2025/01/28

満州開拓平和記念館と井口喜源治記念館へ

 先週末に長野県下伊那郡阿智村の満州開拓平和記念館と安曇野市の井口喜源治記念館に行ってきました。

満州開拓平和記念館は幹線道路から離れた細い道の奥にあります。建物は平屋でさほど大きくないものでした。しかし、中身はたいへん充実した濃いものでした。記念館のあゆみをまとめた動画の上映前に職員の方の説明に「民間で」立ち上げたというくだりがありました。日本政府が整えるべき施設であり保存するべき資料なのに民間が担っているのはなぜか。満州は日本にとって“不都合な史実”ということなのか。記念館を訪れた中学生の感想に「日本が加害者だったことに驚きました」という一文がありました。歴史を見る確かな見識をもたねばならない。記念館では満州に渡った人たちの証言を様々な形で残していてそれがたいへん貴重な資料だと思いました。地道な取り組みですがそうした資料を目の当たりにするとかけがえのないものとして迫って少し息苦しくなるほどでした。三重県の資料も函入りのハードカバーとなってまとめられていました。私も町内から満州に渡って終戦で帰ってきたときには骨壺をいくつも抱いていた話を母から聞いたことがあります。過酷な歴史です。帰国してからも地元で暮らせる人は多くなかったようで新たな土地をまた開拓する苦労が重なり、その土地をバブルで買い上げられてまた他所に移ることになったなどにわかには信じられないことがあったと知りました。今回は1時間半の滞在でした。また訪れてしっかり証言を追いたいと思っています。

安曇野市の井口喜源治記念館は満州開拓平和記念館から車で1時間半で着きました。ここは古い建物で私が訪れるまで展示室の電灯や暖房も消してあったようで職員の方が点けてくれました。といってもコンクリートのたたきは家庭用のファンヒーターひとつですぐに暖まるわけではありません。深々と冷える中で動画や資料を見ました。ここを訪れたいと思ったのは信州教育とキリスト教のかかわりを調べていてその原点が井口喜源治の研成義塾にあるのではないかと考えたからです。かといって記念館にそれを示す資料や展示があるわけではありませんが、井口喜源治が日ごろ何に触れて何に囲まれて過ごしていたかという空気感はあったと思っています。ここもまた何度か訪れたいと思っています。相馬黒光の自宅から研成義塾に寄贈された明治の足踏みオルガンも弾いていいということだったので少し音を出してみました。ペダルを恐々と踏んだのではっきりした音は聴けませんでした。同志社大学人文科学研究所 編集の『松本平におけるキリスト教―井口喜源治と研成義塾 』(1979)の読書会を行っているようで来年度は参加したいと思います。

帰路は塩尻ICから中津川ICの間を国道19号線を走りました。国道19号線は木曽高速という異名をもつようですが交通の流れはたいへんゆるやかで景色をそれなりに見ることができました。といっても午後の時間帯は木曽川の谷に沿ってJR中央本線と国道19号線が走っていて東西を山に囲まれているので日照時間が短くてはっきり見えたわけではありません。驚いたのは点在とはいえほぼずっと家が見えたことです。旧中山道であったことからずいぶん賑わったことと思います。奈良井宿など宿場を示す標識もあちこちにありました。この谷沿いも歩いてみたいのですが、木曽福島は登山と縁のある街だったのではないだろうか。大学生の頃よく読んだ登山の本にあったような気がしました。

1日の走行距離677.8km、帰宅時の燃費は14.1km/Lでした。

2025/01/13

京都へ

この3連休は冬型の天気で山は新雪が積もってきっときれいと思いましたが私の技術では想定外の困難があるかもしれないと山行は断念しました。そしてふと京都に行くことにしました。京都はオーバーツーリズムでたいへんと聞いているので新名神が名神と合流する手前の草津田上ICで降りてJR瀬田駅近くの駐車場に車を置いて鉄道で京都に向かいました。京都駅で山陰線に乗り換えて太秦まで行き、そこで嵐電に乗り換えて等持院・立命館大学衣笠キャンパス前で下車して徒歩で等持院に向かいました。

等持院は3連休中日なのに訪れる人はまばらでゆっくり回ることができました。等持院を訪れた理由は特にあるわけではなく散策のスタートにしようとしました。足利氏代々の坐像は初めて等持院を訪れたときに目が釘付けになってしまってその記憶を確かめるためにその後も足を運ぶことになったのだろうと思いました。

さて、Googleマップを見て次はどこへと一思案かと思いきや、「行きたいところ」を示す緑色のフラッグのアイコンがあちこちにあってそこを辿ろうと考えてすぐに歩き出しました。スタートが遅かったのでその時すでに昼12時半を回っていてどこかで昼食もとまたGoogleマップを見るとフィンランドカフェ ポーヨネンが目に入りました。いつどういう経緯でそこが登録されたのかさっぱりわかりませんがとにかく行ってみることにしました。途中、北野天満宮の前を通るとたくさんの参拝客がいてそこはスルーしました。

