2025/12/14

春の花考

 今季は玄関先の春の花の苗を植える時期を逸してしまい、やっと買い求めた苗も2週間そのままで弱ってしまってポットに植えら水やりもままならない日が続いて半分が萎えてしまいまいした。かわいそうなことをしたものです。昨日、弱った苗を別のポットに植え替えてメインのポットには新たに買い求めた苗を植えました。

春の花はしばらく明るい黄色のビオラと決めて20年くらい植えてきました。昨年、ちょっと気まぐれて売れ時を過ぎて徒長している値引きされたパンジーの苗を買い求めました。商品名は「ミニパンジー シトラスMIX」で写真をさかのぼると10月20日に植えたことがわかりました。しっかり咲いてくれるだろうかと心配もしながら少し強めに切り込みをしました。果たして、この春は絢爛という形容が相応しいほどの濃く明るい色のパンジーがたくさん咲きました。今季は「パンジー オレンジスライス」です。やはり売れ時を過ぎた不揃いの苗ですが個々の花の色のちがいがわかって春が楽しみです。

2025/12/07

矢野智司近刊

 検索キーワードに矢野智司を設定して時々チェックしています。先日、彼の近刊が矢継ぎ早に出ていることがわかってあたふたと取り寄せています。

『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』(矢野智司・井谷信 彦編)(世織書房 20220412) 

『京都学派と自覚の教育学 篠原助市・長田新・木村素衛から戦後教育学まで』(勁草書房 20210821)

『愛と創造の教育学 境界を開くためのレッスン』(世織書房 20240707)

前2書は近刊といっても今世紀初出の論考が加筆等を経て編集されたものですが、それにしても300~500頁の著書3冊が毎年のように刊行されるというのは著者が内にもつエネルギー、精神の驚くべき強靭さを現わしているのではないでしょうか。

内容はしっかり刺激的です。『教育の世界が開かれるとき:何が教育学的思考を発動させるのか』の第4章の見出し「大正新教育のなかの西田幾多郎」を目にしたときはやはりそうだったのかという驚きとともに安堵するものがありました。かつて、2年前に信州教育の系譜につながる教育が西田幾多郎の「純粋経験」に通じるものがあるような気がして知人に伝えたことがありました。まず第4章から読み始めて第1章などを参照的に目を通しています。

私の問いの核心を読みやすい言葉で露わにして突く矢野智司の論考です。

2025/11/29

子どもの権利条約の“views”の邦訳をめぐって

 先日、ある勉強会で子どもの権利条約の政府訳で「(児童の)意見」と訳されているところは原典で「views」であることを知って目が点になりました。「単に意見ではない、子どもはこの世界をどう見ているのか」という考え方、視座で子どもの権利条約が書かれているという説明はとても明晰に思われました。ネットで調べるとここの部分のviewsを「思ったことや感じたこと(views)」と訳しているサイトがヒットしました。一般社団法人TOKYO PLAY(東京都渋谷区、代表理事:嶋村 仁志)の訳として掲載するPRTIMESのサイトです。この言葉だけでなく政府訳とのちがいが大きく興味深く思われたので第12条の両者の訳を引用します。

第12条

原典

1. States Parties shall assure to the child who is capable of forming his or her own views the right to express those views freely in all matters affecting the child, the views of the child being given due weight in accordance with the age and maturity of the child. 

政府訳

1.締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする。 

一般社団法人TOKYO PLAY訳

1.この約束を守ると言った国は、思ったことや感じたこと(views)を形にできる子どもが、自分に関係するすべてのことについて、自由に表現する権利を保障しなければなりません。その表現はその子どもの年齢や発達に合わせて、十分に考慮されなければなりません。

原典

2. For this purpose, the child shall in particular be provided the opportunity to be heard in any judicial and administrative proceedings affecting the child, either directly, or through a representative or an appropriate body, in a manner consistent with the procedural rules of national law. 

