2016/10/06

質を高めるということ

久しぶりの青空とさわやかな風が戻ってきました。私の一日はNGから始まりました。今朝は長袖にしようか半袖にしようかと迷って風通しのいい綿の長袖の白のボタンダウンにチノパンツ、そしてニットタイとまでは心して支度をしましたが肝心のおきまりの紺ブレを忘れて車に乗り込みました。今日はジャケットなしで締まらない一日となってしまいました。いつも車に入れてあるジャケットも昨日の出張で持ち歩いたので家に置き忘れとなりました。上着、ジャケットのあるなしで心持ちはずいぶんちがうものです。身だしなみ、おしゃれは大切です。

その昨日の出張は勤務校の高等部の社会見学の引率でした。行き先は志摩市賢島方面で志摩観光ホテルクラシックを訪れました。伊勢志摩サミットの首脳会談が行われたホテルです。サミットに合わせて改修もあったようですが、老舗のホテルの佇まいはちょっと言葉では言い表せないほど素敵でした。今となっては規模はほんとに小さい。エントランスから反対側の海が大きな窓越しに間近に望むことができるくらいです。ロビーは落ち着いたブラウン系でまとめられ、北欧調の調度品がよく馴染んでいました。ソファーと通路の間にはテーブルの上に細い線を基調とした金色系のやや大きめの生け花が2点あり、ちょっと艶めかしく光っていました。カワイの工場のホールにあったフルコンサートピアノのフレームや弦のメカニズムが照明を帯びて放つまるで生き物のような色調を思い出しました。凛として呼吸を乱さぬ佇まいです。こうしたところに老舗の底力が表れるのでしょう。

志摩観光ホテルは小学校の卒業遠足で訪れたことがあります。46年前のことになります。伊勢志摩サミットが報道されてそのことを思い出しましたが、実際にその場を訪れるとそれは思い出ではなく、自分の中で今と当時の時間が併行して流れているような感覚になりました。

夜は小学部のお子さんのご家族と話をする機会がありました。ご両親、ごきょうだい、おじいさんとおばあさんもいっしょで、子どもが家族と離れて入院生活を送ることへのたくさんの思いを聞かせていただきました。その中で、いいこともあったよねという話になりました。学術研究としてはPosttraumatic Growth(心的外傷後成長 PTG)と呼ばれる苦悩体験が促す成長です。当事者ではない位置からこうしたことを前面に出した物言いは気をつけなければなりませんが、子どもの頃に入院を経験した学生がまとめたPTGをテーマとする卒業論文を時々読み返しては病弱学校に勤務する者として常に意識を高めるようにしています。「課題」も「成果」もこうした客観性のある整理を進めたいものです。

2016/10/01

聞き書きワークショップ

これもつながったことのひとつとなりました。今日は沼津市のNPO法人ユートピアの聞き書きワークショップに行ってきました。期待以上の成果がありました。前半は六車由実さんのレクチャーがあり、続いて6人グループに分かれて「すまいるかるた」を作りました。六車由実さんは民俗学者として大学で教員をされたことがあるだけにレクチャーの内容は構造化されており、柔軟な視点から見いだされた介護民俗学の諸相も言語化されてたいへんわかりやすいものでした。すばらしく明解でした。レジュメの「介護民俗学の聞き書きで結果的に変わってきたこと」の「認知症の利用者さんの言葉や言動が面白く思えるようになった」については、先日読了した森川すいめい著「その島のひとたちは、ひとの話をきかない――精神科医、「自殺希少地域」を行く――」に登場する老人介護施設のエピソードと見事に重なります。そこでは職員がお年寄り一人ひとりをよく知っているので困った言動も理解できるというところです。結果、向精神薬は誰も飲んでいない。その地域はそもそも住民が互いによく知っている関係性があるのですが、「聞き書き」はそのことを意図的積極的に行うものといえるでしょうか。「すまいるほーむ」でのかるた作りの実際の映像も見応えがありました。感銘を受けました。後半は「すまいるかるた」作りです。初顔合わせなのに6人がすぐに活動に集中してたいへん面白く充実した小1時間となりました。「すまいるかるた」作りは森川すいめい氏が指摘するオープン・ダイアローグといくつかの点で共通するものがあると思いました。比べてどちらがどうのこうのいうつもりは毛頭ありません。ほぼ時を同じくしていくつかのベクトルがニアリーな一点を指向しているように思えるところに注目したいのです。飛躍するようですが、文部科学省が進めているインクルーシブ教育システムの構築にかかわって様々な関係性のあり方について示唆をいただいたと考えています。(自殺希少地域については岡檀著「生き心地の良い町 この自殺率の低さには理由(わけ)がある」も併せて読まれることをおすすめします)

