■寒くなりましたね。今年も暖冬かと残念に思っていたのでうれしい! 雪が好きだから(^_^)/~~~ 少し前、スタッドレスタイヤを買いに行ったら売り切れという夢を見ました。 この日曜日、ミュージック・ケアの総合研修第3回の帰りに通った青山高原は気温が2℃でした。「凍結注意」の表示まで出ていました。それでなくても山間部を通勤する毎日、早目にスタッドレスタイヤに替えなくては! そして、冬の八ヶ岳高原に…行けるかな?
■今使っているVAIO-SRのHDDに音楽を録音してみました。これが快適です。今も音楽をききながらキーを叩いています。ソフトはSonicStageで、適度に圧縮して記録するのでHDDの空き容量を気にせずに使えます。SonicStageはHDDに音楽を記録して再生するだけでなく、CDのバックアップ、オリジナルCDの作成、MDへの音楽データ転送と、音楽好きにはたまらないソフトです。これではソニーの思うつぼですが、やっぱりVAIOは魅力的です。ミュージック・ケアのセッションにパソコンでMP3ファイルを使っているセラピストがいます。納得の使いやすさです!
■VAIO-SRのHDDに録音したのはミュージック・ケアの音楽です。+αに坂本九の『見上げてごらん夜空の星を』を加えました。坂本九の歌に合わせて手話で歌うと泣けてきます。メロディーも歌詞もいい。音楽的にもクリシェのお手本となる和声進行で心の奥深くすっと入ってきます。すてきな歌です。人は“死ぬ”と星になるのかも知れない…同じクラスだった子が12歳で逝ってしまいました。“お星さま”になったと思いたいのです。
2002/11/12
『見上げてごらん夜空の星を』
2002/11/03
ノードフ&ロビンズ創造的音楽療法
■11月2~3日と、財団法人ひょうご子どもと家庭福祉財団主催の第101回療育研修会「特別な配慮を必要とする子どもたちのための音楽療法」に行ってきました。会場は兵庫県三田市の“さんだ子ども発達支援センター”です。講師は千葉県の船橋音楽療法研究室主宰の濱谷紀子先生・同研究室所属の益山ゆき先生です。2日間、延べ10時間、まさに音楽漬けでした。
■カテゴリーでは、ノードフ&ロビンズ創造的音楽療法です。私はノードフ&ロビンズ共著の『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998)を座右の書としながらも、ノードフ&ロビンズ創造的音楽療法のセッションの実際についてはあまり知りませんでした。今回、数々のセッションの記録ビデオを見ながら説明を聴いて、また、実習もすることができ、その核心に触れた思いがしました。2日間にわたる研修で、私は音楽以外の仕事に復帰できるかどうか不安になったくらいです。すばらしい研修を提供していただいた濱谷先生と益山先生に心から感謝しています。
■濱谷先生はニューヨーク大学のノードフ&ロビンズ音楽療法センターに留学し、デュプロマの資格を取得されています。45歳を過ぎてからの留学とのこと、その精力的な勉強の姿勢に自分が恥ずかしくなってしまいました。
■研修の中で何回か説明があったことで、音楽療法はゴールを設定し、ゴールに到達した時点でセッションが終結することは、音楽療法が「療法」である以上いつか終結することはわかっていながらも、教育職の私にはどうもなじめない考え方です。どこかプラグマティックでアメリカ的です。ミュージック・ケアの考え方とちがう点といっていいでしょう。ミュージック・ケアは教育的な色彩が色濃くあります。
■しかし、ノードフ&ロビンズ創造的音楽療法のパワーは相当なものと感じました。ゴールへのベクトルの強さも、ピアノ演奏の技術のレベルの高さもカルチャーショックといえるほどでした。実習は緊迫感がありましたが追い込まれている感じではなく、むしろ心は解放されていくように思いました。音楽療法は芸術レベルの追求ではない。でも、「アート」の現場の真っ只中にいる自分を感じていました。これは意外な体験でした。でも、それだけ至高の非日常体験だったといえるわけで、今、こうして家でパソコンのキーを打っていてもどこかしらちがう自分を感じる。それは何だ!というわけです。たいへんヒューマニスティックな音楽療法と実感しました。