政府訳

2.このため、児童は、特に、自己に影響を及ぼすあらゆる司法上及び行政上の手続において、国内法の手続規則に合致する方法により直接に又は代理人若しくは適当な団体を通じて聴取される機会を与えられる。 

一般社団法人TOKYO PLAY訳 

2.この目的のために、特にその子に影響があるすべての司法・行政手続きでは、国内法の規則に沿って、直接または代理人や適切な機関を通じて、子どもは声を聴かれなければなりません。 

※「思ったことや感じたことを形にできる」とありますが、むしろ、どんな子どもにも自分なりの想いや視点があると信じて、それを受け止めることが大切だと国連の一般的意見(一般的意見12・一般的意見7)にも書かれています。

※viewsとは、論理的な意見だけでなく、子どもの想いや視点そのものを指す言葉です。子どもの声を聴くということは、言葉にならない想い、態度、しぐさ、その背景も含み、発達段階に応じた多様な表現方法で示される子ども自身の視点を丁寧に受け止めることを意味します。

現行学習指導要領の改訂にかかわった経験から国の文書はすべて法令審査を通してときとして印象が異なる字面となることは承知していましたが、子どもの権利条約第12条の翻訳の両者のちがいは字面から受ける印象がその本質までまるでちがうものとして受け取られかねない危惧を表しているのではないかと思います。一般社団法人TOKYO PLAY訳の注意書き(後者※)はたいへん共感するものです。「言葉にならない想い、態度、しぐさ、その背景も含み、発達段階に応じた多様な表現方法で示される子ども自身の視点を丁寧に受け止める」という視座の地平を肝に銘じたい。

2025/11/21

ETCセットアップ完了通知

 今日、次の車のETC機器のセットアップが完了したことを通知するメールが届きました。その通知で登録番号を知りました。希望番号ではありませんがちょっと面白い並びの番号でした。左右対称というか逆に読んでも同じ4桁の番号で少しばかり重々しい印象があります。たかが番号、されど番号、気に入りました。

乗り換える車はレヴォーグ1.6GT-S アイサイト(VM型)です。ひとつ前のモデルですがアイサイトはver.3なので現行モデルと資質という点で同じといえるでしょうか。少し前に高齢の人が運転する車がかなりのスピードで追突して死傷者が出る事故があって車両の映像がニュースで流れました。自動ブレーキを過信してはいけませんが私も高齢者の仲間入り前の年齢となったのでアイサイトを選びました。

色はピュアレッドです。原色系の鮮やかな赤です。車種と走行距離、価格、程度などで絞っていくと一択でした。ネットでいろいろ見ていくとその色ゆえにこの価格設定かと思うところがありました。フェラーリの赤と見紛うほどの鮮やかな赤のレヴォーグですがなぜか自分が乗る車として躊躇を感じませんでした。

ところで、レヴォーグ1.6GT-S アイサイトはほとんどアイサイトのバージョンしか調べなかったのですがけっこうおもしろい車であることがわかってきました。ボディサイズはオデッセイRB3と比べて幅が2cm、長さが11cmしか違わないということ、つまり、ほとんど同サイズで決して小さくないこと。足回りはビルシュタインのダンパーが組み込まれていてけっこう硬いとのこと。オプションなのか本革シートが付いていること。現車を見てわかったのはまだまだ深いトレッドが残るスタッドレスが付いていること。そして、何といっても鮮やかな赤です。どうせならとブロンズのホイールやリアバンパーのキズ隠しに純正カバーなどを調達中です。そして、フルタイム四駆は冬の信州通いに心強い。小キズはガラスコート前のバフ掛けで目立たなくなっていることを期待しています。

2025/10/15

上田義彦写真展「いつも世界は遠く、」

 逗子の海が見渡せる丘の上に建つ神奈川県立近代美術館葉山館で開催中の上田義彦写真展「いつも世界は遠く、」に行ってきました。下は同館のウェブサイト掲載文です。

2025年7月19日 – 2025年11月3日 上田義彦 いつも世界は遠く、

上田義彦(うえだ・よしひこ/1957–)は、活動初期から自然や都市の風景、著名人のポートレイト、広告写真など幅広い分野で活躍を続けてきた写真家です。瞬間を捉える感性と卓越した技術で、時代とともに変化する作風でありながら一貫して普遍的な美を作品に込め、国内外で高い評価を得てきました。公立美術館で約20年ぶりの本展では、代表作や未発表の初期作品から最新作まで、自ら現像とプリントを手がけた約500点を通じ、その40年の軌跡を辿ります。

とにかくものすごい数の作品で、各フロアに一貫した明解なテーマを見つけることは難しく、ジャンルと撮影年を縦横に往来して彼の内に現れた作品をそこここに置いたのではないかと思いました。「ジャンル」というカテゴライズすることにつながる言葉を使うことは、しかし、彼の本意ではないでしょう。「・・・と思ったらシャッターを切る」 NHK-ETV「アートシーン」のインタービューでそうした趣旨の言葉がありました。写真展の動画では、彼は撮った後で写真を見てそこに何が写っているか考えることが大事と語っていました。いわゆる広告写真もアートとしての写真も区別することは難しいと思わせる彼の写真です。それはジャンルを越えてという言葉を超えた、あるいは、まったく異なる写真のあり様のように思いました。

