 今日は彼岸ではないか! 暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったものです。 今日は県立美術館の企画展「ライシテからみるフランス美術 信仰の光と理性の光...