■音楽は「原形」が大事だという話があって納得するところでした。世界中で生まれてきた音楽にはそれぞれ背景がある。砂漠ではミドル・イースタン、スペインのフラメンコ、日本の民謡、アメリカのブルース、みなそれぞれに自然と人々の生活が背景にある。それだけに人の心奥深く訴えるものがある。デリカシーもパワーもあるのです。
■今回、使った楽器はすべてアコースティックでした。ピアノはこの研修のためにわざわざ運び込んだとのこと。アップライトでしたが調律がきっちりしてあって気持ちのいい音でした。もちろん、益山先生のテクニックに負うところが大きくて、私もアコピの練習は続けようとあらためて思ったのです。
■それと、ピアノの即興弾きです。ノードフ&ロビンズ創造的音楽療法はクライエントの声や動きからテーマを設定し、即興で音楽を作り、展開してクライエントとかかわっていくのがセッションの主なスタイルです。2日間、ピアノのすぐ横の最前列の席を確保して益山先生の演奏を肌で感じてきました。これもカルチャーショックでした。今まで知らなかった音たちでした。親しみがあってシンプルでわかりやすく働きかけがはっきりしいて音そのものがすごくきれいでした。ノウハウはあるにしても自分で見つけなければならない音でした。
■夜は“県人会”の飲み会となって、県内外の音楽療法について情報交換ができてこれも大事な研修でした。
■昼の研修でも夜の研修でも話題になったことで、「学校」には音楽療法はなじまないということがあります。音楽療法と学校とでは、子どもと音楽とのかかわりの評価が全くちがってしまっているからです。ですから、私自身、音楽療法の曲を授業で使うことにとても慎重です。音楽療法の曲が「結果」が出やすいのは当然です。子どもを支え、子どもが主体的なアクションを起こしやすいように作られているからです。しかし、ゴールもちがうが評価の観点もちがう。子どもが何ができるか、つまり、Doingに主眼がおかれがちな学校現場では、子どもが音楽と今どうかかわっているかということ、Beingを大事にする音楽療法の考え方は相容れないのが現状です。子どもの理解のベクトルがちがうのだと思っています。夜の県人会でこんなエピソードを聞きました。「学校でも病院でも『がんばれ、がんばれ』と言われる。でも、ここ(音楽療法のセッション)では『がんばれ』と言われないからほっとする!」これは障害がある子どものお母さんの言葉です。障害のあるなしにかかわらず、子どもたちが音楽といい出会い方をしてほしいと私は心から願っています。
■子どもの見方、ということでは、自閉症スペクトラム障害の子どもの理解がやはり気になりました。自閉症スペクトラム障害の子が何をどう感じているかということはハイファンクションの自閉症スペクトラム障害の人たちの体験によって明らかにされてきつつあります。このところカバンに入れて読み返している本は、酒木保の『自閉症の子どもたち~心は本当に閉ざされているのか~』(PHP新書 2001)です。自閉症の子どものものの感じ方に“こだわって”踏み入る彼の感性に共感を覚えます。
■そうそう、先週、「秋のイタリア料理教室」に行ってきました。メニューは①温野菜のバーニャカウダソース②豚肉のカツレツ、ミラノ風③じゃがいものニョッキです。シェフの一言一言、一挙一動からノウハウを盗もうと乗り込みましたが、調理が始まって私がいちばんはじめにしたことは3本の包丁を砥ぐことでした…(>_<)
2002/10/22
3拍子の不思議な世界
■この日曜日、ミュージック・ケアの総合研修第2回は加賀谷哲郎先生の記録ビデオから始まりました。加賀谷先生は昭和一桁の頃から音楽療法をされていました。水上小学校や山谷の子どもたちとの毎日に私の目は釘付けになりました。この頃から音楽を療法的に使うことをこれだけ実践してきた加賀谷先生の凄さに圧倒されました。そのすぐ後で日本ミュージック・ケア協会の宮本啓子先生の理論の講義があって充実した半日でした。午後は課題曲の復習でこれも気の抜けない研修でした。
■ミュージック・ケアの「アリサ」シリーズは3拍子が大きな役割を担っています。体と音楽がほんとに心地よく対話するとき、気づけば3拍子なのです。乗馬のリズムからきているという3拍子ですが、「アリサ」シリーズの3拍子はちょっとちがうように思います。加古隆も3拍子にこだわる作曲家です。彼も乗馬のそれとはちがうリズム感で3拍子を使っています。4拍子の中の3連符がまるで話言葉のように響くのはなぜでしょうか。1も2も割り切れない3という不思議な数字と人間との関係はいかに! DTMのシーケンスソフトもどこか3連符をごまかしている、そんな気がしています。
