2022/01/23

交流及び共同学習について

今年度は思いがけず特別支援学校と近隣の通常の学校との学校間交流、そして、特別支援学校に在籍する子どもが居住する地域の学校に出向く居住地校交流について助言することになり、私にとっては研究の機会となりました。

私が小学校から養護学校(当時)に転任したのが1998年(平成10年)で、転任早々交流担当となって学校内外の調整や企画に当たることになりました。交流について、特別支援学校と通常の学校との“温度差”を実感しましたが、今回、交流及び共同学習にかかる論文等々を調べたところ、その教育目標が不明確だったり曖昧だったりという課題が明らかになっているという記述がありました。また、国立特別支援教育総合研究所の直近の調査研究では、全国の特別支援学校を対象としたアンケート調査結果で理念の共有がいちばんの課題であると明らかにされています。その詳細はわかりませんが、今回の助言の準備を進めるなかで、交流及び共同学習は交流は他の教育活動と比べて情報量が圧倒的に多く、理論面の研究が進んでいないのもそのためではないかと考えました。つまり、交流で子どもたちは想像をはるかに超える経験をしているわけで、それを表面的な評価のみで矮小化してはならないことを交流をいくつか参観して思い知りました。

評価という視点だけでなく、交流場面で一体何が起こっているのかという現象学的視点からも今回は考える機会となっています。交流のみならず学校では日々豊かな営みが繰り広げられていますが、その豊穣を語ったり研究したりする言語化のための言葉や概念は日頃の学校や教育実践研究の中から見出すことが難しいことがあります。交流場面を描くに際しても然りと考えます。今回の資料作成にあたり、他分野の言葉や概念を用いて交流場面の子どもたちの中で何が起こっていてそれはどういうことなのかについて言語化を試みています。とりわけ、保育・幼児教育、哲学、教育哲学の言葉や概念を援用することになりました。「自発/自発性」「子どもを“よくなろう”としている存在として信頼」「ケア/ケアリング」「個別具体的なその人を知る」「相互性/相互関係性」「夢中/没頭」「生成としての教育」などです。これらの全てを直接引用したり援用したりしているわけではありませんがこれらの言葉や概念なくして今回の準備はここまで進められなかったことは確かです。

また、「フォーマルな交流」と「インフォーマルな交流」という言葉も久しぶりに、ほんとに何年かぶりに思い出すことができました。

コロナ禍のために対面交流が困難になってオンライン交流が行われるようになりました。オンライン交流はまだまだ始まったばかりでインフラの課題もあります。対面交流と同じことはできませんが病弱教育では入院中の子どもと学校とをインターネット接続でつなぐ取り組みが10年以上も前から行われて教育的な成果を上げています。いつまでもコロナ禍が続くわけではないと思いますがオンラインの教育活用はハード、ソフトともに研究が加速的に進むことを願っています。

2022/01/12

40日ぶりのツーリング

3連休最終日、40日ぶりにバイクで走りました。この連休は晴天で風も弱く気温もそれなりにあったので絶好のツーリング日和でした。鈴鹿方面の山は積雪があったので山行も考えましたが連休前日は冷えからくる頭痛があって断念してのソロツーリングでした。1日目と2日目は終日仕事をして3日目はリフレッシュのツーリングとしました。

エンジンは一発でかかってほっとしました。行先は昨日からパールロードの鳥羽展望台と決めていましたがあまりに久しぶりなのでバイクショップで空気圧の調整とチェーンへの給油をしてもらってから向かいました。余分なオイルを拭き取ったチェーンはとてもきれいでした。ウエアは上下とも厳寒期用ではなく秋冬用のものにしたので汗をかかずに快適でした。バイクに乗れるだけで幸せな気分だったので交通の流れに乗って走りました。ただ、クラッチレバーを操作する左手と左腕は筋を傷めているのかずっと痛みがありました。

鳥羽展望台は雲一つない晴天で風はやや冷たいものの気持ちの良いものでした。コロナの感染が急拡大しているためか車もバイクも少な目と感じました。それでもバイクは個性豊かなモデルをたくさん見ることができて堪能しました。比較的年齢層が高いライダーが多いのも頼もしく思いました。そんな一人、私よりちょっと年齢が高めの上下とも革で決めた男性がYAMAHA SRX6のエンジンをかけてキャブレターを調整している光景は絵になっていました。

