2011/04/10

スプリングコンサート

春爛漫を満喫する時間がないのがとても残念ですが、今日は地元の子どもたちが出演するコンサートがあって、久しぶりにコンサートピアノを聴いて私の中の音楽スピリットが冬眠から目覚めました。「スプリングコンサート」というネーミングでした。地元のホールなのにほとんど行ったことがなくて、こんなにいいシュタインウェイがあるとは知りませんでした。コンクール入賞の子どもたちの演奏は粒ぞろいの音で感心してしまいました。子どもが弾くピアノもピアノの先生の系譜を伝えます。もって生まれたものもあるでしょう。宝石の原石を順にみて回るかのような心躍るひとときでした。誘ってくださったピアノの先生に感謝です。

2011/04/09

「一冊の本とボールの力を」

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ポコ・ア・ポコのご案内ハガキを作って印刷しようとしたら買い置きしておいたはずのハガキがない。なんとも非効率で意気消沈してしまう。来生たかおを聴いてしばらく思いにふける。明日は地元の子どもたちのコンサートに行くこともあって午後から街に出ました。ほんとに久しぶりに歩く街で、ちょうど見頃の桜の花がとてもきれいでした。東日本の震災や原発のニュースとはまるで対照的ですが、こんなにおだやかな毎日はいつまで続くのだろうと、ふと思うのです。iPhoneのスクリーンショットのミッフィーの涙は日本の震災を知ってブルーナが描いたもの。「my best wishes to Japan Dick Bruna」のサインの「my best wishes」はどう訳せばいいのだろう。伝えんとするところはわかるつもりなのだが。
夢や希望、被災した人たちにはまだまだ身近に思えない言葉だと察しますが、ここ1〜2年、その大切さを痛感する場面と少なからず対峙することが続いています。夢があったら、希望があったらこんなことにはならなかったのではないかということです。子どもたちへの虐待やひきこもり、「貧しい」といってはならないことはわかっていてもそう思わざるを得ない暮らしの人たち・・・ 3月30日の朝日新聞の社説に「一冊の本とボールの力を」が掲載されてツィッターでも共感のつぶやきが多数ありました。「被災した人に必要なものは。水。食べもの。安心して眠る場所。暖房。医薬品。ガソリン・・・。どれもまだまだ、十分ではない。全力で不足を埋めなければならない。それらを追いかけて、届けたいものがある。心を柔らかくしたり、静めたり、浮き立たせたりするもの。想像の世界へ誘ったり、考えを深めたり、元気がわくのを助けたりするものーー文化とスポーツだ。被災を伝えるたくさんの写真の中で印象に残った2枚がある。1枚は、避難所のストーブを明かりにして本を読む子の落ち着いた表情。もう1枚には、サッカーをする少年たちの笑顔が並んでいた。一冊の本とボール。それは子供たちが生きるための必須栄養素だ。もちろん、おとなにも。厳しい日々には、なおさら必要だ。」この書き出しで始まる社説は人が人として生きていくために欠かせない営みをわかりやすく伝えてくれる。「普段ならば、シャンデリア輝くロビーの豪華な雰囲気も劇場や音楽ホールの楽しみの一つだ。それを今は我慢しよう。でも、表現活動は決して萎縮しないようにしてゆこう。芸術は「精神の自由」のともしびなのだから。」経済の成長や効率ばかりが日本を豊かにするのではないことは誰しも感じていることだと思う。「3・11後」の再生をみんなで探っていきたいと考えるのは私ばかりではないでしょう。教育の役割のひとつは、子どもたちが夢と希望を抱き、くじけないしなやかな心をはぐくむことです。