■地元の(財)中小企業勤労者福祉サービスセンター主催の「秋のイタリア料理教室」の申し込みに行ってきました。講師は地元の有名イタリア料理店のシェフとあって25人の定員に46人が集まりました。抽選の結果、私は見事当選! うれしい! しかし、集まったのは私の他はみんな女性でした。それでひるむ私ではありませんが、どこか緊張しているのも確か! でも、ただただあの店の味を盗みたいと虎視眈々としています。料理教室は今月29日です。頭に巻くバンダナの色は何にしようか…
■今夜はなぜかADSLがつながりません。ADSLと同じTCP/IP設定のauのPacketOneもつながらないからniftyのDNSサーバが怪しい。「プロキシの設定」でつまずいています。急遽、アナログのダイヤルアップを再度設定してインターネットにつなげています。こんなとき、ADSLしか知らない人はどうするんだろうとしなくてもいい心配をしてしまいます。コンピュータとはそんなもの!?
2002/10/14
アートフォーラム三重展2002
■三重県総合文化センターのアートフォーラム三重展2002に行ってきました。今日はコンサート「北住淳とその仲間達」とアーティストとのコラボレーションがありました。「現代美術」と「現代音楽」のコラボレーションです。その中で今村幸生らが創作します。ギャラリーには数十人の「鑑賞者」が見つめていました。
■この鑑賞者たちがアートフォーラム三重展にプラスαの活力を加えていました。こんな体験は初めてで私にはカルチャーショックといえるほどでした。鑑賞者たちは実に生き生きとした何かを発しながらギャラリーを回っていました。音楽とのコラボレーションでは鑑賞者のひとりひとりがコラボレーションの第三者として参加していました。私はその空間にどっぷりはまって戦慄してしまいました。こんな「展覧会」はちょっとない。
■音楽はシンセと竹笛など素朴な楽器たち、そして、声です。即興演奏は今その時だけのもの。「調性」も「リズム」も「メロディー」も伝統的な音楽とはかけ離れています。でも、その空間の表情は音楽療法のそれと似ているように感じました。音と自分、自分の音と他者の音、そして音空間と自分、それらが相乗して生まれる文脈は私の覚醒レベルをものすごい力で引き上げる。その「きわどさ」は音楽療法のセッションとなんら変わりないもの。
■NHK-TVで9月26日放送の「にんげんドキュメント~アートで“人生”に輝きを~」は、アートが人の心を活性化することを見せてくれました。NHKのサイトは、「奇抜な空間の中で行う作品づくりは痴呆症の母親に刺激を与える独特の介護の形だ。」と番組の紹介をしています。非日常の体験を日常のものとしてくれるアートは私たちの感性にカルチャーショックともいえるほどのゆさぶりを与えてくれる。その時の「目ざめ」は測り知れないパワーを秘めているのではないでしょうか。
■今年は清里現代美術館に行く機会がなかなかなくてフラストレーションを感じていただけに今日はほっとするひと時でした。
2002/10/13
冬支度
■いろいろしなければならないことがあるものの、なんとも穏やかな連休です。天気がいいので家の冬支度に忙しい。
■家のそうじはどういうわけか新聞の切り抜きから始めてしまいます。これがいちばん時間がかかるけどいちばん充実している時間だから困ったもの。
■昨日は写真家セバスチャン・サルガドの番組(NHK BS2)をつけたまま新聞の切り抜きをしていたらちょうどサルガド作品展「EXODUS 国境を越えて」の記事を見つけました。言うまでもなく難民ということ自体が不条理で、人間の愚かさを目の当たりにする思いです。
■昨日の午前中は写真を撮ることがあって、EOS630にEF28~135mmISとSIGMA70~200mmF2.8を付けました。EOS630は15年も前のカメラですが、ISシステムもきちんと動いてちょっと大きめのボディが手になじみます。そしてISレンズとフルタイム・マニュアルフォーカスの使い勝手はやっぱり手放せません。FinePixにEFレンズが使えたら最高なんだけどな!