帰路は高速も考えましたが第二伊勢道路と南勢バイパスを通って帰ってきました。途中、松阪港に寄って記念にと海をバックにバイクの写真を撮りました。

今日の走行距離は150キロ余でしたが帰宅してバイクから降りると全身が軽くなっていました。バイクに乗るとなぜ身体が軽くなるのか。四肢の動きが軽くなるのか。不思議です。前に1泊2日で信州まで往復900キロを走って帰ったときも4時間くらい休んでそのまま東京まで車で走ったことがあります。両手両足を使ってバイクを操作するのは四輪のMT車のそれと似た感じがあります。頭の芯が目覚める感じです。この身体感覚は若返らせてくれるように思います。

2021/12/21

緑色のルノーに乗って

「主体」という言葉、概念について私は同時代の者として主体性論争を経験したり見聞きしたりしたことがありません。「主体」と「主体性」「主体的」は前提条件なく同列で取り扱う言葉ではないと考えています。「主体」についてはこれまで多くの哲学者が思索を重ねてきた言葉であり、今もって解明されていないにも関わらず至るところで頻回に使われています。「主体」という言葉は他に置き換え難い場合があることは承知しています。そのうえでなおこの言葉について私は自分のなかに落とし込めていないところを考えていきたいと思っています。そんな折り、私の目に入ったのは「主体の系譜学」というサブタイトルがついた内田隆三著『ミシェル・フーコー 主体の系譜学』(講談社現代新書 1990)です。内容は難しいですが読まずにおれにない引力を感じます。今日は「主体」を脇に置いて、フーコーの人となりを記述する私を惹きつけるエピソードを引用します。

緑色のルノーに乗って
 モーリス・パンゲの思い出によれば、1935年の夏、フーコーは友人たちとイタリアで2週間の休暇を過ごす。彼らはフーコーがもっていた小さな緑色のルノーに乗ってフランスを発ち、ローマの少し北にあるチヴェタヴェッキアの海岸に出かけた。海岸で、公園で、カフェテラスで、時の合い間に、陽の光を浴びながら、彼はニーチェの『反時代的考察』を広げ、読んでいたという。フランスでは、ナチズムへの悪しき連想のために、バタイユのグループなど一部を除くと、ニーチェがまだ正当に評価されていなかった頃である。
 前の年にフーコーはパリの心理学研究所で精神病理学の課程を修了し、リール大学の心理学助手に就任した。だが、彼はリールにはすまず、パリから通っていた。パンゲがフーコーと親しくなった頃、フーコーはユルム街のエコール・ノルマルでも心理学を教えており、フロイドを扱っていた。そのときの彼は、マルクスの唯物論からハイデッガーの実存主義へ、パブロフの条件反射の理論からルートヴィヒ・ビンズワンガーの現存在分析へと移っていく、思想的な過渡期にあったという。54年には『精神疾患と人格性』(のちに『精神疾患と心理学』の名で再販)をP.U.Fから出版し、またビンズワンガーの『夢と実存』を仏訳して、それに本文よりもはるかに長い序文を付け加えた。
 心理学や精神病理学への接近は、若いフーコーの精神的な苦闘と関係していたのだろう。だが、この頃もっと深い部分で、フーコーの思想的な課題が形成されていたのである。それはおそらくニーチェの呼びかけに応えたものであり、歴史と真理への新しい眼差しが彼の思考の地平を大きく転回させたのである。かつて自殺を考えたといわれ、精神病院への入院も試みようとしたフーコー像を下敷きにして見ると、イタリア海岸への休暇の日々、地中海の明るい陽射しのなかでニーチェを読むフーコーの姿はとても印象的である。
 おそらくツァラトゥストラの笑いが、はじめてフーコーの情熱的な思考と辛辣な倫理観に見合うような知の水準を啓示したのであろう。知性はいつもそれに見合う倫理的な基盤を伴っているものである。虚弱な暗い精神ではなく、陽気なポジティヴィズムの倫理が、底の浅いヒューマニズムではなく、潔い主人の倫理だけが、フーコーの恵まれた知性を十分に解放することができたのである。
(内田隆三『ミシェル・フーコー 主体の系譜学』講談社現代新書 1990)

多感で旺盛な知への好奇心をもった若きフーコーが目の前に立ち上がってくるような記述だと思います。繰り返し読んでいます。こうして車を走らせて明るい陽光浴び、車を停めてはむさぼるように書を読み、友に問いかけ自分に問い直す。「ハングリーであれ」とはジョブズの言葉だっただろうか。何歳になってもできるはず。

