2026/03/14

大石茜『保育の帝国史 ― 家族をめぐる統治の技法』

 先月の新刊でネットで目次を見てぜひ読みたいと思っていた本です。(岩波書店 2026.2)予約こそしませんでしたが早速取り寄せました。まず目を通したのは「第10章 満州のキリスト教保育」でした。とにかく興味津々で一気に読みました。そもそも宗教団体が満州国に向かったこと自体に関心があったところに保育や教育が重なると胸騒ぎがします。この章は他に比べて分量が少なく読み応えという点では物足りないのですがその概要をイメージすることができたと思っています。その後「序章」から順に読んでいます。500ページという大書ですが私のような門外漢でも比較的読みやすいので助かっています。かといって内容は深く重層的で保育だけでなく子ども学や歴史、哲学など幅広い知見が求められます。どこまで深く読むことができるのか少々心もとないのですが今月中に読んでおきたい本です。

ところで、この本も「怖い一冊」だと思います。「怖い」とは日常と並んでそこにあるのにそれに気づかず過ごしていたことを表します。もちろん私にとっての「怖い本」です。どうしてこんなことを知らずに今まで過ごしてきたのだろうとか、これでよく学校教育に携わってきたものだとか、自分の無知やアンテナの鈍感さへの不甲斐なさが悔やんでも悔やみきれないと頭も身体もフリーズしてしまうくらいのインパクトがある「怖い本」です。学校教育に教員として携わるようになって44年になります。今も現役の教員で担任をしています。それゆえの「怖さ」はどこにあるのか。その正体に気づき始めたのは定年退職前に経験した地元大学教育学部の非常勤講師がきっかけでした。教員を目指す学生に伝えたいことがあるはずなのにその言葉が見つからないというもどかしさがありました。今もあるのですが今はその正体がなんとか言語化できています。そう、教員の言葉、日々の営みを言語化するときの言葉が見つからないということなのです。目の前で起きていること、それついて自分が感じたことを表す言葉のことです。先月公開研究会に参加した伊那市立伊那小学校の自由参観授業後の「授業者との懇談」である先生が「言葉を探すことを大事にしている」と留め直して話されました。まさにそれなのです。学習指導要領の言葉でも心理学の言葉でもない、教員自身の言葉そのものです。何か正解があるのではない。自分の全経験、すべてから納得できる言葉をもって言語化ができるかどうか。そのためのトレーニングを大学の教員養成で行っているかどうか。それは心もとないのではないかと考えます。「教育哲学」が必修から外されたのは1989年だったとある本で読んだことがあります。哲学を学んだからといって私がいう言語化のための言葉がわかるというのではない。言語化のトレーニングを積むことが大事ではないのかということです。「教育の豊穣を語る言葉の可能性」という私の研究テーマは終わりのない旅だと思います。

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大石茜『保育の帝国史 ― 家族をめぐる統治の技法』

 先月の新刊でネットで目次を見てぜひ読みたいと思っていた本です。(岩波書店 2026.2)予約こそしませんでしたが早速取り寄せました。まず目を通したのは「第10章 満州のキリスト教保育」でした。とにかく興味津々で一気に読みました。そもそも宗教団体が満州国に向かったこと自体に関心が...