2026/03/08

中野幸次『ブリューゲルへの旅』

中野幸次というとエッセイ集『ブリューゲルへの旅』(河出文庫 1980、単行本1976)を思い浮かべます。そしてチャイコフスキーであり、きっと交響曲第6番「悲愴」を巡る彼の記憶であろう記述が私の脳裏に焼き付いています。

同著「闇」より

少年の頃、路をへだててわたしの家の前に、椎や欅や樫の深い木立ちにかこまれた屋敷があって、その家の高校生が帰省するたびにそこからチャイコフスキーの甘美な旋律が流れてきた。高校生はわたしの憧れでの身分であり、わたしは前に柿の若木のある二畳の空間でひとり勉強中であった。少年の耳に、近い死への予感を果てしもなく感傷的に甘美にうたいつづける音楽は、少年の憧れる世界の音そのもののようにひびき、わたしは全存在をゆさぶられる思いでそれに耳を傾けた。わたしはあれ以後二度とあんなに完全な陶酔を音楽に感じたことはあるまい。


文庫本刊行の1980年は私が大学3年生のときできっとそのとき京都で買い求めて読んだものと思います。「悲愴」を聴くたびに中野幸次のこの記述につなげてしまうと言っても過言ではありません。旧制高校は16歳からの修業でチャイコフスキーを聴く高校生が憧れだったということは中野はおそらく旧制中学校の生徒だったと思います。旧制中学校の修業年齢は12歳から15歳なので、1925年生まれの中野からすると1937年(昭和12年)から1940年(昭和15年)の間のエピソードだったことになります。当時の日本は戦争に突き進む流れの真っただ中で向かいの家の高校生は死が迫る来ることを予感せずにはいられなかったことと思います。中野もまた彼が聴くチャイコフスキーに死の影が抗いようもない甘美さを感じたのもわかるような気がします。当時の若者たちは少なからずこうした心持ちだったことは想像に難くないと言ってよいのではないか。今もまた、然り、ではないのか。

0 件のコメント:

コメントを投稿

中野幸次『ブリューゲルへの旅』

中野幸次というとエッセイ集『ブリューゲルへの旅』(河出文庫 1980、単行本1976)を思い浮かべます。そしてチャイコフスキーであり、きっと交響曲第6番「悲愴」を巡る彼の記憶であろう記述が私の脳裏に焼き付いています。 同著「闇」より 少年の頃、路をへだててわたしの家の前に、椎や欅...