2017/08/24

鞄の修理の話

先日、市内のスーパーに店を出しているリペアショップに革のリュックの修理の相談に行ったところ、店のなりを全身で表しているかのような店員さんがてきぱきと対応してくれて実に頼もしく、また、楽しい会話のひと時となりました。私が持ち込んだのは総革の黒のリュックで、スーツにも合うので毎日の仕事で使っていました。私の腰痛の解消はこのリュックのおかげです。ところが7月下旬にメインのファスナーを縫い付けてある下糸が1か所切れているのを発見しました。放っておくと糸がどんどんほつれていくのは時間の問題と思ってすぐに使うのを止めました。それは正解だったようで、その店員さんの説明では、今なら直線縫いも可能で安価な修理代で済むとのこと。糸は紫外線のためにやや赤っぽく変色していて色合わせを考えますということで預けてきました。縫い目は今の縫い目をひとつひとつトレースするのだとか。説明は具体的で修理の仕組みや素材についても次から次へと澱みなく話すようすはすごく楽しそうで私の頭の回転もついつい乗せられてしまうような感覚になりました。「どうしたら安く上がるかな?と考えながらぶつぶつ言ってるんですけど・・・」 提示された修理代は予想をはるかに下回るものでした。もう1点、これも総革のビジネスバッグも直してもらうことになりました。こんな店、こんな職人さんは地域の魅力化に一役買っていると思います。

10月から11月にかけて、週末の京都の宿を5泊分予約しました。予算上カプセルホテルになりましたが知人のすすめもあるおしゃれな意匠のようで楽しみです。ユースホステルやドミトリーで外国の人と過ごす時間も楽しみだったのですが、今秋の京都行は夜も自分の時間がほしいのでそれはまたの機会とすることにしました。9月に入って気がつけば年末だったということになりそうです。

2017/08/22

地域スクールにて

市の社会福祉協議会が主催する障害児の地域スクールで音楽療法のセッションをさせていただきました。13人の子どもたちのほとんどが初めてで、これもほとんどが初めてのボランティアのみなさん、そしてスタッフと、みんなで30数人でした。ほとんど初顔合わせでしたが冒頭からミュージック・ケアの空間を見事なほど共有することができて驚きました。私も子どもたちはもちろんのこと、その場のみなさん一人ひとりの眼差しや表情がつぶさに見て取れて時間が細分化されて時間が伸びたような感覚を味わっていました。不思議なひととでもありました。地域スクールの前身は障害児サマースクールで、この立ち上げにかかわったのは15年ほど前のことになります。運営の実績がこんなふうに表れるのはほどよい関係性で継続されているからでしょう。次は25日の午後です。

2017/08/20

シルバーマン著「自閉症の世界」を読む

夏休み唯一のフリーの週末でした。昨日はリフレッシュ、今日は自宅で雨読の一日でした。実り多い週末でした。

スティーブン・シルバーマン著「自閉症の世界 多様性に満ちた内面の世界」(正高信男・入口真夕子訳 講談社ブルーバックス 2017)を読んでいた時、自閉症の子どもの「治療」で「対話のレッスン中にちゃんと集中しなかった」ビリーという七歳の少年を平手でたたいている。」のところで思い出したことがありました。平成12年(2000年)、国立特別支援教育総合研究所に短期研修で赴いたとき、「叩いて自閉を治す」というような表題の本を見たように覚えています。不適切な行動を起こす直前のタイミングに子どもを平手で叩いて行動を起こさせないようにするというものです。これはいかがなものかと避けていたのですが、史実として確認しておきたいと思って情報を探してもネット上では見つけることができませんでした。方法として同じでなくても、「自閉的行動をまず消去しない限り自閉症児は学習できるようにはならない」等としてそれがアメリカで行われていたというのです。同様の「治療」は電気ショックを用いることなどにわかには信じられないことも記されていて自分の無知を責めてしまうほどです。