沼津の滞在時間は5時間弱でしたがたいへん充実した研修でした。そして、沼津への道中もいくつかエピソードがありました。

朝、私が乗った列車はほぼ満席で1両に数人が立っていました。ある駅から乗車した2~3歳の男の子を胸に抱いたお母さんが空いた席を探して前方に歩いていきました。席をゆずらねばと思いましたがあいにく私は窓際の席でためらいがあったとき、通路を挟んだ席の女性がすぐに追いかけて声をかけました。その迷いなくすっと立ち上がる姿は人となりを語るに十分なものでした。その席に着いてお母さんの胸から膝に降りた子どもはお母さんにあやされながら私と1度だけ目を合わせました。私は小首を傾げて口元を緩めました。たったその1回だけでした。でも、終着駅で降りるとき、お母さんに手を引かれて通路に立った男の子は私に左手を振ってくれました。そうなんだ、と何かしら合点がいくものがありました。そして、その時でした。お母さんは胸元がやや大きく開いたデザインの服で大きな傷跡が見えました。関係ないかもわかりませんが動きも少しゆっくりでした。何か大きな事故に遭ったのかも知れません。それは彼女の人生のいくつかの場面でマイナスに作用してきたことだろうしこれからもそうしたことがあるでしょう。人がありたいように日常を生きることの意味を噛みしめた出会いでした。幸せを祈らずにはいられませんでした。そのとき私はちょうどフォーレの歌曲を聴いていました。アメリングとスゼーの歌を聴く度に今日のことをきっと思い出すことになるでしょう。

名古屋駅の新幹線のホームでは赤いスーツケースを引いた黒い服の若い女性から声がかかりました。「どれに乗ればいいですか?」日本語の日常会話はできるものの切符の字と東京行きの新幹線の自由席の乗り方がわからないようでした。私は何を勘違いしたのか英語で応えるとその女性は日本語で話すというやりとりが数回続きました。「時間大丈夫ですか?」と逆に心配してもらってはたと気づきました。日本語で話せばいい。「のぞみが速いですよ」と念を押して別れました。佇まいに品があってどこかしら優雅で教養を感じさせる人でした。日本の女性だったら人がたくさんいる新幹線のホームでわざわざ駅員ではない私のようなおじさんにものを尋ねないはずです。やっぱり外国の人だったのでしょう。声をかけてもらってうれしく思いました。このとき「自殺希少地域」の本を思い浮かべていました。

2016/09/30

無題

週末が巡ってくることのなんと早いことかと毎週末に思います。ここしばらくたくさんのことがいきなり結びついたり、あれは伏線だったのかと思い出すことが続いています。自分がそういう認識をしているに過ぎないといえばそれまでですが、そう考えることができるのは自分しかいない。自分の人生を語るのは自分しかいないのです。

先週末の日曜日の夜8時、JR伊勢市駅前から西に向かう県道を車で走っていたとき、FM放送でドヴォルザークの交響曲第8番の第3楽章がちょうど始まりました。久しぶりに聴く第3楽章でそれとは予期せぬFM放送からです。どうしてこの時ここでこの曲なのかと一瞬戸惑いがあって胸が熱くなりました。シャッターが閉められて人通りのない商店街に沿った空いた薄暗い道にト短調の3拍子の舞曲が目に見えて流れていくようでした。何が必然で何が偶然なのか、時間軸に織り込まれた断片が何かしらのきっかけで解き放たれて目の前に現れ、それがまるで伏線だったように自分の中に落ちてくる。こんなことが続くといつしか予感が訪れる。そして、予感はあったはずなのに予期しない訪れのように事が連鎖して起こるのだ。今週はそんなことが仕事でもありました。忙しくなりますがやり甲斐もまた相応の手応えがあることがわかっています。しっかり掴んでいきたい。