「・・・と思ったら」という表現は誤解が生じるかもしれません。これまでテレビなどで見た彼の撮影の姿は慎重そのものに見えました。プラウベルマキナのファインダーを覗いて、たしか、蒼井優だったと思うのですが、静かに、じっと対峙して、ある瞬間にシャッターを切って次の瞬間には素早くフィルムを巻き上げてファインダーを覗き続けてシャッターを切る。微かな瞳の輝きをも見逃さない緊張感、緊迫感がそこにありました。「・・・」とは彼の日常のまなざしであり、気の休まることのない日々、刹那ではないのだろうか。撮影が終わってもその緊張感が続いていたと思いました。

作品のいくつかは額装がされていました。油絵の如くです。古めかしく燻したような金色の壮麗な彫りの額はかつて油絵といっしょに画廊や美術館の壁に掲げられていたものかもしれません。たしかに、今回の作品の一定数はまるで絵画のように目に映りました。「静物」はことのほか。そうか、何でもやればいい、何でもできるんだと思いました。写真を撮るという行為、それが広告であっても作品であっても、自分のまなざしを映し止める“だけ”なのだろうと思います。自分の世界を持つこと、そして持ち続けることのエネルギーが伝わる写真展でした。

2025/10/08

井口喜源治先生に学ぶ会

この土日は安曇野と舘林、佐野に行ってきました。安曇野では「井口喜源治先生に学ぶ会」の第2回に参加して、舘林では田中正造記念館、佐野では佐野市郷土資料館を訪れました。佐野市郷土資料館も田中正造の展示が目的です。

井口喜源治先生に学ぶ会は6月の第1回に続いての参加で、2回目となると少し落ち着いてそこに居ることができました。今回は清澤冽の後半でした。恥ずかしながらこの勉強会に参加するまで清澤冽はその名前すら知りませんでした。彼も井口喜源治の研成義塾で学びました。彼の人となり、業績等々はさておき、テキストの個々具体のエピソードのいくつかに目が留まりました。太平洋戦争の最中にあっても『東洋経済』誌上で「時流に屈しない言論」を発表し続けた巧みでしたたかな言論活動の中心的な役割を果たしたこと、とりわけ、昭和19年9月のダンバートン・オークス会議で起草された国際連合憲章草案の原案を国内で紹介したことには驚きました。戦時下でいかにしてその情報にアクセスし得たのだろうか。「挙国一致」の戦時体制の中で戦後日本が進むべき方向を見てその構想を描いていたわけです。彼のような人物が戦時下で日本の行く末、あるいは行く先を論じ描いていたことを学校教育は教えてきただろうか。

この勉強会のテキストは同志社大学人文科学研究所編『松本平におけるキリスト教 井口喜源治と研成義塾』(‎ 同朋舎出版 1979)で清澤冽の章は宮沢正典によるものです。今回の読み合わせの部分310~325ページに登場する人物は93人にも及んでその資料が添えられていたことにも驚きますが清沢の人脈にはただただ驚嘆します。その中には哲学者の西田幾多郎の名前もあります。こうした賢人たちがこんなにいて発言もしている国が太平洋戦争に向かっていったのは今の状況と重なるものがあるようで戦慄を覚えます。だからこそ歴史を学び続けなければならないともあらためて確信する次第。

清澤冽の章の「むすび」に次のブロックがあります。

 リベラルなジャーナリストとして、清沢と近い位置におり、よく似た立場を持したひとりに馬場恒吾がいたことはすでに記した。おもしろいのは、短軀で強靭な清沢も、対照的に、容貌魁偉であった馬場も、ともに青年期においてキリスト教の門をくぐり、アメリカで生活し、それらを通して独特の信念と人に屈することの嫌いな性格をつくりあげていたらしいことである。清沢のもっとも敬愛した石橋湛山も、人格形成期において宗教的経験を経ていたことも間違いない。清沢の直截さは、ときに嫌悪されることもあった。しかし、そうでありながら、弱い立場のものには寛容であり、強大なものに対して、すでに、十六歳のときその片鱗を示したように、それを生涯にわたってもち続けたのであった。また、実に多彩な人物に接しながら、自己を失うことなく、あの困難なときにも、抵抗のための孤立しない知恵を身につけていた。