この本を読み進める中で何点か疑問に思ったことのひとつに、著者はDSM5に全く触れていないことがあります。DSMⅣまでの経緯は背景を含めて記述があるにもかかわらずです。DSM5のドラフトは2010年に出ているのでシルバーマンが知らないわけがありません。これをどう読み解くか。少なくともDSM5への期待ではないでしょう。では何なのか。この本の題名から著者のメッセージを推し量ってみます。

オリジナルの英語版(kindle版)の題名は「NEUROTRIBES」です。neuroとは神経の意味で、DSM5では自閉症関連は「Neurodevelopmental Disorders(神経発達症群)」にカテゴライズされています。自閉症やアスペルガー症候群はASDとされました。知的症なども含めて神経発達上に課題がある症例としたわけですが、原題のneurotribesは直訳すると「神経の種族」で、まるでDSM5に真っ向から挑戦状を突き付けているのではないかとも受け止められるネーミングと思われます。しかし、この本全体の文脈からしてあらたな診断名の提案のようなものではなく、この題はあくまでも現時点での自閉症の研究プロセスの状況を表している、つまり著者にとっても「仮題」ではないでしょうか。今後の研究に俟ちたいというメッセージだと考えます。そもそも自閉症について詳細に書いておきながらautismを表題とせず、neurotribesとネーミングした著者の意図に思いを馳せながらじっくり読みたい本です。

しかし、邦訳についてはネット上で意訳や誤訳、割愛の指摘が少なからずあって、私もなんとなく読みづらいところがあると感じていました。かといってオリジナルの英文ですらすらと読めるわけではありません。翻訳ものは意訳や誤訳、割愛に触れてなくてもそうしたことがあるものとして読むスタンスが大事です。シルバーマンの「自閉症の世界 多様性に満ちた内面の世界」はそれを承知のうえで教育に携わるみなさんに広く読んでほしいと思っています。

ちなみにkindle版の副題は「The Legacy of Autism and How to Think Smarter About People Who Think Differently」です。「legacy」という言葉は「東京2020のレガシー」等々で使われるので却って訳は難しいと感じています。

※以上、後日修正の可能性があります。

このkindle版、今朝はたしか790円でしたが昼過ぎに690円となっていて思わず購入してしまいました。私の見間違いだったのだろうか・・・ 今日は、あと、メルロ=ポンティの「知覚の現象学」も何日か迷った末にオーダーしました。両義性についてやはり原典を当たっておきたいと考えました。これも翻訳ものですがオリジナルはフランス語か・・・

2017/08/13

サマースクールのセッションで考えたこと

先週木曜日の朝起きようとしたら両脚の太ももに少し張りがあることに気づきました。前日、以前勤務していた肢体不自由の特別支援学校のサマースクールでミュージック・ケアのセッションを行ったことが原因でしたが、その脚の張りがとても心地よい一日でした。

今年の会場は学校で、木造の教室や廊下から木の香りがして懐かしさがこみあげてきました。子どもたちと家族(今日はみんなお母さん)、担任の先生、看護学校の学生ボランティア、他校から研修で参加の先生方とに大勢でにぎやかでした。このサマースクールは年に1度でしかも年によってグループが異なりますが10年以上続いているので私のセッションの文脈を覚えていてくださっていてすぐに一体感のある空間ができ上がります。これはすごいことだと思っています。動と静、発散とコントロール、インスタントサクセスの積み重ね、子どもとお母さんのコンタクトや交流、笑顔も言葉もすばらしいものでした。初めての学生ボランティアや先生方もすぐ理解していただきました。1時間20分があっという間に過ぎてしまいました。セッションが終わっても会場のあちこちで楽しそうな声がして、帰り際に初めてお会いした若いお母さんが「すごく楽しい時間でした」と声をかけてくださいました。子どもの笑顔はお母さんの笑顔につながり、お母さんの笑顔は子どもの笑顔にストレートにつながります。いっしょに楽しい時間を過ごすことの意味はとても大きいのです。