2021/09/29

サイモン&ガーファンクル*NYセントラルパーク・コンサート

大学の集中講義は昨日で一旦終了してほっと一息という今日は出勤したものの残っていた夏季休暇を取ってすぐ帰ってきました。昼まで来週から始まる後期の講義の準備をして午後はサイモンとガーファンクルのセントラルパークのコンサートのDVDを観ながらキーボードを叩いていました。とても贅沢な時間を過ごしたわけです。

このDVDは思い立ってフリマサイトで調達したものです。その思い立ってというのは、先月亡くなったローリングストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツを悼む朝日新聞の記事のあるフレーズからスティーブ・ガッドのドラムが思い出されて無性に聴きたくなったからです。
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彼(チャーリー・ワッツ)が独特だったのは、ほんの気持ち、わずかにリズムを遅らせること。それがバンドの絶妙なスイング感、グルーブ感を生んでいた。
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そこからなぜスティーブ・ガッドにつながったのか。それは、サイモンとガーファンクルがニューヨーク・セントラルパークで行った再編コンサートのテレビ放送を観て彼のドラムに惹きつけられた記憶が甦ったことによります。当時のことですからドラムが時間の刻み、音楽の流れを「すべて」決めているのにあまりにも自然体で悠々とした音の完璧なコントロールにほんとに魅了されました。

セントラルパークの再編コンサートは1981年9月19日、今からちょうど40年前のことです。その魅力はドラムだけでなくサイモンとガーファンクルはもちろん、バックもホーンセクションも素晴らしい。音、録音も然り。アナログの完成したひとつの姿だと思う。今聴いてもその音も音楽も全く色褪せていない。ノスタルジーに浸るなどとんでもないこと。現在進行形の躍動した音楽だ。今、ステップワゴンのオーディオが取り外してあってドライブしながら聴けないのが残念です。

2021/09/24

ジョン・ルイスのバッハ、幾たびか

バッハのゴールトベルク変奏曲のパート2のCDを見つけて購入しました。パート1は持っていて愛聴盤ですがパート2は知りませんでした。ジョン・ルイスが弾くバッハは穏やかな印象ですが私にはたいへんスリリングに聴こえます。どこまでも穏やかで抑制された印象ですが彼の音一つひとつは大胆かつ絶妙なコントロールのなかで音楽が奏でられている。何度聴いても私を飽きさせない。夜、ベッドでよく聴くのはジョン・ルイスの平均律です。弦やギター、コントラバスが入って実に瀟洒な演奏です。きっとたくさんの人がこの演奏について語っていると思いますが、ギタリストの鈴木大介氏のブログの記述にうなずいてしまいます。私はジョン・ルイスの平均律4枚をひとつのプレイリストに全部つなげて3時間50分というロングプレイをベッドで楽しんでいます。あまり聴き入ってしまうとなかなか寝付けない。

2021/09/22

山と音楽

8月放送のNHK-BSP「美の壺」のテーマは「大地の母 山」で観応えがありました。山の番組は「百名山」をはじめトレイルランなど録画して繰り返し観ていますがそのどれもとちがう魅力がありました。一言で表すなら「山を愛でる」ということだろうか。映像は尾根が連なる雄大さや木々の緑の美しさ、青空とのコントラスト、夕立でめくるめく変わる空模様と光などをタイムラプスやスライダーを駆使したもので、バックに流れる音楽が控えめの音量でフェードインしたりフェードアウトしたりと絶妙な取り合わせでした。

備忘のためのシーンと曲名のメモです。

・オープニング:映画「サウンド・オブ・ミュージック」より「クライム・エブリ・マウンテン」(クラリネット重奏~弦楽アンサンブル~メゾソプラノ独唱)
・北アルプス:「アルプス一万尺」(バイオリン独奏)
・燕岳登山道から望む北アルプス:「イッツ・ワンダー・ワールド」(ルイ・アームストロング)
・雷鳴と夕立のあと:曲名不詳(バイオリンとギター)
・日没後の天体ショー:ドビュッシー「月の光」(ピアノ独奏)
・翌朝の日の出:曲名不詳(ピアノ独奏)
・山の風景の山水画:曲名不詳のジャス(ビブラフォンとピアノのデュオ)
・八ヶ岳を撮る野川かさね:曲名不詳のジャズ?(コントラバスのアルコとピアノの静かな曲)
・妙義山:ヴェルディ「レクイエム」から「怒りの日」
・鳳来三山:曲名不詳のサックスソロ
・同:バッハ「G線上のアリア」
・地蔵ヶ岳のオベリスク:ベートーヴェン交響曲第7番2楽章
・フィナーレ:「クライム・エブリ・マウンテン」