■先週、家のインターネット接続をADSLにしました。局から4キロと少しあって速度は900k前後しか出ません。ブロードバンドとしてはいちばん遅いとはいうものの、それでもこれまでのダイヤルアップ接続と比べると30~40倍です。快適です。そのスピードと定額料金に気をよくして一気に無線LANまで行ってしまいました。家中どこでもワイヤレス高速?インターネットでしばらくはまってしまいそうです。
■今日の午前中はずっとインターネットで調べものをしていました。自閉症スペクトラム障害の子どもの発達のどの時点でどんな指導支援をすべきなのか、ということです。TBSのドラマ「君が教えてくれたこと」のサイトはテレビドラマが故に自閉症スペクトラム障害の人たちのどこかドラマティックなのかがよくわかります。時々見るべきですね。
■夜はF1日本グランプリの番組をずっと見ました。やっぱりカーレースはF1が好きだ! 研ぎ澄まされた感性がF1マシンを創り、ドライブし、あのサウンドを奏でる。何でも窮めようとする姿は
2002/10/07
忙しい連休!
■ミュージック・ケアの総合研修に行ってきました。全5回中の第1回目です。講師は日本ミュージック・ケア協会認定指導者で私にとって初めての先生でした。8月の全国セミナーでヨーグルトのカップで作った楽器で不思議な音空間を体験させてくれました。同じミュージック・ケアでもセラピストによって雰囲気がちがいます。認定指導者ともなると持ち味十分ですね。
■ミュージック・ケアの研修は曲の使い方を覚えるだけでなく、ひとつひとつの曲を自分のものにするための場です。「音楽療法は療法士の数だけある」「音楽療法士になるための道は自己形成の道でもある」という言葉が研修のシステムに位置づけられているわけです。ハードですが楽しみな研修です。
■大阪には車で2時間でした。ずっと「おかあさんといっしょ」をきいていました。『ゆめ ゆき あめ』と『にじのいろとおほしさま』、『ちいさなおふね』ばかりきいていた。『にじのいろとおほしさま』では電子ピアノ、ローズの音が聞こえます。それがなんともノスタルジックでいい。『ちいさなおふね』はキーボードのバッキンブとアドリブっぽいフレーズがいい。堪能しましたが、帰りは高速道路を使わなかったので4時間余かかって往復6時間、それでも時間が足りないくらいでした。
■久しぶりにモノクロ・フィルムの現像をしました。腕は落ちている。フィルムの巻きむらがあって1コマ失敗しました。夏場はやはり現像液の温度管理が難しく今日は現像液が22度前後で現像が進むものと判断して、プレスト400をミクロファイン1:1希釈で9分ジャストで現像しました。大きな破綻もなく仕上がりました。モノクロは暗室で焼き付けをしたいのですがその設備はなく、フィルム・スキャナとパソコン、インクジェッタ・プリンタでプリントします。
■この頃デジタルカメラで撮った写真をパソコンで加工することが煩わしくなってきました。FUJIFILMのコンシューマー・モデルFinePix4700zで撮った写真がFUJIFILMのスーパー・デジタル・プリントで驚くほどのクオリティで仕上がってくると、パソコンでの加工は一体何なのだろうと考えてしまいます。銀塩はフィルムを意図的に使い分けて仕上がりにつなげていきます。デジタルはRAWデータで記録してシャッターを切るそのときまでさかのぼって画像を操作できます。デジタルの方が融通が利くわけ。だけど、jpegでさえコンシューマーが1枚1枚加工するなどちょっと考えられない。それなら銀塩フィルムの個性化、差別化と同じような加工システムをカメラに組み込む方が仕上がりのクオリティから見ても現実的な対応です。このベクトルを当初から明確にしてきたのがFUJIFILMの路線です。カメラでかなり加工してしまうからパソコンで加工すると色調もコントラストもシャープネスも破綻をきたしてしまう。だけどカメラでの加工がかなり高い次元での魅せる写真を提供しれくれるから加工の必要をそれほど感じさせない。FUJIFILMの卓見はその尺度として肌の表現性をとっている点です。FUJIFILMのFinePixの肌の表現のクオリティを見ると文句のつけようがない。納得してしまう。もちろんこれは人によってちがうわけですが、この頃の雑誌はFinePixの肌の表現性を高く評価するようになってきているように思っています。フィルムメーカーとして蓄積してきたノウハウの凄さを思う。S2proがニコン・マウントなのが残念ですが、FinePixの肌の表現が手に入るなら別システムを組んでもいいと思うほどです。1200万画素はダテじゃない!