明日の沼津行は本とジャスミンティー2本を持って電車に乗り込みましょう。

2016/09/25

聞き書き、という営み

今日は大失敗がありました。オーケストラの練習に行く前に団のサイトで時間を確認すると予定が変わっていて今月の練習は終わっていました。この夏はスケジュールが合わなくて練習に行けず、また、予定も確認していませんでした。

時間ができたので気になっていることを確かめることにしました。先週、知人に私のブログとホームページのURLをお知らせしたのですが、そういえばどんなことを書いていたのだろうとのぞくと自分でも驚くことがありました。「南の風」のホームページを立ち上げたのは勤務校のバリアフリー花壇、持ち上げ花壇を紹介するためでした。それが1998年、18年前のことです。日記風の文章を載せ始めたのは2001年でした。よくこんなにある意味まめに書いたものだと驚きつつ、その記述が今の自分につながっている軌跡そのものに思えました。とりわけ私の琴線に触れた文章や詩、エピソードは私の思考のの節目となってきたことがわかりました。そして、自分がその時々に何を感じ、思い、考え、どんな言葉でそれを書き留めてきたか、今となっては大切な記録です。話が飛びますが、聞き書きとはこんなことなのだろうかと思い巡らせます。

10月1日土曜日、沼津市で開催されるNPO法人ユートピアの聞き書きワークショップに行きます。講師は「神、人を喰う 人身御供の民俗学」や「驚きの介護民俗学」の著者、六車由実さんです。内容は「すまいるかるた」作りで聞き手と語り手の双方を体験できるものと期待しています。私が共感するのは聞き書きといっても一方的な聞き取りではないという点です。聞き手と語り手が双方向に言葉にうなずき、新たな展開に導かれて新たな話題へと次々とつながる。「驚きの介護民俗学」でこうした記述を読んで意を得たりと思いました。教育も学習内容はしっかり押さえながらもそこに至るプロセスはその場にいる子どもたちと先生が双方のやりとりで構築していくことこそこれからの社会を自らの協働で作っていく力となるのではないでしょうか。興味は尽きません。

そういえばホームページのURLが変わってアクセスカウンターがサービスから外されたのに今日見たら引き続いてカウントされていました。運営会社側の変更なのでサービスを戻したのでしょうか。納得の対応です。

2016/09/24

エテュード・アルモニーク

このブログの右に「検索フレーズランキング」が表示されるようになっていて、時々意外なフレーズが表示されるのでちょっと注目しています。今日は「エテュード・アルモニーク萩原英彦」と出て驚いています。誰がどんないきさつで検索したのだろうと。

「エテュード・アルモニーク」は萩原英彦の子どものためのピアノ曲集です。私はこの曲集をレコードで知り、CDで買い直しました。楽譜の発売は1994年、22年前とか。少しばかり意外です。もっと前の出版だと思っていました。というのは、この作品や湯山昭や三善晃らの日本人の作曲家による子どものためのピアノ曲に関心をもって楽譜などを集めていたのはもっと前のこと、私が20代半ばの頃だったからです。10年くらいの開きがあります。例えば北村知恵の「子どもの目の高さで歌おう」は1983年(昭和58年)の出版で、その翌年に北村知恵の公開レッスンに参加して子どものためのピアノ曲のリサーチにさらに関心を高めることになりました。これは私の単なる記憶ちがいか。彼の合唱曲「光る砂漠」は1971年の作品で私が中学校2年、大学の時この合唱曲を知って聴き込みました。私の中では萩原英彦は一定の年代でまとまっているので単なる思い込みか。

このピアノ曲集は「子どものための」との位置づけですが、フランス音楽のような印象派の香りがいっぱいの素敵な作品だと私は思っています。左手のための曲もあってちょっと冒険的でもあります。ある意味子どもらしくないようにも思えますが、こうした曲に子どものとき出会っていたらちょっとちがうピアノとの付き合い方が生まれるのではないかとも思うのです。小学生の頃習っていたピアノでバッハに出会う機会がなかったことは今も残念に思っているくらいです。今どきの子どものピアノ事情はどうなのでしょう。