2021/08/27

幼児教育事始め

今や風前の灯の教員免許更新制にちょうど当たって30時間の受講が終わりました。この際にと幼児教育を幅広く学びたくて8つの講座がある放送大学を選びました。この点は期待通りで幼児教育の講座はたいへん興味深く面白いものでした。率直にいえば、幼児教育の講座を受けてただならぬ波風が私のなかで立ったというくらいインパクトがありました。

私がとりわけ驚いたのは「夢中」と「没頭」という言葉です。教育・保育の質の確保において「安心感」と「居場所感」、そして「夢中」と「没頭」がキーワードとして資料にありました。ベルギーのリューベン大学のラーバーズ教授が0歳から18歳までの教育の質を決める観点として示しているとのこと。「夢中」と「没頭」は3年前の初任者研修の研究授業の取り組みのなかで矢野智司らの資料を当たって得たキーワードでした。学習活動(広義の学習活動)における「夢中」や「没頭」の重要さは子どもの教育に携わる者なら身をもって知っているものですが学習指導案や授業研究においてこの言葉が前面に置かれることはほとんどなかったのではないかと思っています。定年退職して現象学を学んだことでこうした言葉を使うことの大切さが文字通り身をもってわかった次第。不甲斐なさにため息の一つも出ますが初任者指導などの機会に積極的に問いかけて使っていきたいと思っています。

さて、幼稚園と学校ではそもそもの文脈が異なるように思われるのはどうしてだろうと考えます。学校では子どもは一つひとつのステップを順に踏んで学んでいくものという考え方に基づいて学習指導要領等が記述されています。幼稚園においても「できる」という視点はもちろんありますが、「気づく」ようになるという視点が強調されているのではないかと講習を受けて思いました。保育所や幼稚園の自由遊び等が小1プロブレムに影響しているのではないかと聞いたことがありますが、小学校低学年で設定されている生活科が保幼・小との接続やつながりを想定されているとはいえ幼児教育と小学校教育とのちがいはもっと根底にある教育観や子ども観のちがいにあるのではないのだろうかと思います。幼児教育についてはあまりにも知らなさ過ぎて何がわからないかもうまく言語化できませんが就学前の子どもたちの育ちへの興味は尽きません。

2021/08/13

カメラ談義

今週、久しぶりに地元の白米城址に登りました。トレランシューズにデイパック、カメラは手持ちという軽快なスタイルで半分以上写真目的の山行です。そこらじゅうで写真を撮って、つまり、立ち止まって登りはコースタイムの1.5倍の1時間かけて登りました。ゆっくり登ると見えてくるものもちがってきます。あまりにあちこち見てばかりだと脚元に注意が疎かになって足首をひねりそうになります。今回のカメラはミラーレスのCanon EOS M5なので露出補正した画像をそのままファインダーで見ることができてらくちんです。でも、このカメラの特性なのか「葉っぱはこんなふうに」と決められてしまう部分が多いように思えてきました。もちろんきれいに撮れます。実際の見た目よりきれいな画像です。イメージカラーというわけでこれは何もこのカメラに始まったものではなくフィルム時代から追ってきた「美」のかたちです。フィルムの色は自分を表現するための仕掛けであり個性でありました。それぞれのフィルムの「思想」を理解することなくしてデジタル時代の「自分の色」を見極めることは難しいのではないかなと思います。富士フィルムのフィルムシミュレーションは単にシーンによる写し分けではなく心の奥にある「美」をかたちとして見せる仕掛けではないのだろうか。時代とともにこうした色の文化は変わっていくと思いますが富士フィルムには「哲学」を貫いてほしいと思っています。

富士フィルムのデジタルカメラはFinePix4700から日常的に使ってきてポルシェデザインのFinePix480に更新しました。今手元にあるのはX-H1とX-E3の2台です。「色」ということではフィルムシミュレーションの「クラシックネガ」が使えないのがすごく悔しい。「クラシッククローム」はポジフィルムの文脈だと思う。富士フィルムにはファームウェアの更新でがんばってほしいと切に願うところです。

先日インスタにアップした青山高原ウィンドファームの写真はCanon EOS 5Dmarkⅱで撮りました。このカメラは仕事が忙しいときに購入したのであまり使われないままメーカーのサポートが切れてしまったという不遇にあります。ファームウェアのアップデートも最終までいってないのではないかと思います。少し前に調達したタムロンの28-300mm F/3.5-6.3 Di VC PZD A010を使いました。高倍率ズームレンズなのでそこそこの写りと思っていて、そう思う部分もあるのですがフルサイズの解像感を見せつけられたように思いました。2008年11月発売で私が購入したのは2011年だったか。13年も前のモデルです。「今風」には撮れない部分はありますがなんとか使っていきたいカメラです。