■贔屓にしてきた近所のミニ・ラボがとうとうデジタルシステムになってしまいました。銀塩フィルムがこのシステムで処理されてしまうとデジカメ以下のクオリティになってしまうように思います。残念!
■先週、知人からバジルの苗というか引っこ抜いたバジルをもらって自宅の庭に植えました。今頃植えてどうなるものかと思いますが、来年は庭中バジルになってほしい!
2002/09/27
鈴の音がする宅急便
■このところアクセス・カウンターの数字がどんどん上がっているので更新が滞っているのを申し訳なく思っています。書きたいことはたくさんあって何度か書き始めてはいるものの、時間がなくて途中で「memo」フォルダに保存しています。MPVがガス欠で止まって冷や汗をかいたこと、新聞の切り抜きをしていてニューヨークのテロの追悼にモーツァルトの『レクイエム』が世界を駆け巡ることを知って思ったこと、アメリカのニューヨークのテロを撮ったフォトグラファーのこと、勤務先の養護学校の運動会に使う準備体操と整理体操の音楽をシンセサイザーの打ち込みで作ったときのこと、トマトソースを作ったけどオリーブオイルが足りなくてあの黄金のつぶつぶが冴えなかったこと、NHKの「にんげんドキュメント」で痴呆のお年寄りが現代アートと出会って生き生きした笑顔を取り戻したと知ってあらためて現代アートのパワーを思ったこと、発達に遅れのある子どもにとっての写真やビデオの価値、モノクロフィルムの現像液を作ったこと…いろいろあります。
■昨夜、鈴の音がする宅急便が届きました。(宅急便というからにはヤマト運輸です。)鈴の音がする宅急便なんてちょっと楽しい。中身は来月から始まる音楽療法ミュージック・ケアの総合研修の教材です。宅急便の中には、CD4枚、テキスト、楽譜、バチ、鈴、レジュメなどが入っていました。10月から12月にかけて、隔週の日曜日毎、大阪に通います。いつかはきちんと勉強したいと思っていた研修が始まります。楽しみですが身が引き締まる思いです。
2002/09/01
草刈りとピアノ…
■畑の草刈りをしました。草刈り機なら楽なものさと考えていたらとんでもないことになった。春前から放ってあるので背丈を越える草が一面に生えていて茎の根元はなんと3~4センチもある。もう草とは呼べない。木だ。かん高い金属音がして草が倒れる。椎間板ヘルニアの患部が疼く。フラフラになりかけたとき大きなハチの巣を落としてしまってハチの群れに追いかけられる。それでも休憩のときのなんと気持ちよかったことか。風が心地いい。2時間かかってやっと終わったら汗だくで腹ペコ! 体重はついに60キロ…5月のピークから8キロもやせてしまった。
■畑の帰りに書店に寄って久しぶりに『キーボード・マガジン』を手にしました。キーボード・トレーニングや音にこだわるエピソードを読んでいるとまたぞろピアノ心が…88鍵のキーボードが欲しい! タッチにこだわりたい! なに? B2000の下取りは○○○○○…もう、いても立ってもいられなくなってきました。今日、実家でピアノを弾いて、やっぱりアコピはいいなぁとしみじみ思ったばかりなので尚更です。
■実家のピアノは35年も前のものです。その音のなんと懐かしいことか。子どもの頃はあまり好きでなかったピアノですが、その音がいつしか私の何かを育んできたことに気づきました。父はピアノの選定をしませんでした。でも、その音は父の想いを伝えてきたように思えてならないのです。楽器は本来個性的なものです。楽器と弾き手と聴き手の数だけ音楽がある、そういってもいいでしょう。もちろんフルコンサートはいい。でも、どうしてフルコンなのだろう。音楽はフルコンでないと表現できないものなのか。音楽はコンサート・ホールで聴かないと「本物」ではないのか。コンサートもいい。だけど、音楽と人との出会いはもっともっと個別性があっていいと思います。