2011/04/03

4月、新年度明けに

新年度明けの4月1日は空も一段と明るくなって柔らかな光に満ちているように思いました。被災地ではとりわけ春が待ち遠しいことと察します。
この1日から私は新しい職に就きました。席が1メートルほど移動しただけなのに丸々別モードです。展開のスピードを超えるイマジネーションを働かせて調和をとりつつ、斬新な発想も活かしていきたいと考えています。
先月末には延びていた東京行を文字通り敢行しました。首都高や幹線道路は車が少なくて目的地まであっという間に着きました。ガソリンは並ばずに満タンにすることができました。店は賑わっていたものの水という水は売り切れ、コンビニからはアイスクリームがなくなっていました。夜は暗い街でした。2月に行った東京とは大きく異なる印象を肌身で感じました。文明の大きな節目を迎えているといっていいでしょう。私は決して悲観主義者ではありません。正しく危機感を持つことは必須と考えています。前に進むのみです。
今日は思いがけず高級輸入車の販売店に行くことがありました。カイエンや911、AMGベンツがショールームにありました。6台でいっぱいのショールームはブティックというべきか。これはそうめずらしくはないでしょう。でも、その店はデザインがとてもシックで統一感がありました。「色は3色まで」とデザインしたとか。基調はダークブラウンです。そして、そこかしこに配置された花が無機質な車の印象を一面和らげ、一面際立たせる。走行距離1万キロ以下の“極上”のスーパーカーしか取り扱わないというポリシーを貫く。デフレの中でこうしたビジネスモデルにニーズがあるのも興味深い。東京や大阪のお客さんが多く、ネットで見てわざわざ四日市まで現車を見に来るのだとか。今日はドイツ車ばかりだったのでイタリア車があるときにまた行ってみたいと思いましたが、そのビジネスモデルを実現したオーナーが何よりの経営品質の勉強でした。
高速道路の帰路、夕空がとてもきれいでした。淡いやさしい色彩のグラデーションでした。

2011/03/23

【重要】3月27日(日)ポコ・ア・ポコ中止について

3月27日(日)のポコ・ア・ポコは諸事情が重なって中止をさせていただくことになりました。たいへん申し訳なく思っています。セッションの中止はポコ・ア・ポコを始めて以来9年間で初めてのことですが、この3連休に東京に行けなかったことや東北関東大震災も影響しています。3月27日(日)中止のことはお知り合いのみなさまにお伝えいただきますようお願いいたします。なお、4月からのスケジュールをアップしましたので、併せてお確かめいただきますようお願いいたします。

2011/03/18

どこへ行こうとしているのか

地震も津波もその対応が私の仕事にストレートにつながっている災害ですが、原発の事故はまさかの出来事です。この3連休にまた車で東京に行くことになって、それだけでなく決心を要するところです。ガソリン事情も今ひとつ掴み切れていないのですが、こちらはなんとかなりそうと思っています。東京事情はツィッター頼みで収集です。
今回の震災でエネルギーの頼り方について考えさせられることが多々あります。「オール電化」に踏み切れなかったのも今回のようなリスクが拭い切れなかったことがあります。同じ電気でも供給方法によってはもっと頼ってもいいはずです。そして、先日、薪ストーブのおだやかな暖かさに触れて先人たちの智恵の深さを思いました。私たちはどこへ行こうとしているのか。
東北はコンパクトシティ構想を推進しています。復興を考えるにはまだまだ時間がかかりますが、コンパクトシティ構想はぜひ継続していただきたいと思っています。心から応援したい。掛け値なしで日本の将来がかかっているとの認識です。

2011/03/11

ツィッターと共助

たいへんな地震災害が起こった。自然の力の圧倒的な大きさをあらためて思い知らされた感だ。この夏に宮城県の学校などをベンチマーキングに訪れて身近に思っていただけに他人事ではない。連絡が取れなくなっている列車があるという仙石線も乗った。美しい海岸線と南北に広く続く仙台南部の平野は豊かに実る稲穂が輝いていた。あのとき出会った人たち、そして、石巻市特別支援教育共同実習所のコンクリートミキサーは大丈夫だろうかと心配は尽きない。
私は車を運転中で県内の揺れに気づかず、テレビを見るまで知りませんでしたが、宮城県でも停電のために津波の警報が出ていることが広く伝わっていなかったかも知れないというツィッターのつぶやきがあっていろいろ考えるところがありました。ツィッターでは、また、首都圏の帰宅困難の人たちへの情報提供が相次いで、公的な大規模な支援とは趣が異なる共助の姿がありました。ツィッターは善意の行動者たちによってつながりの情報が提供されている仕組みだと思っています。「インフォーマルな社会保障」(広井)と同じ文脈の、これは、人として当然といえる善意の営みと考えられます。妊婦や障がいがある人たちへの非難場所の提供などノウハウが必要な支援の情報があります。
さて、そうした情報のやりとりに必要なハードとして私はiPhoneを使っていますが、今回は防災関係のメールが断続的に届いたことや通信状態がよくなくてアクセス状態が続いたことで消費電力が増えたのか、バッテリーが早くなくなってしまいました。ほぼ12時間でバッテリー表示が赤になって予備充電バッテリーから充電しました。首都圏の帰宅困難の人たちも携帯のバッテリー次第で判断や行動が大きく左右されることが考えられます。電源のON-OFFや表示照度を調整してバッテリーが長く使えるようにする智恵も必要。そのiPhoneのiOSは先ほどiOS3にバージョンアップしたところです。iPadはiOS3にバージョンアップして充電器につないだらバッテリー表示がいきなり100%になって驚くやら首を傾げるやらです。