こんなカメラ談義をしていると自分にとって唯一無二のカメラは何なのだろうとふと思います。気が多いのでそれが決められないのです。

2021/08/07

コロナ下のセッション

昨日は市の社会福祉協議会が主催する障害児の地域スクールでレクレーションを担当することになり、音楽遊びを担当しました。遊びといってもミュージック・ケアのセッションのエッセンスを活かした子どもたちと地域のボランティアのみなさんとの関係性の質の向上を指向する活動です。今回は新型コロナウィルスの感染予防としてシャボン玉とビニール袋、フラップバルーンというミュージック・ケアの三種の神器ともいえる道具を使うことができないのは私にとっては初めてのシチュエーションでした。

ミュージック・ケアは選曲=プログラムの組み立てはもちろんですが音楽の伝え方がセッションの核心となります。シャボン玉などが使えなくてもその核心である鑑賞と動作や言葉がけ(声かけ)を通した音楽の伝え方がしっかりしていれば大丈夫と、それはわかっていながらもいささか緊張してのスタートでした。マスクをしていたので声かけは大きめにはっきりしっかり、視線と動作とのコンビネーションにも気をつけました。ひとりの男の子が走り回ったりしていましたが曲の終わりはピタッと止まるなどセッションの流れに乗っていることがわかって心強い応援のように思いました。最後は新聞紙遊びを入れて一体感のあるなかで終わることができたと思いました。新型コロナウィルスの感染拡大で次のセッションが行えるかどうかわからなくなってきましたが研鑽を積むことを止めてはならないと思いました。

2021/08/05

グールド、幾たびか

先日、朝日新聞の「村上春樹さん、クラシックのことを書いてみた」の「第1回 体がずれていく感覚が好き 村上春樹さん語るクラシック」を読んでグールドについて語っているところに目が留まりました。

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グールドは10代の頃にずいぶん聴いて、強い衝撃を受けました。グールドを聴いていると、体がね、知らない間に、ちょっとずつ別の場所にずれていくような……そんな感覚があるんですよね。特に、左手に集中して聴いている時に。そこのところが、好きなんですよ。(村上春樹 朝日新聞 2021/7/31)

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グールドについての記述は少し前に横道誠著『みんな水の中』で読んで自分の体験と重ねていたところでした。同書にはこのように記されています。

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【8】晴れをもたらす文学と芸術
(略)
 意識がしょっちゅう混濁しているために、私は文学と芸術を、自分の精神に明晰さをもたらす手がかりにしてきた。というのも文字と芸術は、混沌とした宇宙に明晰さを与えるものにほかならないからだ。
 たとえば、服部土芳の『三冊子』によって伝えられた松尾芭蕉の遺語、「物の見へたるひかり、いまだ心にきえざる中にいひとむべし」[潁原1939:104]を発語してみるとき。あるいは、フランスの詩人、ポール・ヴァレリーの詩「海辺の墓地」を、「正確にも正午だけで構成するのは/海だ、海だ、つねに新しく始まる!」[1933:157原語フランス語]と訳出してみるとき――。私の心は、澄んだものへと整頓されてゆく。
 文学以外の芸術にも同じ機能がある。パブロ・カザルスがギコギゴと奏でるバッハの「無伴奏チェロ組曲」を聴き、グレン・グールドがポロロンポロロンと奏でる同じくバッハの「ゴルトベルク変奏曲」を聴くとき、ハンス・ホルバインの絵画「大使たち」に隠された頭蓋骨を斜めから眺めるとき――。私の心は展翅板の羽のようにきれいに伸展されて、心の疲れが発散されてゆく。
(横道誠『みんな水の中』二水中世界より P50-51)

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グールドが弾くゴールトベルク変奏曲はなぜ“特別”なのだろうか。どのような聴き方にとって“特別”なのだろうか。村上春樹が言う体が「ちょっとずつ別の場所にずれていくような」感覚とはどういうことなのだろうか。「そこのところが、好き」とは…。横道誠はグールドが弾くゴールトベルク変奏曲とパブロ・カザルスが弾く同じくバッハの無伴奏チェロ組曲を並べる。私もカザルスが弾く同組曲は好きです。この両者に何か共通するものがあるのだろうか。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...