■夜、小曽根真のピアノをテレビできいた。自分もがんばろうと思った。
2002/08/31
ポコ・ア・ポコ・サマーセッションを終えて
■残暑は厳しいものの空はすっかり秋の色となりましたね。今日で8月が終わります。ポコ・ア・ポコ・サマーセッションも昨日で終わりました。
■ポコ・ア・ポコ・サマーセッションは見切り発車の部分が多かったのですが、たくさんの人に助けていただいてなんとか予定の17回と地域のサークルでの1回の計18回のセッションを終えることができました。会場を提供していただいた松阪福祉会館と橋西地区民センター、お子さんを参加させてくださったみなさん、応援に来ていただいた方々、バルーンなどを貸していただいた勤務校、みなさまに感謝しています。
■今回、計画から会場の確保、保護者への説明、機材の準備、セッションの進行などマネージメントをひとりでしてみて、地域でひとりでやっていくことの荷の重さを実感しました。自分に何が足りないかを痛感し、同時にいろんな勉強にもなりました。学校という組織では「先生」としてやっているかも知れない。だけど、裸一貫、障害児教育のプロとしてのお前の実力はどうなんだと問われると何があるのか。学校の先生でなくなっても頼りにしてもらえるのか。「養護学校のセンター化」にはまだまだ時間がかかるでしょう。こんなふうに地域でひとりでやっていくことはないかも知れない。でも、確かな自分を感じながら仕事をしたい…誰だってそう思ってますよね。
■ポコ・ア・ポコ・サマーセッションで使った曲は、ミュージック・ケア(加賀谷式集団音楽療法)の曲、大滝昌之先生の曲、童謡などです。どの曲もそのときの状況に応じて使うことの見極めが大事であることを痛感。さらに、曲を熟知していること。子どものようすに応じてアーティキュレーションを自在に変化させること。でも、いちばん大事なのはその日そのときの子どもたちの文脈をしっかり読み、読み続けること。セラピストがセッションの空間のすべてを常に感じていること。それがあって初めて曲も生き、子どもたちとのやりとりができることになる。そして、状況にもよるが、言葉がけは最小限にして音楽そのもので子どもたちとやりとりすること。子どもを積極的に評価し、セッションのねらいや活動について、ヒューマニズムに立脚した上で理論的に説明して保護者と話し合いができること。もちろん発達と音楽についての知識は幅広く深くもって応用がきかなければならない。具体的にはいろいろあるがまとめるとそういうところか…。
■楽器はヤマハのEOS B2000にテヌートペダルを付けて使用。タッチは物足りないがサンプリングのピアノの音はたいへんきれいで深みもあり、セッション全体の落ち着いた雰囲気作りに大きく役立ったと考えています。しかし、弾いて歌いながら子どもたちひとりひとりに近づけないのはどうしようもなく、ひとりでセッションをするには大滝先生のようにエレキギターの必要性を痛感しました。そうそう、ピアノならやっぱりグランド・ピアノがいちばん。テクニックは必要だけどね。
■秋は私自身のスキルアップのための勉強が続くのでセッションはしばらくお休みとなりますが、音楽療法を志すみなさんとの勉強会はもちたいと考えています。
■今夜のNHK-BSの深夜放送でフレディー・マーキュリーとクィーンの特集番組があります。つい先日は『ボヘミアン・ラプソディー』の特集番組が再放送されたばかり。どうして今頃F・マーキュリーなのだろうと思いながらも録画予約しておこう!