2016/09/18

ポンチ絵

仕事上ポンチ絵を描くことが時々あります。この連休も週明けに提案する内容をまとめなければならずプレッシャーでしたがそれはそれで発想のエネルギーにもなります。2日でなんとかポンチ絵を1枚仕上げました。キーワードは「インリーチ」という言葉でした。造語です。「アウトリーチ」の対義語としました。新しい取り組みは概念を表す言葉、キーワードが文字通り鍵となります。決まったら言い切ったもの勝ちの勢いで真っ直ぐアピールしていきます。かといって100%新しいことばかりではありません。教育は時として取り組みや営みの意味や価値を説明しないことでその真意などが伝わらないことが少なくありません。自分たちがしていることの説明によって共通理解につながり、中長期的な指導支援が有意に継続できると考えています。このポンチ絵をたたき台として対話が重ねられることによってシェイプアップと共有が進むことを切に願うばかりです

2016/09/09

夏休みが終わって2学期が始まりました

次々と到来する台風が去って風が変わりました。8月いっぱいは毎年時間がなかったり猛暑に用心したりで物事が進まず、今年も同じでした。ただ、ひとつちがったことがありました。積極的にアプローチしたところには欲しかった情報があり、そこから芋づる式に本、本、本へとつながっています。今以て現在進行形です。あっという間の“夏休み”でしたが収穫は小さくありませんでした。一言でいえば長期的に物事を考えることができるようになったということでしょうか。そのための言葉との出会いがたくさんありました。

夏休みが終わって2学期が始まりました。2学期の始業式は7回挙行しました。本校舎と病棟、そして、大学病院の院内教室と病室です。私はスポットで登場するのみ。子どもたちと先生方とのその時々の営みこそ学校を学びの場としています。入院中の学校は子どもたちが子どもらしさを取り戻す場です。併せて、小中学校、高校にも病気や心身に不安を感じている子どもたちはたくさんいます。配慮しつつもどの子ものびのびと学ぶことができる環境づくりを探っていきたいと思っています。

2016/08/13

サマースクールにて

昨日、以前勤務していた特別支援学校のPTAのサマースクールでミュージック・ケアのセッションをさせていただく機会がありました。7月と8月はポコ・ア・ポコをお休みとしましたがスポットのセッションが3回入ってきています。スポットとはいえ、何年も続けていると関係性も深まります。今回もミュージック・ケアの文脈に沿った空間の中ですっと始めることができたのはすばらしい。ほんとにすごいことと思って感謝しています。お母さん、きょうだいのみなさん、先生方も楽しんでいただけたものと思っています。長い夏休みのたった1日ですが、親子、家族が同じ体験をして帰り道や家でふと思い出しては見合ってニコッとする、そんな豊かないとなみ、関係性につながることを願っています。

2016/08/05

「あん」を読む

今週後半は鳥取に出張でした。3日間、ホテルと会議場の往復に終始しましたが、ふと、ドリアン助川の「あん」が無性に読みたくなって家に帰るのが待ちきれず鳥取で2冊目を買い求めました。作品としての「エンド」はもちろんテーマの「解決」ではないのですが、テーマについてひとつのみちすじを示すことは文学作品として不可欠です。「あん」が示しているみちすじは、しかし、ひとつのみちすじに止まらず、人間一人ひとりの存在の意味を示唆しているように思っています。もっとたくさんの考え方があることはわかっているつもりですが、私にはこんなにも心を揺さぶられる言葉で語られるのは他にないかもしれません。ここしばらくいくつかのことがあって読みたくなったのは「あん」でした。この余韻はしばらく続くでしょう。

出張の夜はふだんできないことにじっくり取りかかる時間でもあります。「南の風」のホームページが閲覧できるようになりました。ずっとずーっと更新できていませんが、ポコ・ア・ポコの音楽療法はぶれずにホームページでお知らせのとおり続けています。よろしければ右のリンクの「南の風」からご覧ください。

2016/08/02

「障害学を再考する」紀伊國屋書店新宿医書センター

津久井やまゆり園の事件をテレビで知ったときは身体が凍りつきました。犯人の状況が明らかになるにつれて私はこの事件に止まらず根源的な思考の領域に踏み込もうとしてしまいます。この事件を機に紀伊國屋書店新宿医書センターで「障害学を再考する」というコーナーが設けられました。本はネットで買えますが、このコーナーを想起した人のメッセージはやはりその場に行って本に囲まれてみないとわからないように思います。こうした一人ひとりのアクションが今後長期にわたって積み上げられることを切望するとともに私自身ができることをしっかり見直していきたいと考えています。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...