セッションの最中、リードする者としてその場の全て、集う子どもたちやお母さん、学生ボランティア、担任の先生、研修参加の先生、みんなみんなの参加の姿とその空間の物語、そして、プログラムの組み立てと曲選び、動作を通した音楽の伝え方や聴き方、等々について、把握して分析し、次のアクションとしているのだということ、そのこと自体をクールに見つめるひとりの自分がいた、今回はそんな感覚がはっきりとありました。ポコ・ア・ポコが思うように開催できなくなって半年を過ぎて久しぶりのセッションだったということもあると思います。一つ一つの要素を確かめながら準備し、セッション中も五感を総動員していました。そして、鯨岡峻先生の関係発達の著書を読んでいる最中だったことも深く関わっていました。重症心身障害児といわれる子どもたちの教育やミュージック・ケアのセッションの意味を関係発達の考え方から説明し、支えてきたことを自らの実践で表し示しているのだという少々不遜なことも考えていたようです。同時にそれはその日の私の役割でもありました。

もうひとつ、夏休みだったことも私の感じ方を変えているのかもしれないと思いました。夏休み前半は出張が続いて新幹線などの公共交通機関をよく利用します。夏休みなので子どもの姿をよく見かけます。学校ではない場、空間、文脈での子どもたちです。そして、お母さんやお父さん等々、家族単位で子どもを見る機会がたくさんあって、なぜか、そんな子どもたちの姿がすごく愛おしく思えるのです。一昨日のセッションでの子どもたちとお母さん方との温かい穏やかな関係性もそうでした。子どもたちもお母さん方も満面のすてきな笑顔でいっしょに過ごすことに関わることができてほんとに嬉しく思いました。みんなの幸せを心から願いながらセッションを終えました。

2017/08/05

本2冊

今日明日と研修で京都に来ています。病気の子どものストレスがテーマです。一昨日と昨日は病弱教育の研究会で大分に行っていました。この4日間の移動距離は2,000km近くにもなって移動中は貴重な読書時間となりました。おかげでスティーブン・シルバーマン著「自閉症の世界 多様性に満ちた内面の真実」(正高信男・入口真夕子訳 講談社ブルーバックス 2017)を読了しました。600ページ超のカタカナ名がたくさん登場して翻訳然とした文体なので速読みというわけにはいかず、先々週末までに半分近くまで読んだところで中断していました。ペーパー版は厚さが3cmほどもあるのでスマホでも読める電子書籍も購入して読みました。都合2冊購入したわけで、この本はそれほど私を虜にしました。

シルバーマン著「自閉症の世界」を読み進めるなかで、どうして今までこのような本がなかったのか、あるいは私が知らなかっただけなのか、訝しくかつ不思議でした。自閉症にかかわる誰もが知っていておかしくない自閉症にまつわるヒストリーです。知っているべきことといえるでしょう。今あるものには必ず訳がある、経緯があると常々自分に言い聞かせてきたはずなのに、また、DSMⅣからDSM5へのバージョンアップに際して診断基準が大きく変わったことを承知しているはずなのに、どうして自分で自閉症のヒストリーを吟味することをしようとしなかったのかと反省すること頻りです。内容はあまりに多いのでここで触れることはしませんが、幸いこの本は順調に販売冊数を伸ばしているようで嬉しく思っています。自閉症、ASDを巡る環境だけでなく、社会全体の在り様も少しずつよくなってほしいと願っています。

鯨岡峻著「ひとがひとをわかるということ 間主観性と相互主体性」(ミネルヴァ書房 2006)も鞄に入れました。私の本は2010年の第4刷で、決して読みやすくはない心理学の専門書が毎年増刷されてきたことに驚きます。大学で教科書として使われているのでしょうか。私が初めて鯨岡先生の関係発達の考え方に触れたのは2003年の千葉淑徳大学の発達臨床研修セミナーでの講演「子どもの関係性の発達」でした。当時私は肢体不自由の養護学校(当時)で医療的ケアの重度重複障害の子どもたちといっしょに過ごしていて、その中で自分が感じていたことに照らし合わせて腑に落ちる言葉たちでした。重症心身障害の子どもの教育の依りどころとなる考え方と言葉を示していただいたと思いました。教育とマネジメントを支えてくれました。そして、今、あらためて依りどころにしたいと思っています