ポーヨネンは今出川通りを北に10mほど入った間口2間くらいの小さな店で動きにくい引き戸を開けたところ調理場と思しきスペースとカウンターが半分くらい占めていて狭い通路を挟んで小さなテーブルが壁に張り付くように置いてありました。先客はふたりで私が入ると席はあってもあとひとりというか一組がやっとか。私が注文したのはリハ プッラというミートボールでコケモモジャムを付けて食べるとメニューにありました。マッシュポテトが“がっつり”付くそうな。飲み物は“世界一マズいと言われている”サルミアッキとミルクを合わせたサルミルクです。どんなものが出てくるだろうと壁のポスターや本を見ながら待っていると小さなミートボール4個に広がったマッシュポテト、サラダが半分くらいを占めたプレートが来ました。コケモモジャムはミートボールの間にあって頼りなさそうに見えました。これだけで一食になるのかなと思いました。店の女性からコケモモジャムなどの話を聞きながらいただきました。ほどなくサルミルクも来ました。ジャムの類をミートボールに付けて食べるのは初めてでした。フランス料理は砂糖を使わないし私も料理にほどんと砂糖を使いません。その舌でジャム付きのミートボールは如何に!?と思っていましたが一口目から美味しい。その美味しさを何度も味合わいたくて小さなミートボールを半分に分けていただきました。マッシュポテトは薄味でサラダのドレッシングも薄味でこれは私の好みでした。サルミルクも美味しかったです。北欧のコケモモジャムは甘さが控えめで日本のジャムでは代わりが難しいそうな。日本では手に入りにくいのでそのときの代用も教えてもらいましたが店で販売もしているというので1瓶買い求めました。「値段が高いけどいいですか?」と一言ありました。私が住んでいるところから近いフィンランド カフェを教えてもらうと自宅から車で20分くらいだったので驚きました。また訪れてみたいと思いました。そんなこんなで店を出てあるき始めるとボリュームが心配だったのにお腹はしっかりした満足感があることがわかりました。

次は晴明神社で初詣客で賑わっていましたがほどほどでした。京都駅に向かって歩いていると京都府の旧庁舎など興味をそそる建物や地名がたくさんありました。平安女学院の聖アグネス教会は「ご自由に」とあったので入りました。大学の時京都で暮らしていたのでその教会の前は何度も通ったことがありましたが入るのは初めてでした。外壁は煉瓦造りですが中は木造建築そのものでした。高い天井も木が組み合わされていて日本瓦をこの構造で120年余も支えてきたのには驚きます。中は灯りが点いておらず焙煎したコーヒー豆のような深い色の壁や調度品が落ち着いた佇まいでした。横長のいすには真紅の布がかけられてあって色合いがやさしく、また、布の襞がとてもやわらかく思われました。

キリスト教の教会といえばとGoogleマップを見ると正ハリストス教会にしっかりマークがありました。ここは教会を外から見ただけでしたが遠く日本で布教を行ってきた歴史の深さを思いました。

途中、前々から気になっていた堀川商店街をゆっくり見てきました。街の図書館ではオープンダイアローグのイベントのチラシをもらってきました。堀川にかかる橋から下を見ると男の人が流れに沿った歩道のようなところを歩いていてこれも驚きました。よく見ると階段があって下に降りることができます。川底を歩くような格好となるので鴨川の堤を歩くのとは趣きが大きくちがうだろうなと余計なことも考えました。

京都の散策本は小倉紀蔵の『京都思想逍遥』(ちくま新書 2019)がいちばん身近に思っています。その地の歴史に思いを馳せながら歩くということについては京都はその密度の高さにおいて圧倒されます。昨日はやっとその一端に触れることができたのではないかと思います。県内の楯ヶ崎の駐車場まで車で約1時間半、瀬田駅前まで約1時間15分、距離は何とどちらも101kmで同じです。前述のオープンダイアローグのイベントは来月にあるので参加を目論んでいます。

2025/01/11

楯ヶ崎へ

熊野市の楯ヶ崎に行ってきました。熊野灘に面した断崖の一端がダイナミックな柱状節理を形成していて壮観でした。空は真っ青、海は穏やかで細かな波形が陽光に細かく輝いていました。絶好の登山日和でしたが片道約40分の遊歩道のようなコースでした。しかし、ハイカットの登山靴で行きました。

11月のツーリングの翌日、目が覚めると左膝内側に今までにない痛みがあるのがわかりました。階段を降りるのもつらくてだましだましの毎日ですが何もしていないときは痛みがありません。ネットで調べると鵞足炎か。久しぶりに乗った250kg超のバイクを支えるとき無理な力がかかったのかもしれないと思っています。日薬で少しずつ良くなってきてリハビリにと楯ヶ崎まで行くことにしたわけです。コースからすると大げさですがハイカットの登山靴を履いて靴紐をぐっと締めると怖いものなしの気分です。昨年骨折した右足首に時々痛みを感じましたが大きな不安もなく歩くことができました。