2011/03/06

2月のまとめ!?

昨日、オデッセイのタイヤをスタッドレスから夏用に交換しました。2月は京都に3回、東京に2回(八ヶ岳高原経由が1回)、長野に1回という長距離ドライブの慌ただしい週末で、やっとこの土日は近場のいつもの用事だけになりました。
2月末の土日に東京に行ったときは乙武洋匡さんたちが起業して始める「まちの保育園」の近くに行くことがあって寄ってきました。まだ工事中で、その日の前日には説明会があったのですが気づくのが遅くて定員に達していました。「まちの保育園」で注目したいところはカフェがあることです。お母さんお父さんも地域の人もそこで交流することをデザインしています。もちろん、そのための+αのしかけも必要ですが、そうした場がその意図でつくられていることがまず大事。開園したらぜひ訪れたいと思いました。
また、2月初めに行ったときは文化庁メディア芸術祭にも行って来ました。会場は六本木の国立新美術館です。時間がなくてゆっくり観ることができなかったものの、自分の感覚が日常と非日常とを行き来する浮遊感がおもしろくて五感が覚醒するかの体験がありました。サテライト会場の東京ミッドタウンもその存在そのものが興味津々で見て回りました。
国立新美術館と東京ミッドタウンを結ぶ道筋に、昭和初期と思しき木造の住宅や店舗があって目を引きました。使われているようすもない廃屋で、国立新美術館と東京ミッドタウンとは対極にある建造物といえますが、そのコントラストが東京の裂け目のような、声を押し殺したような叫びのように思えてカメラを向けることもためらうほどのインパクトがありました。メディア芸術祭も似た感覚を覚える作品がいくつかありました。人間って何?、幸せって何?、と絶えず問いかけられているようでした。
東京ミッドタウンの前でスマートフォンと思しき携帯のCMかPVのロケが行われていて、これも興味津々でした。役者というのかダンサーというのか、スーツの男たちのきびきびとした動作はプロならではのキレがあって魅入ってしまいました。自分の身体を意図通りに動かすこと、それは当たり前のようですごく難しい。たいへんな技術だと思いました。あと、驚いたのは、カメラがCanon EOS 7Dだったことです。ビデオカメラではなく一眼レフ、それも、ハイアマチュア向けのEOS 7Dだったのです。そういえば私のOLYMPUS E-P1の動画もいわゆるフルHDできめこまかな描写です。そのクオリティが写真を趣味とする人たちが手にする機材で得られるということです。そうか、そういうことだったのかと、私の中で落ちるものがありました。誰もがクリエイターになれる環境が身近にあることを実感しました。
東京は人が多くて、それだけで経済の循環が成り立っているとみていいでしょう。では、地方はどうか。このところ広井良典の定常型社会やコンパクト・シティの考え方に大きな関心があります。学校がコミュニティをつくるというフレーズも現実味を帯びてきているように思います。学校を整備することが新たな地域社会をクリエイトするという、双方向の行き来の仕組みや仕掛けが地方の活性化につながるということを仮説にしばらく考えてしまうでしょう。

2011/02/20

2月の日曜日のポコ・ア・ポコ

2月の日曜日のポコ・ア・ポコは12家族のみなさまのご参加をいただきました。春が近いからでしょうか、とても活気があるセッションでした。その中でも折り目切り目をしっかりつけるのは常連ならでは。初めてのお子さんもいつしか夢中になっての楽しいひとときでした。少し長い時間でしたが集中力が続いたことにも拍手を送りました。