2002/08/09
ポコ・ア・ポコ・サマーセッションをして思うこと
■金曜日、週末! ポコ・ア・ポコ・サマーセッションも土日は休みでほっと一息です。プログラムはある程度決めているといってもその日の子どもたちのようすによってその場その場でプログラムを組み立てながら進めています。始まりの曲もいつも同じ曲でいいというものではありませんね。楽しくしているつもりでも緊張の連続です。セッションが終わってからもいろいろ考えることが多い。はじめの1週間は風呂に入ってバタンと寝てしまうくらいでした。でもやってよかったとしみじみ感じるこの頃です。
■ポコ・ア・ポコ・サマーセッションには日によって1人~6人のお子さんが来てくれています。ニーズに合わせて個人セッションとグループセッションを組み合わせています。内容も音楽ばかりでなく、個人セッションの時間には体の緩めや「ことば・かず」に音楽をプラスさせたりと、その子のニーズに合わせてゆるやかな枠組みで行っています。時間も子どもに合わせてしているのでこちらも気持ちに余裕があって、子どもたちも落ち着いていい表情を見せてくれることが多くなってきています。「自分が変わらなければ子どもも変わらない」ということでしょう。この夏は私にとってターニングポイントになるかも知れません…どの方向に向かうのだろう…
■ポコ・ア・ポコ・サマーセッションをしていると今までの自分のすべてが試されているのだと感じることがよくあります。子どもの見方や音楽の使い方など今までの知識と経験を総動員して、さらに子どもの文脈を読んで子どもとともに自分が変わらなくては子どもにプラスになる音楽療法のセッションはできないと考えます。ポコ・ア・ポコ・サマーセッションは半分近くが終わって、私自身、ピアノの弾き方や歌い方がずいぶん変わってきたと思っています。今日はしばらく会ってなかった重度の男の子と短いながらもふたりだけの時間をもつことができました。私がピアノを弾いて歌って、そして、彼が目で何かしら語ってくれたのは私の勝手な思い込みではなかったと思う。
■8月3日から5日の3日間、石川県で開催された日本ミュージック・ケア協会のミュージック・ケア第6回全国セミナーに行ってきました。宮本啓子先生の理論と実技は明快でとても気持ちがいい。参加者の意識も高い。情報量も膨大で頭がフル回転しても追いつかない状態でした。
■このセミナーで浜崎あゆみのバックダンサーをしていた人からフェイクダンスを少し教えてもらいました。彼はフェイクダンスと障害がある人のリハビリを結びつけたいとミュージック・ケアを志したとのことです。鍛えられた体、迷いのない動き、細部まできちんと決まる各部位、音楽との絶妙のタイミング…彼の動きに目を奪われていました。元XjapanのToshiさんのコンサートもあって知らない世界を知った次第です。
パール・バック『母よ嘆くなかれ』
音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...
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9月の日曜日のポコ・ア・ポコは9家族のみなさんに来ていただきました。私は夏の疲れが出て始まる前から少々おぼつかないところがありましたが、子どもたちが来てくれるといつもの元気が戻って密度の濃いセッションとなりました。曲の終わりの「静」をみんなで感じることの達成感はいつも素晴らしい。...
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この4月に勤務先の病弱特別支援学校が再編されて校名も新しくなる節目を迎えるに当たり、病弱教育の歴史の一端を紹介する機会がありました。 「病弱教育は明治時代に三重県で始まったとする説があります。「三重県学事年報第九 明治二十二年」には、三重県尋常師範学校の生徒の約6割、70人余が脚...
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検索キーワードに矢野智司を設定して時々チェックしています。先日、彼の近刊が矢継ぎ早に出ていることがわかってあたふたと取り寄せています。 『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』(矢野智司・井谷信 彦編)(世織書房 20220412) 『京都学派と自覚の教...