千畳敷という岩場で同行の知人がMSRの灯油バーナーをいじりだしたら頭上にトンビのような鳥が20〜30羽飛んで旋回を始めました。おにぎりや唐揚げだったら急降下で掠め取ろうという魂胆か!? 湯がわいてカップスープを取り出すとあてが外れたようで遠くに行ってしまいました。昼には気温が15℃まで上がりましたがカップスープの温かさはありがたくて元気が出ました。

今日の装備を備忘のために記す。インナーはミレーのメッシュ上下に下は薄手のタイツと裏起毛のトレッキングパンツ、上はモンベルのウィックロンのジップオープン襟付きに薄手の同タイプのフリースで行動して休憩時はモンベルのスペリオダウンジャケット。帽子はコロンビアのニット。靴はモンベルのアルパインクルーザー。ザックはオスプレイ38L。カメラは2台のCanon EOS M5にTAMRON 18-200mm F3.5-6.3 DiIII VC B011EM-BLACKとEF-M 10-22mm F4-5.6IS STMを着けっぱなし。

2025/01/06

メガネの憂鬱と満蒙開拓青少年義勇軍

不謹慎な気配がする見出しですが今日メガネ店に行かなかったらおそらく出会うことがなかったであろう新聞記事とのエピソードです。

昨年5月に新調したメタルフレームのメガネのかけ具合がいよいよおかしくなってきて年明けから古いセルフレームのメガネを使っていました。こちらは昨年レンズを交換したので視界はクリアですが何しろ15年も前のフレームです。ツルにヒビが入っていたりと心もない代物ですが不思議と私の顔と頭の形に合って予備メガネとして重宝してきました。ただこれに頼ってばかりもいられずメガネ店に行くことにしました。よく見るとメーカーも品番も同じのメタルフレームがあってフレームだけを交換することになりました。前のフレームは全体がメッキのように輝いていましたが今回のはレンズのまわりがチタンのマテリアルの色、ツルは紺というツートンで落ち着いた配色です。掛け心地がすこぶる良い。前のフレームも品定めをしていたときは良かったのですがフレームの調整でおかしくなって何度か店に行って調整をしてもらったのに元に戻せませんでした。耳と耳の周りが痛くなったりフルフェイスのヘルメットではきちんとかけらなかったりと散々でした。そのため今回は店で並んでいる状態、試し掛けで良かった状態で受け取ってきました。掛け心地も見え方も申し分ありません。フレームを交換しただけでしたが見え方を確かめるために新聞が用意されました。そのトップ記事を見て食い入るように読んでしまいました。見出しは「満蒙開拓団 少年の心境」で今朝の中日新聞でした。メガネ店の帰りにコンビニでその新聞を買い求めました。

信州の教育を調べていた時、満蒙開拓青少年義勇軍の隊員は長野県が全国最多で同県の教師らが子どもたちに呼びかけて募っていたことを知って驚きました。「教育県といわれる長野でまさか」というのが率直な感想でした。このことは今も調査が進められているようで今日の中日新聞の記事もその延長線上のものと読みました。戦後80年となる今年、新聞で取り上げられた少年の日記や遺品が公開されるようです。こうした資料は今も少なからず少年義勇軍の元隊員の実家などに眠っているのではないでしょうか。調査が進んで公開されることを切に望んでいます。

2025/01/01

バレエの歴史

この年末年始はバレエの歴史の本ばかり数冊を渡り歩いて読んでいます。きっかけはクリスマスの日に日本ヴァレリー研究会のウェブサイトで寺尾佳子の書評、川野惠子著『身体の言語 ―― 十八世紀フランスのバレエ・ダクシオン』(水声社、2024年)を読んだことです。そもそもバレエ・ダクシオンとは何かという初歩からですが、前々からバレエで物語を表現することの不思議さが気になっていたのでそれを紐解く示唆があちこちにあって夢中になってしまいました。事はバレエだけではありません。私自身が経験してきたミュージック・ケアの身体、学校を詩境という言葉で捉えた信州の教師のまなざし、そして、4月から担任してきた4年生の子どもたちの姿も重なって私の頭はちょっとした飽和状態となっています。歴史の中のバレエという視点もすこぶる面白い。「教育の豊穣を語る言葉の可能性」をテーマとする私の研究がなんとか進みそうです。

下鴨納涼古本まつり

  京都下鴨神社薫の糺の森が会場の下鴨納涼古本まつりに行ってきました。古本まつりなるものに行ったのは初めてで、しかも神社の境内なので見るものすべてが新鮮でとても面白かったです。この古本まつりを知ったのは県内の古書店のインスタグラムです。時間ができたので思い立って行った次第です。小...