「人格形成期において宗教的経験を経ていた」とは具体的にどういうことなのか。石橋湛山は日蓮宗のはずです。宗教的経験や宗教体験といわれるものはどういうことなのだろうか。また、松本平でのキリスト教はどのようなものだったのか。いつか追いたいテーマです。

今年度の勉強会、最終回は2月7日の第4回で、テキストは手塚縫蔵の章に入ります。私は思いがけず最終項の「時代感覚~求心的信仰」の読み手を担当することになりました。手塚縫蔵の名前は信州の教育を研究する中でいつもちらちらと視野に入ってきています。そして、藤田美実の導きにより手塚縫蔵こそ私の研究の核心を占める人物ではないかと気づき始めています。何という偶然、僥倖かとその幸せと責任を噛みしめています。

2025/08/22

藤田美実 「内なる世界」と「外なる世界」

私が藤田美実の著書を初めて手にしたのは『信州教育の系譜 上・下』(北樹出版 1989)でした。広く信州の教育について資料を集めていた中にありました。あるとき読み始めると惹きこまれてしまい何度も繰り返し読んで今日に至っています。『明治的人間像 木下尚江・赤羽巌穴・手塚縫蔵』(筑摩書房 1968/S43)も然りでした。とりわけ手塚縫蔵について書かれたところが私の心を捉えて離しませんでした。手塚縫蔵の章末はにわかに哲学書然とした筆致になります。先日、このことについて著者が触れている文章を読んでその真意を知ることになりました。『信濃教育』第1020号 特集 手塚縫蔵先生 昭和44年11月号』です。引用します。

手塚縫蔵逝いてこの八月で満十七年、一つの精神共同体である信濃教育会にとって、彼の名はすでに古典である。古典は批判を許さない。彼における「外なる世界」を云々し、これをあげつらうのは無意味である。今日の教育者たるものは、彼における「存在」の語の真諦を味得すれば足りる。(はたして人はそれを味得しているだろうか。私は「存在」の一語を中心概念として『明治的人間像』一巻を書いたつもりだが、朝日新聞や読書新聞の書評も、信毎や『信濃教育』のそれも、その核心には一言もふれていない。批評家なんてのんきなものだとつくづく思う。)しかもなお私が彼における「外なる世界」を云々するのは、一つには信濃教育会がこのような古典的リベラリズムに安住しているのではないかという危惧(祀憂であれば幸いである)を感ずるからでもあるが、一つには「内なる世界」と「外なる世界」とがどうしても総合されないという、まさに日本的なこの現象をつきつめて考え、この矛盾をトコトンまで苦しまなければ日本は近代化されないと思うからであり、そこに木下尚江や山本飼山を回想することの意味もある。そしてまた私は田中正造の名まえを回想している。今春私は栃木県佐野の近傍に彼の生家や終焉の地をたずね、そこの農民たちと語る機会を得たが、彼らがいまなお敬慕の情をこめて田中正造の名を口にするのを聞くとき、強く心打たれる思いがした。田中正造は内において深い罪の自覚と人間愛にささえられながら、死の床につく最後の日まで農民たちのために戦うことをやめなかった。彼においては「内なる世界」と「外なる世界」とが、なんの矛盾もなく、まことに奇妙に調和している、その稀有な人間性の不可思議さを私は言いたいのである。(『信濃教育』第1020号 特集 手塚縫蔵先生 昭和44年11月号)

私も『明治的人間像』を読んで「存在」という言葉に込められた著者の真意を十分に読み取ることはできませんでした。ただ、読み進めるなかで手塚縫蔵の章の記述のもどかしさのようなものは何なのだろうと訝しく思いました。その核心が「存在」にかかる著者の思索であったことがわかりました。

藤田美実は著書『明治的人間像〈木下尚江・赤羽巌穴・手塚縫蔵〉』(筑摩書房 1968)において、当時の日本のキリスト教は日本に土着したもので本来の姿ではなく、手塚縫蔵のキリスト教も然りと述べています。それゆえ手塚縫蔵の中でキリスト教と天皇制が同居してしまい太平洋戦争を進める国策に賛同する言動につながったという指摘です。