2017/07/30

マニラフォルダ

先週末、出張から帰るとマニラフォルダなるものが届いていました。100枚入り1箱です。マニラフォルダはアメリカのレターサイズ用なのでA4サイズの紙を入れると横が約2mm、縦も2mmほどはみ出します。これをどう考えるかですが、このジャストミスマッチのようなサイズ感が使いやすいとか。マニラフォルダと似た個別フォルダは日本製の今日的な高品質な紙で面白くないようです。届いたマニラフォルダはメーカー名と品番、そして「made in USA」とまるでゴム印を押したかのような素っ気ない印のある2つ折りの紙ばさみです。きれい過ぎてほんとにマニラ紙なのだろうかと思ってみたりしますが、日本メーカーでは作りそうにない素っ気なさです。これにテーマ別に資料を放り込んで専用の段ボール箱に立てて入れます。テレビで時々見るアメリカの書庫にあるシステムです。映画「アンタッチャブル」の最終シーン、シカゴのオフィスを離れるときにケビン・コスナーがアル・カポネの有罪判決を報じる新聞から切り抜いた見出しをマニラフォルダに挟んで革のブリーフケースに入れます。続けてピストルのホルダーを外してブリーフケースに無造作に入れたところでマローンが現れます。映画とはいえ出来過ぎの観がありますが、ここぞというシーンで活躍するマニラフォルダです。よくよく考えると私にも使い勝手はよさそうと思い当たりました。ネットで検索すると熱心なファンも少なくないようで輸入販売も堅調と見ました。サイズの異なるメモや新聞の切り抜きなども気にせずにまとめておけます。ここが私にとって大きなメリットです。手帳やノートのサイズを気にせずにメモできます。来週も出張が続きますがメモは荷物を気にせずにチョイスできるようになりました。

2017/07/19

佐野美津男「魔法使いの伝記」幾たびか

来週、新規採用と6年目、11年目の研修の講師を務めることになり、〆切を1日過ぎた今日、当日配布の資料を送りました。キーはやはり「言葉」です。そんなときいつも思い出すのはアメリカの「言葉」であり、佐野美津男の児童文学「魔法使いの伝記」と「翻訳の世界」(1982年2月号)に寄せた「ことばがきえる」です。その「翻訳の世界」がここしばらく見当たらなくて今夜も探したのですが見つからず、以前に書いたものを読み返しました。「魔法使いの伝記」は不思議な魅力がある本です。

無題(06/5/27)
 
ふと思い出して本棚を探るときがあります。昨夜は『翻訳の世界1982年2月号』(日本翻訳家養成センター 1982)でした。特集は「童話 ことばのレッスン 分かりやすさだけでいいのか」です。この特集にある佐野美津男の「ことばがきえる」は初めて読んだときから強いメッセージ性を感じるものでした。この文章のどこが私をしてただならぬ胸騒ぎを覚えしめるのか。どんなときにそうなるのか。
 
童話という言葉を童謡に置き換えると、やはり同じことが言えるのではないか。佐野美津男のテーマの横にはこの一文がある。「『いつまでもねんね』と思う親、いつしか自立していく子ども…共生的児童文学を断固として退け、子の成長を促せ。児童文学の真の成熟を!」 私も大人の逃避の対象となるような捏造された子どもの世界は受けつけられない。文学でも音楽でも同じだ。佐野美津男が引用するメルロ=ポンティの講義要録『言葉と自然』(滝浦静雄・木田元訳 みすず書房)では、「対人関係と知性と言語とは、直線状の系列や因果関係に配置されうるものではなく、ある人が生きている渦巻く流れに属しているのである。言語行為とは話上手な母親のことである、とミシュレが言っていた。ところで、言語行為は幼児を、あらゆる物に命名し存在を言葉にするこの母親とのいっそう深い関係に導きもするが、それはまたこの関係をいっそう一般的な秩序へと移調もするのである、つまり、母親こそが幼児に、まずは母親の直接性から遠ざかって行く回路-この回路を通って、幼児は必ずしもその直接性をふたたびみいだすとも限らないのだが-を開いてやるのである」とある。言語行為という単語にはフランス語の読みの「バロール」がルビとしてついている。これを音楽行為と置き換えた時、やはり私は共感する文脈を見いだすのだ。童謡なる音楽も幼児をいっそう一般的な秩序へと移調させる役割を本来担っているはずである。音楽と出会うことで子どもが自分を大切に思い、母親や友だちとの間で音楽を共有することで他者との関係性の築き方を覚える、つまり、一般的な秩序へと移調させていくのである。ただ、そうなればいいのであるが、一歩間違えると、母親なるものとの共生から自立できなくなる。音楽はその力の大きさゆえに音楽を扱う仕事に就く者の責任もまた大きいことを肝に銘じておくことが必須だ。
 