2011/02/14

足が先か靴が先か

少し前にちょっと思い切ってトラッドの老舗のプレーントゥを購入しました。底も上革も硬く、頑固な職人が作ったかのようなビジネスシューズです。数年前から柔らかい靴を履くと足の形がくずれるような気がして、足をしっかり保護するタイプのものを選ぶようにしています。ところが試し履きのときちょうどいいと思う靴は足に馴染む頃になるととたんに形くずれをしてしまい、長時間履いていると扁平足になってしまったかのような足の形がくずれるような疲労感が出るようになります。
昨年秋に冬支度のブーツを調達に行った店でサイズ選びに迷っていると店の人がこんなことを言いました。「勤め始めた頃に先輩から教えてもらったんですけど、ブーツは最初血豆ができるくらいきついのを選ぶと2か月くらい経ってすごく足に馴染んできます」と。確かに、ちょうどいいサイズと思って買ったワークブーツはすぐに足が靴の中でごろごろと遊んでいるようになったことがあります。その日は3割引だったのでちょっと冒険をしてきつきつを選びました。もちろん、足先は1cmくらいの余裕があります。そのブーツは履いていると足が締めつけられている感覚があるのですが、脱ぐと足のどこにも痛みがないという不思議な靴で、週末しか履かないのにほどよくフィットしてきました。そして、そのブーツを履いていると足の形崩れの感覚がないことがわかりました。いい靴は足をつくるとでもいうべきでしょうか。今では色違いも欲しいと思っています。
ヨーローッパでブーツタイプの靴を履いていた時代があったように思います。パリの道がゴミにあふれていた頃のこと、靴はブーツタイプが実用的だったのかも知れませんが、編み上げのブーツはヨーロッパの人々の足を形づくってきたようにも思います。幅の狭い甲の高い足と聞きます。年のせいか、サンダルで長時間いると足が形崩れをしてしまいそうな疲労感を覚えるようになってそんなことも考えるようになってきました。でも、きつきつの靴を選ぶのはちょっと勇気が要ることです。
今回も履き始めて数日は失敗したかな、というくらいきつかったのですが、靴の結び方を工夫しているうちにほどよくフィットして、ネクタイで襟元をきゅっと締めるが如く、足元がしっかり身体を支えて自分の居所や姿勢が決まるような感覚がわかるようになってきました。足に靴を合わせて靴を選ぶものの、その靴が足のあるべき形や役割を教えてくれるという、足が先か靴が先かと思い巡らすほどのフィット感があります。造りは質実剛健で、メーカーの修理対応もあって10年はしっかり履けることを思うとコストパフォーマンスも高い。今日、雪の中を歩いたのに足が全く濡れなかったことにも驚きました。
今夜はDuneを聴きながらスコッチを味わう。

2011/02/11

信州特別支援教育カンファレンス2011

信州特別支援教育カンファレンス2011に行ってきました。明日は2日目ですが出勤のため今日1日のみ、日帰りでの参加となりました。中央道は雪で至る所でスローダウンしてオープニングセッションは半分も聴けませんでしたが、午後のDROPLETはしっかり勉強できました。信州特別支援教育カンファレンスはドロップレット・プロジェクト基調の感もありますが、それは支援の考え方だけで、コミュニケーション・シンボルの多様性についてはたいへん柔軟でリベラルなスタンスです。今の姿、持てる力からのスタート、子どもといっしょに何ができるかということです。教育、子どもの育ちの支援はそこがすごく大事で、私がドロップレット・プロジェクトをデザインだけでなく支持する所以となっています。今日の午後も1セッションだけPECSをクラスで取り入れた報告に参加して、その実践のレベルの高さに圧倒されました。教育もPDCAサイクルが欠かせないのですが、その緻密さとあたたかさがここそこに感じられるセッションでした。ひとつひとつのエピソードの質的評価が緻密な記録による量的評価できちんと裏づけられています。だから支援も構造化して組織力となって支援の横の広がりと継続が可能になっている。特別支援教育のフレームは京都市で生まれ、支援のベースとなるフレームの肉付けは信州で成されようとしているように思います。しばらく信濃詣でが続くことになるでしょう。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...