…即ちナショナリズムに迎合したキリスト教は既にキリスト教ではないというのである。たとえ木下尚江の批判が厳にすぎるとしても、天皇制やその国体論、そして戦争に迎合したキリスト教は既にその純潔性を失ったものであり、極めて不純なキリスト教であるといわざるを得ない。 手塚はこのような伝統を持った「日本的キリスト教」の典型である。「吾々は天皇陛下の臣民として天皇陛下に責任を持つと同様に、吾々は創造神に対しての責任を持たねばなら」(「講說」昭和一八・一・三)というような言葉、あるいは今次の戦争において日本精神を世界に顕現するというような言葉は、彼の「講説」の随所にみられる。戦争指導者たちのイデオロギーをそのまま受け入れ、それをあらゆる詭弁を以てキリスト教にこじつけようとしているに過ぎない。怖るべき批判力の欠如であり論理性の欠如である。手塚は最も純粋な信仰を持っていたと書いたが、ここにおいて彼の信仰は不純なキリスト教であるといわざるを得ない。これはただに手塚一人の問題ではない。「日本に土著化したキリスト教」の悲劇である。(218-219p)

キリスト教にとっても手塚にとっても悲しい事態です。しかし、藤田は手塚縫蔵の項の締めくくりに次のように記しています。

私は今まで手塚縫蔵の思想(それはもちろん手塚個人ではなくして、いわゆる「日本的キリスト教」一般の問題であるが)に若干批判の言葉をつらねてきた。それに対して、手塚は純粋に霊界に生きた人間で、現実の問題には無関心だったのだ、という弁解が成り立つ。しかし、彼の言説は常に現実の問題にかかわっているのである。そしてそこにこそ問題があるのである。やはり私は手塚のこうした言葉を読むとき、悲しい思いにみたされる。しかもなお手塚縫蔵が私の心を捉えて離さないのはなぜだろうか。(224-225p)

「しかもなお手塚縫蔵が私の心を捉えて離さないのはなぜだろうか。」これは私にとっても同じ思いであり、また、大きな問いです。


2025.8.25

文責:飯田


2025/08/19

上笙一郎著『満蒙開拓青少年義勇軍』

 夏休みに長野県の満蒙開拓平和祈念館を訪れたいと思い、その仕込みと読み始めた本がきっかけとなっていくつかの点と点が結ばれてその糸に巻かれているような感覚、息苦しさを感じるようになってきました。その本とは上笙一郎著『満蒙開拓青少年義勇軍』(中公新書 315 1973/S48)です。著者自身が高等小学校の先輩を満蒙開拓青少年義勇軍として見送った経験があり、戦争が終わったために同じ運命をたどることを免れた経緯があったことから当事者の視座から書かれている生々しさが伝わってきました。一気に読み終わって何度も何度も戻って反芻するように読み返しました。満蒙開拓青少年義勇軍の「事実」をこの歳で初めてしったわが身の不甲斐なさに打ちのめされつつ読みました。とりわけ「悲劇の本質」と題された終章の章末は重苦しくも同時に私の研究の方向性を示してくれているように思いました。長くなりますが引用します。

 つまり近代日本の国家は、労働者・農民階級・女性に加えて、いまひとつ、〈子ども〉という存在――身体的・政治的・経済的・社会的に力の弱い者の犠牲の上に、その権力を築き上げかつ保持して来たのだ。満蒙開拓青少年義勇軍も、日本の国家が、その権力をいよいよ強化するため日本の子どもに強いた一連の犠牲政策のひとつにほかならない。

 そうだとするならば、成人を対象とした一般の満州開拓制度については知らず、青少年義勇軍に関しては、単に日本国家のアジア侵略政策を突いただけでは不十分なので、その児童観の反動性をも糾弾しなくてはならないのだ。

 満蒙開拓青少年義勇軍という世界史上に類例のない少年による武装植民は、近代日本の国家が、子どもというものを――あるいはもっと精確には被支配階級の子どもを、道ばたの石ころほどのものとしか見なかったところから発想されたものであった。そして、日本国家がそういう児童観 を払拭しないかぎり、こののちも同様の児童残酷事件が繰り返されないという保障は、残念ながらどこにもないのである。

著者はその「あとがき」で児童史に言及しています。

 わたしがこのような本を書いたのは、序章に記したようなプライベートな動機もあるが、基本的に、女性史よりもさらに数等遅れている〈日本児童史〉の研究を、一歩でも前進させたいという念願からである。

児童観については教育を考えるうえでその根本に置き吟味しなければらなないこととして私の中で大きな位置を占めてきていたことであり大いに共感を覚えます。著者はその後、1989年に『日本児童史の開拓』(小峰書店)を上梓しています。およそ650ページの分厚い本で著者はエッセイとしていますが『満蒙開拓青少年義勇軍』に通じる当事者のまなざしのようなものを感じます。