若尾裕はカワイの『あんさんぶる』連載の「音楽は生きている」(No.423 2002年3月号「ナポリの音楽療法ヨーロッパ学術大会その2」にこう書いている。「Aという人とBという人との間に音楽が成り立つということは、この二人の間に共有の音楽文化があるということだ。ではAという音楽療法士と、Bという、例えば5才の自閉症児の間ではどうだろうか?やはり、AとBの間には共有の音楽文化が成り立つことを音楽療法の前提にしている。だが、こういった音楽文化については心理学や医学で論じることはまったくできないのである。科学の方法論では、なぜ音楽は存在するのかといった哲学的な問題は扱えないのだ。そこに関わることができるのは、哲学、美学、音楽学などの文系の学問なのである。」教育もそうなのだが、今は数値で評価を求められることが多い。アカンタビリティ(説明責任)を果たすプロセスの中でそうした量的評価も必要となる部分もあるが、音楽療法、教育とも、量的評価傾倒からの揺り戻しが始まっているように私は思えてならない。この流れは歓迎するものの、果たして、「哲学、美学、音楽学などの文系の学問」で語ることができる土台が音楽療法や教育の現場にあるのかどうか、危惧するところだ。いくら価値ある実践を積み重ねていても、そのよさ、価値を伝える言葉をもたないとそのよさも価値も伝わらないことが少なくないし、また、致命的なこともある。
 
こうしたことをあれこれ考え、腑に落ちる言葉を探して綴っているのは、発達障害の子どもたちの成長とQOLの保障について考えることがこのところ多いからです。
 
上田義彦写真集「at home」(リトルモア 2006)が届きました。B4版と小柄ですが、厚さはなんと3.3cmもあります。柔らかなトーンのモノクロはライカと銀塩フィルムの成せるところで、写し込まれた人の存在のリアリティとでもいうのでしょうか、日常の営みの意味の重みが伝わってきます。この写真集は一押しです。折しもSONYのデジカメ、サイバーショットR1のコマーシャルで“似た”写真を見ました。お母さんの胸に抱かれる赤ちゃんの写真です。レンズはカール・ツァイスです。でも、でも、ちがう。銀塩モノクロフィルムとはちがう。別物です。
 
夜、NHK-BSで映画「今そこにある危機」“CLEAR AND PRESENT DANGER”を途中から観ました。主演はハリソン・フォードです。主役が徒党を組まない設定は映画のストーリーの定石ですが、ハリソン・フォードが演ずると格別の感銘があります。私も徒党を組まないことを肝に銘ずる。