児童観、子ども学は北本正章著『子ども観と教育の歴史図像学ー新しい子ども学の基礎理論のために』(新曜社 2021)でも最後に言及されています。子どもとは何か。子どもをどう見るか。幾たびかのものであるにせよその波は寄せるものだし起こさなければならないものと考えています。

最後に『満蒙開拓青少年義勇軍』の終章の締めくくりを引用します。

 しかし日本の国家が、子どもを道ばたの石ころとしか見ない児童観をみずから進んで払拭することなどは、およそ考えることもできないし、寡頭独占的な資本主義にもとづく現代日本の権力構造からいっても不可能であろう。となれば、日本国家の児童観の転換は、当然ながら、わたしたち日本の民衆が国家に迫って実現する以外に方法はないということになる。――満蒙開拓青少年義勇軍のような児童残酷事件をふたたび招来せぬために、わたしたち民衆の負うべき責任は、なかなかに重いといわなくてはならないのである。

2025/08/16

下鴨納涼古本まつり

 京都下鴨神社薫の糺の森が会場の下鴨納涼古本まつりに行ってきました。古本まつりなるものに行ったのは初めてで、しかも神社の境内なので見るものすべてが新鮮でとても面白かったです。この古本まつりを知ったのは県内の古書店のインスタグラムです。時間ができたので思い立って行った次第です。小川に沿った木立の両側にテントの古本屋が店を出していて一見そんなに多くはなさそうでしたが木立の中とはいえ気温も湿度も高く大勢の人たちに交じってじっくり見て回ると時間も体力も要りました。それでもこの機会と3時間半いました。


屋外の古本まつりはどの店もよく見渡せるので訪れた人たちもまた然り、本を探しながら否が応でもマンウォッチングをしてしまいました。私と同年代の年配もいましたがやはり多いのは大学生や院生と思しき若者でした。話が聞こえてきてもさっぱりわからない。日本の古典文学らしい。図像学という言葉も聞こえてきました。流暢に日本語を話す外国人と思しき若者や昔の絵を一枚一枚繰って見ているのは観光で訪れた人たちか。浴衣を着ているのは散歩がてらか。こうした風景はやっぱりいいものだと思いました。


肝心の本はといえば私のお目当ては満蒙開拓青少年義勇軍関係資料でした。最初の店で満州の本が4冊あったのですが青少年義勇軍関係ではありませんでした。すべての店を隈なく見て回ったわけではありませんが満洲や当時の中国の日本軍に関連した本は探せばあるという感触でした。古本祭りや古本市は県内や近隣の府県でもけっこう開催されていることがわかったのでまた訪れてじっくり探したいと思いました。

2025/08/03

バイク談義

昨日、ぽっかり空いた時間にBanditで走りました。実に半年ぶりか。久しぶりにエンジンをかけると4気筒1250ccの図太い音がしてやっぱりいいなぁと思いました。センタースタンドを立てて洗車の後、水の拭き取りは届いたばかりのマイクロファイバークロスを使うと木綿のタオルのときのような拭き跡もなくきれいになって驚きました。汗だくになりながらも嬉々としてその勢いで走ることにしました。目的地は紀北町の始神テラスです。何のことはありません。そこのアジフライ定食がお目当てでした。伊勢道から紀州道と高速ばかりで難しいコースではありませんがやっぱりバイクは乗って走って堪能するもので心身ともに目覚めた感がありました。マニュアルミッションなので両手両足をそれぞれ協調させて動かすのも心地よい。身体が喜んでいるようでした。しかし、暑かった。身体中の細胞の一つひとつが渇水状態になっているような絞り切った感覚でした。

Banditは重量が250kg超あって年々取り回しが難しくなってきたように思われて車検のない250ccクラスに乗り換えを考えていました。しかし、やはり大型の安定した走りと図太い音はたまらない。また、今日はセンタースタンドもそこそこの力で1回で立てることができました。停止時は緊張感を伴いますが走り出すとその重さは気になりません。さて、どうするか。

パール・バック『母よ嘆くなかれ』

音楽療法の研修資料で前に作成したスライドからパール・バックの引用を使うことにしました。ポール・ノードフ、 クライブ・ロビンズ著、望月 薫訳『障害児教育におけるグループ音楽療法』(人間と歴史社 1998) に寄せたパール・バックの「序」の一部です。 遅滞のある、ゆっくりと考える人た...