2017/07/17

奈良にて

昨日、奈良市写真美術館と中宮寺に行ってきました。奈良市写真美術館は企画展の本橋成一「在り処」(ありか)がお目当てです。本橋成一の作品はチェルノブイリ原発の事故後の現地の写真が目に留まって彼の写真を意識してみるようになりました。(「写真」なのか「作品」なのか、言葉の選択に迷います。)「在り処」には収録されなかったのですが、ナージャという女の子が「教室に散乱する教材の中から遊び道具を探す」「ナージャにとって放射能のことより、友だちがいなくなったことのほうが悲しい」の2枚でした。今回の写真展では200数十点というかなりの作品を鑑賞することができました。オリジナルプリントでしかわからないものがあります。写真集「在り処」の帯には「アラヤシキ、雄冬、与論、炭鉱、上野駅、藝能東西、サーカス、賭場、チェルノブイリ」とあって、彼の仕事の集大成といえるでしょうか。これらのテーマの中で昨日も感じたのは、チェルノブイリの写真の造形的な構図感でした。絵画とも思えるような印象です。それがチェルノブイリ原発の事故の犠牲となった人々の抜け出せない現実の厳しさを一層強く伝えているように思います。

中宮寺は思惟半跏像に会いたくて行きました。コンクリート造の本堂は意外でしたが、薄暗い本堂に鎮座する思惟半跏像はある意味仏像を超えた存在のように思いました。ただただ静かな佇まいでした。それが見る人の心を静めるのでしょう。本堂の3方の扉は開け放たれ、通り抜ける西風が時間の流れを忘れるのを辛うじて止めているかのようでした。

久しぶりのリフレッシュの一日となりました。

2017/07/15

「BELIEVE」

勤務校の開校式でした。子どもたち手作りの胸花でお客さまをお迎えし、子どもたちが司会進行を行うなどやわらかな文脈を心がけ、フィナーレは「BELIEVE」(「ビリーブ」杉本竜一作詞作曲)をみんなで歌いました。今日の「BELIEVE」はこれまで聴いたどの演奏よりもやわらかであたたかくて包み込む力があり、併せてめざすところを示してくれているように感じました。感無量でした。子どもたち、教職員、お客さまみんなが一体感に包まれていたように思いました。感謝、感謝でした。ひとつ、大切な節目を越えました

2017/07/08

This is Language.

山崎佳代子著「ベオグラード日記」を知ったのはあるツィートでの引用でした。これはただごとではないと思いました。Amazonの同書のレビューもまた私の言葉欲をそそりました。「熱く冷たい言葉の数々」とは言い当て妙だ。そして、今週届いた山崎佳代子の詩集「秘めやかな朝」はその研ぎ澄まされた言葉がさらに透明感を増して私の目に映りました。詩にこんなにも惹かれるのは久方ぶりでした。

言葉、といえば映画「13days」でマクマナラ国防長官が発する一言が意味することろに思い巡らします。「This is Language.」(これは言葉だ)ペンタゴンで直接指揮をとるマクマナラが軍の挑発とも受け取られかねない行動を激しく制し、この言葉で一喝します。それは文民統制を象徴する台詞であり、アメリカが言葉を大切にしてきた歴史の1コマでもあると思います。次の引用は私のサイトからです。

言葉(03/9/27)
■9月20日の朝日新聞の「天声人語」にたいへん共感するセンテンスを見つけました。それはアメリカ合衆国の独立宣言、憲法、権利の章典の原本が修復を終わり、ブッシュ大統領が出席して公文書館の式典が催されたことにまつわる記事です。
■「独立宣言などの建国文書について米紙が興味深い言い方をしている。『米国は言葉によって、その存在を高らかに宣言した』『これらの文書がなければ、この国は存在しなかったとさえいえよう』。そして『言葉が大切なのだ』。文書を収めるケースは『神殿』と称されるらしい。あの国にとって、建国文書がいわば、『三種の神器』なのだ。」(朝日新聞「天声人語」から 2003.9.20)
■このところ、言葉の大切さ、重みを実感するエピソードが数多くクローズアップされてきています。マニフェストもそのひとつです。インフォームドコンセントも個別の指導計画もそうです。こうした言葉たちはそのひとつひとつが具体的な姿あるものや数値を扱っています。同意だけでなく合意を目指しています。そして、人と人との関係性についてもこうした言葉で扱われようとしています。でも、関係性は直接確かめることはできません。だからこそ言葉で確かめ合うものなのです。“約束”という言葉が甦る。

1週間後の土曜日は勤務校の開校式です。言葉がキーです

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...